時は、誰一人として待ってくれない。そんなことは知っている。
しかし、人は何かのtimingで時が止まる瞬間があることを知っている。
それは瞬間の連続なのかもしれない。
僕等人間は根なし。
だから自由に浮遊する。
それを受け入れるなら漂泊する術を知る。
そして、人は現実の時の流れの中から容易に抜け出していく。
漂白しながら自由に浮遊する。
誰もが確かに時を止める。
それは現実の中で流れる時間とは別の時間。
温かない日差しに包まれ木々の葉や草花が穏やかな風にさやと揺れる。
湖面は鱗(うろこ)のように規則的な光を放つ。
私はそこにいた。
確かにいた。
しかし、そこに現実は無い。
現実は遅れてやってくるから。
何かを考える分けでもなく、ただ水面を眺めていた。
目に見える世界はやがて動きを止め、思考は自らの時間尺度を持ち始める。
飛躍する。
その時間の中では両義的な態度は許されない。
本能と意志に従って自らの時間の中を浮遊し続ける。
現実の時間とは別の時間の中に、自らを置いている。
別の時間とは、いっい何だろう。
平凡な椅子が思考の入口になっているのか。
曖昧さの境界線にも似た時間の流れの中で自由は自由を呼ぶ。
啓示された現実は消え、全ての価値観は永遠に揺れ動く。
自らの存在すら記憶の中から遠のいていく。
そしてもはや存在せず、これからも存在しない観念と巡り逢う。
別な時間とは、現実の世界では何一つ解決できない矛盾を
思考だけで解決しようとする夢の世界ではない。
地平線の彼方に現実が蠢(うごめ)き
空と大地を結ぶ心が真っ直ぐに立っている世界。
それを心の奥深く抱きながら、別な時間の中を浮遊する。
多様な価値観の間で、人は永遠に揺れ続ける。
別な時間とは、きっと自分だけの価値観を持ちうる。
その"私だけの時間"を誰もが持っている。
三角の空は、きっとこの湖面へも繋がっている。
温かな日差しはどこまでも温かく、どこまでも自由だった。
愛もここにある。
時を止める時間とは、きっと繋がりを確かめるのだろう。






