同じような肌の色を持ち大陸に生きる民。
過去二千年余りの間に千回以上も侵略を
受け続けた民にとって、同じ民族以外に
真に信じるに足る民はいないのかもしれ
ない。
もし一つの民として友を得ようするなら
全てを共有するしか、彼等にとって納得
する術はないのだろう。
彼等にとって友となる基本は距離の速や
かな短縮であり、与え合うものに大小の
区別や限りはないのだろう。
友ならば、小さな島一つくらい奪っても
いいだろうという感覚しか持たないのか。
友のものは自分のものという認識なのか。
罪の意識などなく、自国民以外に信じる
ことは敵を信じろということ以外の何物
でもないのかもしれない。
隣り合わせになった友であっても建前と
本音を使い分けbalanceをとる外交など
論外なのだろう。もしも、隣り合わせで
座り仲良くしようとでも言おうものなら
無断で何を食べ何かを奪っても、彼等に
罪の意識など生まれない。
つまり"友人"という言葉に関する認識、
価値観の違い。思い図るという距離感の
違いが大きく影響する。そして、侵略と
いう歴史の中で奪われ続けた民にとって
友は与えてくれて当然の存在でもあると
いえるのだろう。
しかし、自国の民の価値観が世界の民に
押しなべて通用するかどうかは別のこと。
大陸に生き侵略を受け続けた民にとって
唯一の君主を望み、その君主の力に対し
絶対的な安寧を望むという方程式は必然
であり、神ではなく同じ民族で唯一無二
と言える絶対的君主に、絶対的な統治力
を望み続ける。
同じ肌の色を持つ大陸民族の政治的闘争
の変化を眺めれば家族あるいは民族闘争
でしかなく、思想による民族統一などは
在り得ず、二千年の価値を容易く貶める。
そういう彼等の価値観を我が国が理解し
彼等と友好的な関係を築こうと努力し、
違和感や怒りを覚えるのは当然なのかも
しれない。彼等に他民族の歴史や価値観を
受け入れ理解する能力が備わっていなけ
れば、我が国が彼等と手を結び友となる
ことは到底望めない。
過去二千年余り、大東亜戦を除けば他の
民族に侵略されたことのない我が民族。
自然を神の対象に捉え感謝することなど
理解し得ない価値感に他ならない。
大陸に生き同じような肌色を持つ隣国の
民よ。建前と本音のbalance、友として
いかなる距離を保ち、歴史的価値観の上
に立ち我が国のように神を守護としその
庇護の下に生きるという価値観を理解
できるようになるためにはどうすべき
なのだろう。
望めないのかもしれない。
批判は小事に過ぎない。真の争いに至る
前に未来への道を模索していく上で我々
は何をすべきなのだろう?
力は力を呼び、憎しみは憎しみを生む。
千年も消えぬ恨みを抱き続ける未来を
選択するのか、他の民の価値観を理解し
友としての距離をbalanceよく保つ術を
互いに学び、明日に向けた決定という
選択枝をいつ提示できるかのか。
誰も知らない。
感情を乗り越える人間などいない。
覚悟は、感情の上に立つ。
人間が創り上げた壁。
人間が乗り越えるには
限界があるのかもしれない。
人間は過ちしか繰り返せないのか。
