52. | 我ここに在りてここに無し

我ここに在りてここに無し

青きBOUGAの果て

ひとりごとのように

詩と小説を書き綴ります。

何か心に響くものがあれば

それだけで。



 彰の親父の発した言葉に、多少戸惑いを受けた彰だった。食事を終え父と帰る途中、彰は父に話し掛けた。





「おやじ、さっきなんで女将にあんなこと言ったんだ?おふくろの墓参りに一緒に行ってくれなんてさぁ。それに女将も快諾するし、どうなってるんだ?」





 父は何も答えなかった。二人は無言のまま歩き続けた。ほろ酔いの親子にとって夜風は心地良かった。月は青く輝き、とても穏やかな夜道だった。

彰の父は、急に立ち止まった。





「彰。。。」


「ん?なんだよ」


「お前、俺が親父でよかったか?」


「なんだよ、急に。今更、聞くことかよ」


「そうかぁ、やっぱり親父失格かな。。。」



 父は言い、またゆっくりと歩き出した。


 彰は、父を見守るようにゆっくりと後ろに付いて歩いた。父の背中などじっくり眺めたことなど無かった。小さい頃一度だけ父に連れられ、川沿いの防波堤に釣りに出かけたことがあった。とても暑い夏の朝、父は汗を掻きながら彰を荷台に乗せ自転車をこぎ、釣竿を抱えた彰が父の大きな背中に必死にしがみついていた記憶がある。


 今、青い月明かりに照らされた父の背中を眺め、年老いたことを感じた。

 彰は、小さい頃あれほど大きいと感じた父の背中が小さく見えたことに時を重ねた父の人生を思い浮べた。どれほどの孤独を乗り越えて来たのだろうと。


 ただ、それを心で支えてきたのは母であった。こんな夫婦もいるのかと、彰は改めて考えさせられた。


 物が豊かになると、子育てというものは難しいものかもしれないと彰は感じた。確かに日本中が貧しい時代に生まれた訳ではないが“あれがあったら”“こうしてくれたらもっと”とか。だが、独りでがんばっている母を見ていれば我侭など言ってはいられなかった。

 
 その反動か、家族にだけは、自分が味わったような生活だけはさせたくないと出来る限り不自由させないようにしてきたつもりだった。


 しかし、それがなぜだろう。妻も子も離れていく。いや、彰は自分自身が離れているのかもしれないと疑問符が浮かんだ。家族に特に何かを求める訳ではなかった。

 
 ただ、独りよがりな感情かもしれない。物が豊かになることは心の豊かさと比例するように思っていたが、自分が家族を持って難しさを感じ、彰は心の中で自問自答しながら生きて来た。





「彰、俺が家族を大切に思っていたと言ってもお前は信じないだろう」


「いや。それは、もういいんだ」


「なぜだ?」


「親父が、家族を愛しているっていくら言ったって、子供の俺に通じるはずが無かったからさ。俺が親父の歳にならなきゃ分からないことだから。
今なら少し解る様な気がする。言葉だけで愛なんて通じるもんじゃないってことさぁ。でも、親父と“愛”を語るなんてな~。。。まいったな」





 彰も父も笑顔だった。笑いながら歩く父と息子。こんな時を過ごすことなど、この親子にとって考えも付かないことだったろう。物が無いときは、心を物で表現することがし易かったかもしれない。


 たった一度父と釣りに行ったことだけで、それがとても大切に思い出になっていた彰。ものが豊富であればあるほど物で心を表現し家族に心を伝えることが難しいのかもしれない。そう彰は家族を省みた。


 人は、日々顔を合わせ傍に居る人間に自分を理解してもらいたいと願えば願うほど互いに心が離れ、普段遠くにいて遇うことも出来ない人間とは、距離や時間など無意味だと思えるほど一瞬にして心を通わせ互いを理解するという、矛盾しているようにも思える人間関係。


しかし、そう思わずにはいられない夜だった。





「おやじ、夫婦って何だよ」




 彰は親父の背中に向かって語りかけた。




「“のぼせ”が始まりで、二人でも一人になっていくのが夫婦。いや、でも一人でも二人かな。俺はそうかもしれない。そうだったからこそ生きてこれた」




 親父は空を見上げた。彰は女将の言葉を思い出していた。何も無いことが分かっているから空を見上げなくなる。でも、親父には空の向こうに確かなものがあるのだろう。そう思っていたい彰だった。



 また、二人は静かに歩き続けた。



 彰の自宅玄関に着いたとき、父は玄関脇に置いてある額紫陽花を見た。



 青い月明りに照らされた額紫陽花は、薄紫色の花びらを夜風に静かに揺らしていた。



 もう7月が来る。親子はこれから今をどう生きていくのか。。。




つづく