確かな記憶では無かった。
浴衣姿の涼子を眺めたときに、アキラは何かを感じた。
その何かは分らなかった。
自分の脳裏に残されたsceneを呼び起こすまで満ちていなかった。
夕食の器は整然とそれでいて心地よく座卓の上に据えられていた。
玄関の引き戸は静かに閉じられ仲居は出て行った。
「アキラさんはscotchとかbourbonですか?」
「いや。ただ自分で口に入れるには少量で酔える方が効率がいいからね」
「そうなんだ」
「とりあえず乾杯しようか」
「なにに?」
「ん。。。とりあえずだよ」
「はーい」
二人は食前酒で杯を交わし箸に手を伸ばした。
涼子は興味深く味わいながら、時折アキラに視線を移しては終始穏やかな表情を見せていた。
アキラはいつもの不愛想な顔で、箸を口に運び黙々と食べていた。
すると涼子が箸を止めて言った。
「そうやっていつも独りで黙々と食べているの?」
「ん?どうかした?」
「会話が。。。無い」
「えっ?そ、そうかぁ。ごめん」
「そうやって生きてきた。私もそうだった」
「君も。。。」
「孤独、それとも寂しさ?どちらにしても味も色も無い」
涼子の表情が少し陰りを見せた。
「そうだね」
「まるで毒薬のようなもの」
「涼子さん。。。」
「でも今夜は二人でしょ。お話できるよ。ね」
「そうだな。うん」
40半ばを過ぎた女と50を過ぎた男は、まるで子供のようにはしゃぎながら会話を楽しみ始めた。
過去では無く今この瞬間を語り合った。
他愛も無い会話がこれほど心を温かくしてくれるものかとアキラは感じた。
涼子も同じだった。
「あっ、そういえばアキラさん、お風呂まだ見ていないでしょ」
「そうだ。また見てないな」
「8畳ほどの檜のお風呂があるの」
「へー、じゃ後でゆっくり頂くね」
「とても肌に優しいお湯ですから、ごゆっくりどうぞ」
「まるで仲居さんみたいだね、君」
「あれっ、ばれちゃいました?」
涼子とアキラは屈託のない笑顔で笑いながら夕餉を楽しんだ。
アキラの脳裏には、うっすらと浴衣姿の少女の記憶が浮かんでいた。
「お風呂に入ってから花火しませんか?」
「花火」
アキラの脳裏に閃光が走った。
うっすらとした記憶の中に浮かぶsceneが蘇った。
「涼子さん、君は。。。」
そう言い掛けてアキラは言葉を止めた。
なぜか今、自分の記憶を確かめるのはよそうと思った。
「なんですか?」
「いや、涼子さん花火を持って来たの?」
「いいえ、フロントで売ってるの見たんです。私、後で買ってきます」
「そうか」
淡い室内の灯りは、秘められた二人の過去を照らそうとしているのだろう。
静けさはその時を待っていた。
続く


