心身ともにやられながら、Final(期末試験)の大半が終わった
あとは、筆記試験1科目と統計のモデル作成を残すのみである。
このタームの期末試験は本当にタフで、この2週間は何度も壁に向かいながら「私は何でアメリカでこんなに追い詰められてるのだ」と思ったものだ。いや、まだ終わっていないんやけど![]()
そこで、思い返した。そういや、私は何でアメリカのビジネススクールに来ようと思ったんだっけ。
出願時のエッセイにも書いたし、インタビュー対策で何回も練習した”Why MBA?" ヒーヒー言いながらも前に進み続けるしかない今だからこそ、ちょっと振り返ってみようと思う(よそ行きの回答だけじゃなくて本音も含めて)
よくよく思い返しても、しっかり頭の中を整理してみても、自分に素直になってみても、行きつく主な回答はこの3つ
・リーダーになりたい
・ITコンサルから抜け出したい
・憧れ
リーダーになりたい
まず、リーダーになりたいと言っても、別にMBAへ行かずとも日本の会社で頑張ってマネージャーにでもなれば良いじゃないか、と思うのはもっともだ。でも、それじゃ駄目だと思った。
少子高齢化で人口が減る日本社会で、労働力の多様化が求められていた。「女性」とか「外国人」がキーワードになってもっともっとダイバーシティーを!という言葉だけが先歩きしていた受験期(2016年~2017年)。
ダイバーシティって何ぞや
というテーマをここで取り上げると止まらなくなるので、言葉の定義は別の機会にしよう。とにかく、これまで閉鎖的だった日本ビジネス界が、「働き方改革」というこれまた新しい取り組みと共に多様化することが求められ始めたのだ。
実際、私も社内で中国人やインド人の同僚を持ったり、女性マネージャーの下で働いたりすることがあった。
けれど、何かぎこちないのだ。女性管理職に関しては、数字(人数)を増やすことをゴールとしているように思えた。そして、彼女たちは男性化して初めて評価の対象になる。ありのままで受け入れられるわけじゃない。Let It Goじゃない![]()
また、外国人に関しても同じで、まるで日本人の様な考え方・働き方をする様になって(日本人化して)ようやく戦力と見做してもらえる。
しかも、日本人の上司はこれまで日本人としか働いてこなかったから、どうやって外国人の部下たちの能力や個性を仕事に活かすよう導いていいのか分からない。結局、日本人化することを求め、何のための「多様化」なのか分からなくなる![]()
こういうことが益々起こりうる日本のビジネス界でリーダーになりたいと思った。私は女性で、これからも女性として生きていくので、「女性」という要素は変えようがない。だから、「日本人も外国人も混ざった組織を導ける女性リーダー」にならなければと。その為にはどんな訓練が必要なのか。
私の答えは、一度日本を飛び出し、自分がマイノリティになり、多様性が良しとされる社会に身を置いて、リーダーに必要な知識や技術を得るということだった。だから、アメリカのビジネススクールだった![]()
ビジネススクール(MBA)という環境を選んだのは、ビジネス界でリーダーになりたいという、自分の舞台が決まっていたから。音楽界なら音大へ行けば良いし、医学界ならメディカルスクールへ行けば良い。かつ、ビジネス界の中でも自分のコンサルバックグラウンドを活かしつつ発展させたかったから、ロースクールでもアカデミックな修士課程でもなかった。
ビジネススクールでは、経済・会計・マーケティング・オペレーション等幅広く(浅くはあるが)知識を得られると同時に、チームワークやプレゼンの機会が圧倒的に多い。卒業後に即ビジネス界で活躍することを前提としたカリキュラムが組まれている。学校からもプレッシャー![]()
アメリカという国を選んだのは、自分がマイノリティになって訓練したかったから。
シンガポールや香港は中国留学経験のある私にとっては魅力的な立地だったが、だからこそマイノリティになり切れない。それに、あまりにも居心地が良すぎる。駄目だ、最初は居心地が悪いくらいでないと。
また、欧州ビジネススクールは私にとっては国籍が多様化しすぎている。自分が「留学生」というマジョリティー集団に属してしまい、かつ多国籍であることが当たり前すぎる環境も自分に甘くなりそうだ。そう、あくまで居心地は悪く。楽しく暮らすなら、スペインとかめちゃめちゃ魅力的なんだけどさ![]()
ちょうど良いのがアメリカだった。良い意味で居心地は悪い。でも、アメリカ人は組織の中に多様性が存在することにとても敏感だ。日本人の私からすると十分多様性に富んでると思うが、彼らの人種や多様性に対する対応は相当敏感で、常に注意して意識的に多様化に取り組んでいる。
これ以上進めると、じゃあどうやって学校を選んだのか等の詳しすぎる領域に突入してしまうので、「リーダーになりたい」はここまで。
ITコンサルから抜け出したい
ネガティブな気持ちではなく、「IT」と「コンサル」というバックグラウンドを活かしながら、他の職種や業界でも経験を積んでキャリアアップを図りたいと思ったから。コンサルが嫌になったわけではなく、何ならいつか戻りたいと思っている。
日本にいた頃、自分の市場価値を知るために転職の相談もしてみた。すると、条件の良い求人はこれまでの業務とよく似たものばかり。ああ、無邪気に異業種にチャレンジするには経験を積みすぎた(年を取りすぎた)なと![]()
それでもやはり広い分野でチャレンジし続けながらキャリアアップしたい。じゃあどうするか。自分に何か全く新しい価値を加えて、売り込むしかないと。
そこで真っ先に思いついたのが、資格関係。もともと好きだった英語とか、IT関連に加えて、新しい分野である会計・統計関連とか、色々。実際、知識を身に着けるというゴールを達成するには、それで十分だと思う。でも、やはり、上記の様な環境でリーダーになりたいという気持ちがあった。そのためには、資格証書を保有するだけでは足りなすぎる。だから、知識もスキルも身につけながら、アメリカで自分を鍛えるというMBAが自分には必要だという結論に達した。嗚呼、達してしまった![]()
憧れ
まず、受験勉強がハードすぎる。英語の試験であるTOEFLに加えて、GMATという試験もある。GMATはアメリカ人と勝負せねばならん。エッセイを書いたり面接もある。次に、費用がかかりすぎる
ビジネススクールの授業料って何てお高いの!生活費もかかるし、2年間仕事に就かないので収入の機会損失も大きい。そして何より、卒業後に本当にキャリアアップ出来るという保証はない。なんなら、日本はアメリカほどMBAという学位が普及しているわけではないからリスクだらけやろ、、、。
こんなネガティブ要素たっぷりなMBAへの挑戦を後押ししたのは、「憧れ」だった。全く論理的じゃないけど、言葉では説明できない情熱とか思い入れが私の背中をプッシュしてくれた。しやがった。
高校2年生の夏、アメリカの大学へ進学しようと思ったが色々あって諦めた。その時は、それも良しと思ったし、日本の大学は本当に充実して楽しかった。多分人生を通して付き合っていくであろう友人2人とも大学で出会った。アメリカに行っていたら出会えていなかったし、私の人生に思いがけず大きな影響を与えることになった中国語や中国にも出会っていなかったかもしれない![]()
そんな風に、自分の人生に満足し、後悔はしていなかった。でも、アメリカの大学で勉強するという憧れは何年経っても消えなかった。
憧れって誰しも形を変えて持っていると思う。都心の高層マンションに住む憧れ、素敵な人と結婚する憧れ、高級バッグをたくさん持つ憧れ、色々。憧れって別に何でも良いのだ。自分の生活を人生をより良いものにあげてくれる原動力になるから。
私の憧れはアメリカの大学で勉強することだった。16歳の頃から、たまに誤魔化しながら忘れたふりをしながらも手放せなかった憧れは、いつの間にか超強力・巨大なもになって、もう叶えるしか手はなかった。リスクたっぷりの無謀な挑戦を後押しするには十分すぎる憧れになっていた。
大好きな漫画「宇宙兄弟」で宇宙飛行士の日々人が言ってた。「諦めんなよ。もし諦め切れるんなら、そんなもん夢じゃねえ」
おお、アメリカの大学へ行くのは私の夢だったのか。そうとは知らず、ズルズル引きずってしまったぜ。
こんな経緯でアメリカのビジネススクールにやって来たわけです。だから、しんどい思いをしても、不安になっても、こっそり悔し涙を流しても、やっと夢叶えて、やっと次の夢へのスタート地点に立てていることはやっぱり嬉しい。ビジネススクールに来ている皆それぞれが各自の理由を持ってきていると思う。改まって聞いたことはないけれど、ぜひクラスメイト達にも聞いてみたいなと思う。
以上、ビジネススクール1年目を終えるにあたって誰かに伝えてみたかったのと、試験前の現実逃避でした。こんな長文読んでくれた人がいたら、本当にありがとう。
この記事は予約投稿にし、公開されるタイミングでは私は夏休みに突入してると思う!そう願ってる!ついに西海岸への旅とインターンシップが始まる。
うきゃっぽー![]()
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