一歩を
踏み出すため
どれほど
時を
過ごしたのだろう
自分でも
分らない
いや
自分のことだから
分らないのだろう
その
理由が分るなら
とっくに
踏み出している
意志という
右足と
幸せという
左足の
どちらを
踏み出し
歩き始めるのか?
歩きながら
眺める
景色に
触れることなく
過ごすことを
不自由だと
感じないまま
歩き続けて
来た
景色を
眺めるだけで
幸せだと
感じるなら
それでも
人は
生きて
いけるだろう
しかし
人は
触れなければ
ならないものが
必ず
ある
触れなければ
意志も
幸せも
無意味になることを
無関心なまでに
装い続けても
人の心は
それを
許さない
いや
君も
僕も
許さないだろう
流れる景色は
触れるためにあるから
今を
生きていると
感じ続けるために
足を踏み出す
時間稼ぎは
人間の
特権かもしれないが
触れなければ
ならないものを
失うより
一歩
踏み出すべきかもしれない
旅は
その仕掛けを
simpleに
魅せる



