それぞれが、歩んできた人生。その道を辿ることから愛を語っていた。
誰しも同じ愛などないはず。あるのは、その時々精一杯自分なりの愛を感じながら生きてきた。ただ、それだけのこと。
だれも、その人の愛など知りうることなどできない。それぞれの人生と照らしながら、聞き入っていた。
振り返ることでしか、愛は理解できない。
彰は、感じていた。人に恋し身も心も入り込む。だれも終着駅を気にすることなどせず、ただ、走り続ける。途中下車することなど考えもせず、ただ走りだす。
気づいてみれば、途中下車している。いや、乗り過ごすことさえ。もう既に身も心も置き去りにしている。そんな互いを知り、来た道を振り返ることもせず今を憂う。
なぜ、人は途中下車に気づかないのだろう。
なぜ、乗り過ごす恋に気づかないのだろう。もっと互いを思いやれたなら。しかし、そんな後悔すら無意味に思えてくる彰だった。誠司のように、その時の自分の心に素直になっていたなら、女将のように心と身体で愛を語ることも出来ただろう。
しかし、彰は思いやることでしか愛を語れない。どこかで、自分の素直な心を押し殺している。なぜだろうと、彰はいつも思う。
人の言葉を借りた愛など、なんの意味もない。語るに語れぬ愛もあるだろう。彰は、自分の心に探りを入れた。いや、言えない。まだ。。。いつもの彰の心とは何かが違っていた。
彰が、低い声で女将に言った。
「この店、どうして“裏木戸”って名前付けたの?」
「あらっ、初めてね。彰さんがそんなこと聞くの」
「そうねぇ。店の名前って、お客さんはあまり聞かないものよ。聞いても、“珍しいね”とか“あまり聞かないね”とか“変わっているね”って言うくらいなぜ?どうして?って聞くお客さんはいないわぁ。でも、過去に一人だけいたの。店の名前の由来を聞いた日から一度も来ていなけど」
「えっ、それって男?だよね」
「彰、当たり前だろう。女将が心に留める人だぜ!男に決まってるさ。なぁ、女将♪」
「まぁ、誠司さんたら。そんなことないけど、まぁ中年紳士とでも言っておくわぁ♪」
「で?女将になんて聞いたの?」
「彰さんがさっき言ったように聞いたわぁ」
「女将はなんて言ったの?聞きたいなー♪」
「お二人とも、この店の玄関はどこだとお思い?」
「そこの引き戸だろう?暖簾が掛かっている。彰もそう思っているだろう」
「あぁ。でも、違うの?女将」
「表向きは、そこが玄関だけどね。私小さい頃住んでいた家の裏に庭を囲む塀があったの。それで、その塀にギギッーと開く木戸があったのね。いつもそこから家の出入りをしていたの。家族も。玄関からで入りなんかしないの。どうしてなのか小さい頃は分からなかったけど、正面の玄関って家に来るお客を迎える入り口だったの。たまに、父が正面から入ることがあったけど、その父でさえ裏庭の木戸を開けて、そこから家に入っていたの」
「へーっ♪」
「誠司、その親父の駄洒落はやめろ!それで?」
「だから、裏木戸って家族だけが通り抜けできる場所のように感じたの。正面玄関はお客様用」
「そっかあ、女将はお客じゃなく家族として俺たちを向かえてくれていたんだね。だから“裏木戸”なんだ。そうだよね♪」
「彰さんの言う通り。でも、もう一つ意味があるの」
「何?」
「彰さんは、自分の内と外って考えたことある?」
「内と外?」
「俺はあるよ。内と外♪」
「あらっ、誠司さんあるの?」
「内は家庭、外は仕事さぁ。俺の頭じゃ、こうしてメリハリつけるのが一番すっきりする。でも、外ばかりかも。内は崩壊しているのかなー?♪」
「ほら、そうでしょう。でも、誠司さんが言っていることに近いのよ。内と外を区切る場所がないと自分がわからなくなるの。どこまでが内で、どこからが外かって。心で区切れないの。だから私にとって“裏木戸”は自分の心の内と外を区切るものだったの」
「そうかぁ。だから、ここではお客さんに外の自分じゃなく、内の自分でいて欲しいの。そして家族のようにこの空間で少しでも穏やかに時を過ごして欲しい。そんな想いで名前を“裏木戸”にしたの。つまんないでしょー?♪」
「そんなことない。女将って、結構深いところで考えているよね。おれ、いつも感心する」
「あら、彰さんありがとう♪」
「俺も、そう思っていたよ♪でも、女将、一つだけ聞いていい?」
「何?誠司さん」
「女将、その店の名前の由来を聞いた男は、本当に一度しか来なかったの?」
「ええ。一度来たきりよ」
「ふーん。どうしてそんなに女将の心に残っているの?」
「わからない。でもね、私その男性を好きになったの」
「えっ?誰か名前も知らない、いつ来るかも分からない、そんな男性を今でも?」
「そう。今でも好きなの♪不思議?」
「彰、お前考えられるか?俺は無理だな!」
「その男性のどこに惹かれたの?店の名前を聞いて来たから?それだけじゃないでしょ?」
「もう一度言うけど、女って心で恋をするのよ。分かる?」
女将の言葉を聞きながら、人間は“ぼやけて見える方がいい”と彰は思った。
外の通り雨は止み、大きく光る月が夜の街を照らし始めていた。
一風が彰の心を通り抜けていった。
つづく