2.「夢の手前」 | 我ここに在りてここに無し

我ここに在りてここに無し

青きBOUGAの果て

ひとりごとのように

詩と小説を書き綴ります。

何か心に響くものがあれば

それだけで。





 挨拶もなく、疾風のタマは錬太郎の一つ隣の椅子に腰掛けマスターに向かい右手の親指を立てた。いつもの挨拶なのだが、
70歳を過ぎた女性とは思えない効率のよい動きである。ぐうたら錬太郎の動きとは程遠い。そうそう、錬太郎は50歳になるが自分では若いつもりでいる。ある意味ナルシストかもしれない。錬太郎は「相変わらず俊敏だね、タマさん」と低い声でゆっくり語り掛けた。するとタマさんはサングラスをはずしながら「年寄りだと思ってからかわないでくださいね」と風体とはかけ離れた品のある小声で言葉を返した。呆れ顔のマスターが「いつも二人が揃うと夜が長いんだよな~」と言いながらタマさんにビールを注いだ。Fly With The Windが狭い空間に流れていた。


 錬太郎は二杯目のバーボンを口にしたところで「今夜の雲は低くとても速く流れている。雲の隙間から見え隠れする月が、慌ててかくれんぼしているみたいだよ。でも、居場所は解るものだね」と言うと、タマさんが「また始まりましたね、天性のロマンチストの語りが」とちゃかした。「そう、私はロマンチスト。今夜も隠れる月を追いかけてこの店にたどり着きました」とグラスを持ち上げマスターを見た。マスターが「タマさんは丘を駆け抜けてきたんですね」と笑顔を向けた。「そう、私は疾風。マウンテンバイクに跨り街を駆け抜け、風に乗ってこの店にたどり着いたのよ」とタマさんらしく爽やかに答えた。この三人の会話を聞いて可笑しいと思うかどうかは人それぞれの感性による。まぁ、一般的な挨拶代わりの会話とは言えないかもしれないが洒落気たっぷりである。


 「夢の手前の現実をお二人は生きているような気がしますが、如何でしょう?」と言葉を二人に振った。錬太郎はグラスに付けていた口を放し「私は毎日現実に翻弄されながら生きているようなものです。途方もない喪失感に身体ごとの見込まれてしまう」と奥の棚を見つめながら言った。「呑み込まれて癒されているんでしょ、錬ちゃんは。違う?」とタマさんは錬太郎を見ながらビールを喉に流し込んだ。確かにそうかもしれないと錬太郎は思った。「社会は現実に解決できない自分の抱えている矛盾を少なくとも思考の中のみでは解決に導こうとしているようですが、お二人とも矛盾すら呑みこんでいる人生の達人みたいですよね」と少しからかうように棚へくるりと身体を向け次の曲を掛けた。ヘルマンヘッセ、スピッツのロビンソン、二コール・キッドマン、錬太郎の頭の中を漂い始めていた。「ありふれた魔法」がこの店にならある。そう思えた。夜は、めぐりあう時間たちにグラスを与え、琥珀色の夢の手前を漂わせながら三人を包み込んでいた。今夜の月は少し目隠しをして本当に隠れている方がよさそうである。


 三人を包むようにMcCoy Tyner





つづく

  Yesterdaysが流れはじめた。