人は、日々の生活が快適だと感じるなら
思索などしないと考えるのかもしれない
しかし、安穏とした日々の中は
不毛の日々よりも思索を巡らす要因が
限りなく落ちているものだ
それを拾うかどうかは分らないが
人が思索を巡らそうとする時、自分、私、僕
という自分の中の他人を見出し眺めようとする
しかし、いつのまにか自分と重なることに
違和感を感じ始め大抵はそこを避けてしまう
偉人以外にその場に留まれるとは思えないが
自分から抜け出せないことに限界を感じるのか
自分の中の他人を消し去ろうとする
そして、本来の自分にさりげなく戻る
なんとも利口な生き方をするものだ
自分の本能に従う時、同時に理性を働かせる
そんな器用なことは出来ないだろう
そこにどんな法則が生まれるかは理解を超えるが
但し人間が生む法則に美しさは求めない方がいい
食べ物が鍋の中からフォークで取り出され
皿の上に放り出されるだけのことなのだが
手間をかけると、言葉は不可解な現実を生む
確かに、不自然な現実、不可解な世界
これも、それも、あれも、どれも
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