「記憶の飽和 8」 | 我ここに在りてここに無し

我ここに在りてここに無し

青きBOUGAの果て

ひとりごとのように

詩と小説を書き綴ります。

何か心に響くものがあれば

それだけで。





アキラは、月の後を追うようにゆっくりとマンションへ入った。


夜空の星々に全て鑢(やすり)を掛けたように輪郭を失い掛けていた自分の心の中に、今映る月にだけは誰かを重ねていることに驚きを感じていた。

テラスの窓を開け、少し冷たい夜風が入り込む室内に灯りは無かった。

ただ、月明かりだけがアキラの影を静かに映していた。



江口の残した言葉はアキラの心に息を吹き込んだ。


"貴方が過去に背を向けても過去は消えません。しっかりと確かめるべきでは?逃げていても貴方は過去をどこかで追い続けている"


無意味だと思える記憶。

何故、意識の中に立ち上がるのか理解できないone scene。


辿り着く場所も分らず現実を飛び続けたアキラの翼はボロボロだった。



$のんびりと



誰の心も寄せ付けず、閉ざされた世界で生きてきたアキラ。


その心に初めて風が入り始めていた。




立ち上がる記憶の理由を知りたい。



アキラはそう思った。



ただ知りたいと感じた。


初めて心に素直になれたアキラだった。


"If"ではなく、心が決めた意志に従って生きてみようと思い始めていた。


江口から渡された名刺の裏に書かれた番号を眺め、他人の言葉と自分の心を結びつけ考えようとしていた。



アキラは無意味な記憶に向き合い、確かなものを掴もうとしていた。


誰にも心を見せず、誰にも頼らず、そうするしか生きて来れなかったアキラが一番欲しかったものを。


それは気まぐれでもなく魔が差すということでもなく、初めて他人から干渉されたいと感じ始める何かなのだろう。


それは優しさという言葉ではなく温かい"予感"めいたものかもしれない。


アキラはそれが何かは分らなかった。


月は灯りは言葉無くアキラを包むように照らし、素直に生きてみようとする心の飛躍を温めているようだった。




人は何気ない言葉一つで人生の果てを変える。


"If"ではなく、確かなもの。




永遠に気付かぬまま人生の果てに辿り着くのか。


それとも果てを変えるのか。






理由無く零れ続けるアキラの涙を、月は照らし続けた。






つづく





$のんびりと