先にお湯から上がり、錬太郎は浴衣をはおり手ぬぐいを左手に持ち、ゆっくりと部屋へと続く渡り廊下を歩いていた。
少し傾きかけた渡り廊下の窓から、顔を覗かせる月を見ながら。。。ゆっくりと。。。
その日は移動の疲れもあり、すぐ眠りについた。翌朝、錬太郎は早く目が覚め、旅館を出て周囲の渓流を散策しに出かけた。
朝方はまだ少し冷えるが、錬太郎は何か感覚が研ぎ澄まされているように感じていた。その感覚は言葉には言い表せないものだった。
朝靄が渓流を包み日差しは控えめに差し込み、川面がキラキラと。。。いや。。。まるで穏やかな風のように、そして新鮮な自然の力を運んでいるかのようだった。
この風景の中にあっては、錬太郎は役不足だった。むしろ、詩人を連れて来なければならなかったと。。。錬太郎は笑みを浮かべながら、川の流れに左手を入れしゃがみこんだ。ひんやりとして身体が全てその一瞬に清められるような感じだった。
川の水から手を引いて、しゃがんだまま向こう岸に目を移した。すると旅館の中居さんがいた。
そう。。。昨日の女性が花を摘んでいた。籠には額紫陽花が。。。
錬太郎は声を掛けようとしたが、その風景を感じ取ることの方が大切に思えた。暫く眺めていると、彼女が錬太郎に気付いたようだった。
「お客さん、おはようございます。お散歩ですか?朝は気持ちがいいですよね。お部屋に飾るお花を摘んでいました」
と澄み切った声が渓流に響いてきた。
錬太郎は、少し昨夜と違い大きく口を開け
「はい。とても気持ちがいいですね!そちらにはどうやって渡ればいいのでしょう?」
と聞いた。すると
「浴衣をたくり挙げて、ほらっ。。。こうやって」
と、彼女は膝上まで着物をたくり挙げ身軽に川を素足で渡りはじめていた。
真っ白な素足は、彼女の川の水を跳ね上げ、踊るようにさえ錬太郎に見えた。彼女が近づいてきた。。。
「私、身軽なんです♪」
はしゃぎながら、闊達に微笑みながら話しかけて来た。
「君、名前は?」
と、聞くと彼女は小首をかしげながら
「花に聞いて見て下さい。。。」
チャメッケたっぷりに言って、旅館の方へ走り去った。
花に名前を聞く?ん。。。錬太郎は彼女に不思議な感覚を感じつつあった。
朝の日差しは、彼女の香り。。。微かな。。。額紫陽花。。。の香りを。。。照らすかのようであった。
錬太郎は少し渓流を散歩し、1時間ほどで温泉旅館に戻た。部屋には朝食が既に用意され朝露を含んだ額紫陽花が生けてあった。
箸をゆっくり口に運び、時折。。。額紫陽花に目を向け静かに朝食を楽しんでいた。食事が済んだ頃、彼女が
「おはようございます。朝食はお済みでしょうか?」
笑顔で挨拶し、善を片付け始めた。錬太郎は
「さっき、川で。。。君。。。花に聞いてって言ってたよね。あれ。。。どういう意味かな~教えてくれる?」
「お客さん♪。。。朝、私と出会えて。。。何か感じませんでした?」
と。
錬太郎は首を傾げた?
「えっ?何を?ん。。。。」
「私は、お客さんに会えると思っていました。ずっと前から」
錬太郎はキョトンとしていた。
彼女の言葉の意味するものとは。。。
つづく