遠い昔。
いや、今も私は父のように生きることを本当は拒んでいるのかもしれない。
それが避けられない運命であるということを受け入れるために、思い立ったように書き綴ろうとしているようにも思える。
まるで背中から潮が満ちるように。
正確には、自分が最も嫌う父の姿を、そして彼が歩んできた人生を自分の生き方に重ね見ることができるようになったと言うべきかもしれない。
彼は、もはや私に笑顔しか向けず、自らの信念で生き続けた人生に終止符を打とうとしている。
苦悩など一つも無いと言い放ち、幸せを満喫するかのようなその表情に私は笑顔しか向けることができず抱きしめている。
人は、自ら生まれ出場所を選べず運命と向き合う。
その時、運命は終わり本来の自分に戻る。
父と私は明らかに別人、別の個体であるという事実があるにも関わらず、私は自分の姿を父に重ね憂鬱だった。
それが運命だと認めたくはなかった。
同じ人生を歩むのかと。繰り返し問い続ける人生だったかもしれない。
私は、なぜ生まれ何のために生きるのか自分に問い続け深く沈む日もあった。しかし、そう自分に問えることはまだ幸せなのだろう。
今だからそう感じるのかもしれないが。
私は、父と全く違う人生を歩こうと努力し、父の姿から少しでも離れようとしていた。それは本能的なものだったのか、あるいは環境に対する嫌悪感なのか区別することは難しいだろう。
しかし、本質的に父の生き方に疑問を持ち嫌っていたわけではなかったことも知っていた。
時に幼い子供のように夢を語り、自らの人生に陶酔するかのようにはしゃぐ父の姿は可愛いとさえ思えたが、私はその笑顔すら消そうとしていた。
今、父の後ろ姿を辿りながら、私も同じ稜線を辿り見果てぬ夢の果てへ向かおうといとしている。
そこに疑問も苛立ちも無く、自分の本来あるべき姿に立ち戻るべく明日を眺め輪郭を描き色を付け始めている。
色塗りは苦手だが輪郭なら描けるようだ。
今、父という存在から離れたいという感情は薄れ、彼の背を眺め父を包むことができる自分を受け入れようとしている。
人は運命と出会い、その時運命は終わり本来の自分たる自分の意志を知る。
そこに父と重なる自分を見たとしても、何憂うことなく怒りも悲しみも無く淡々と彼を見守る。
私という人間の意志は、彼を見つめ生きるべきだったかもしれない。
年月とは、心の角を削り取るのか、嫌なことから逃げる術を会得するものなのか、いずれにしても鏡に映る私の顔に穏やかな笑顔を見始めている自分に秋を刷り込ませている。
遠い昔。
それは
今蘇る自分の笑顔に、父を重ねることなのかもしれない。
とりとめもない雑記でしたね^^
では、また^^;
穏やかな夜を。。。。。。

