目の前に立っていた女性。
奎吾は自分の記憶と女性の顔と声を照合した。
声はやや擦(かす)れ、目じりと口元に少し小皺(こじわ)が見えたが、安一が恋い焦がれる相川玲子に間違いなかった。
「思い出した?奎吾君」
礼子は奎吾の顔を覗き込むように言った。
「相川?だよね」
奎吾は少し驚いたように言った。
「良かった。もうすっかりおばあちゃんになったから分ってくれないかと思った」
微笑ながら恥ずかしそうに俯(うつむ)いた。
中学三年の時、同じクラスだった玲子。
控えめで物静かな印象だった彼女にしては、やや闊達な印象を受けた。
中学を卒業してから35年以上も経っている。
彼女も人生を素通りしてきた分けでは無い。
「どうしてここに?」
「こっちに帰って来たの。母を介護しなきゃならなくて」
「そうなのか。君のご家族は?」
「子供が二人いるけど、もう上の子は結婚して下の子も去年の春大学を卒業し就職したから」
「ご主人もご一緒に?」
玲子は少し視線を奎吾から外し、ゆっくりと脊を向けた。
「離婚、したの」
奎吾は僕もそうだと、すぐに言わなかった。
なぜ言えなかったのか。
明るく"俺もさ"と言えばいいだけだった。
でも、言えなかった。
言えない理由は無いと思いなが、言葉が素直に出なかった自分が分らなかった。
「ごめん。つまらない事聞いたね。あっ、で、どうして今ここに?」
「今日、ここの会社のパートの面接なの。朝9時半に来てって言われて」
「そう。僕はここの。。。」
「知ってるわ。袴田君から聞いたもの」
「安から?そう」
奎吾は、安一の企みを確信した。
「寒いから、まず中に入ろう。」
「うん」
二人は車を離れ、社の正面玄関から中に入った。
奎吾は受付の女子社員に礼子のことを告げ、自分は勤務部署へと通路を進んだ。
奎吾の会社は大手電子機器メーカーの下請け会社。
大手企業からの受注が生命線といった感じの、吹けば飛ぶような田舎の企業だった。
まぁ、地域の雇用確保というもっともらしい役割を担っているが、いつ潰れるか分らないといった感じで、社員もそれほど勤労意欲がある分けでもない。
殆どが地元に住人ばかり。
特に地域から視野を広げる必要も無く、昔から農業の傍ら小遣いくらい稼げる仕事でもあればいいという感覚だった。
だが最近は農業を続けようにもコストに見合うだけの収入を得ることが難しく、跡継ぎも減少し地域全体に過疎化が進んでいた。
玲子の実家も農家だが、耕作する跡継ぎも無く田畑はススキが伸び放題となっていた。
子は受付側と通路を挟んだ小部屋で待つように女性職員から告げられ、長テーブルの前に据えられたパイプ椅子にちょこんと座っていた。
小さな小窓から見える外は、強く降り始めた雪のため景色は白く何も見えなかった。
受付の女子社員が部屋のドアを開け、やや乱暴に玲子の前にお茶を置いた。
何か言葉を掛けるでもなく、そのまま退室した。
20~30分程時間が過ぎ、ギギッという金属が軋むような音を立てながらゆっくりと部屋のドアが開いた。
奎吾だった。
「ごめん。待たせたね。寒く無かった?ここスチーム暖房がなかなか効かなくて。小さい石油ストーブがあるんだ。まだ持ってきてないな。ちょっと待ってて」
奎吾は部屋を出て、小さな石油ストーブを左手に持ち戻って来た。
「今、点けるね」
石油ストーブの点火バーを押し下げ点火を確認し、礼子の前のテーブルに置かれたパイプ椅子を右手で引き腰を下ろした。
「履歴書は一応一通り目を通したし、もう君に聞くことないかな」
口元を緩め小さく笑った。
「いいえ。ちゃんと聞いて。お仕事ですから」
そう玲子が言うと、奎吾は少し照れながら姿勢を正した。
「分りました。では、仕事の内容は知っていますか?」
「えーと。。。」
他愛も無くmanual通り、面接ごっこのような会話をしていた。
「今はお母様とお二人?」
玲子の顔が少し強張った。
「そう。弟が一人いるけど7年前に上京してから音沙汰無し。私が看るしかないの」
「そうかぁ。お母さんはいまどんな状態なの?」
「二三年前までは身の回りのこともひとりで出来てたの。でも認知症が進んでるみたいで一度徘徊があってから目が離せなくなったの」
「そうかぁ」
「近所にも迷惑掛かるし。離婚もしたし丁度いいタイミングだったかも」
強がりと思えるような笑美を浮かべ、窓の外へ眼を移した。
「思い切ったね」
「そうするしかなかったの。仕方ないわよ」
「。。。」
「で、明日は何時に出社すればいいの?」
「えっ?あ、まだ雇用するかどうか上に確認取らなきゃ」
「そっか」
「連絡は携帯?それとも通知を自宅に送る?」
「どちらでも。でも、携帯でいいわ」
「そう。分った。じゃ、今日の面接はこれで終わり」
「お手数をお掛けしました」
そう言って二人は礼を交わし、顔を上げ目が合った瞬間クスッと笑った。
奎吾は玲子を正面玄関まで送った。
雪は更に強く降り始めていた。
「私、最近笑うことなかったの。奎吾君、ありがとう」
「こちらこそ。じゃ、また」
玲子は一礼し、振り返ることもなく降りしきる雪の中自分の車に向かって走った。
軽乗用車が駐車場から公道に出て、雪の中に消えてから奎吾は安一に電話を掛けた。
「おう、安」
「なんだ、奎吾。こんな朝早くに」
「何言ってんだ。もう10過ぎてんだぞ!世の中仕事まっただ中だ!」
「そか。分った分った」
「お前みたいな自由人とはみんな違うんだぞ」
「はいはい。で、何?」
「お前はもちろん相川玲子を知ってるな」
「何だよ、急に。当たり前だろう」
「安、お前は彼女がうちの会社にパートの仕事で面接に来ること知ってたのか?」
「い、いや。。。」
「相川は、お前から聞いたって言ってたぞ」
「えっ?なに?お前会ったのか?彼女に?」
「当たり前だろう。俺の会社に来たんだから」
「あっ、そうなんだ」
「そうなんだって、安、お前が紹介したみたいな感じだったぞ!」
「あぁぁ、なんかそういう話もしたかなぁ。。。」
「やっぱりお前、もう彼女が帰郷してること知ってんじゃねぇか。話もしてるし。何が地元に誰が居るかなんて、今回のクラス会をやる目的はだな、お前が彼女に会う。。」
「いや、そんなことは無い。絶対に無い」
「ここまで言っても白を切るか!まぁいい。後で名簿後で持って来いよ!」
「わかった。後でな」
「じゃな」
電話を切った。
玄関に吹雪が強く舞い込み始めたため奎吾は中に入った。
吹雪舞う海沿いの小さな町。
少し青臭さの残った人間達。
ほんの小さな温もりが冬の街に灯り始めていた。
少しずつ。
少しずつ。
つづく



