昨日、なんとなくテレビを見ていた。

ゆとり教育の弊害という議論がなされていて実に興味深い話をしていた。

ゆとり教育の弊害は学力の低下とかそういうものでなく、評価が関心意欲態度になってしまったこと。
そのために子供のうちから高い評価を得るためには態度をよく装うという傾向があるらしい。
ゆとり教育以前は競争のなかで結果を求める社会であったが、ゆとり教育では努力やその過程を重視するということだろう。
ここまでが昨日のテレビの議論。


どちらが良い悪いは別として、オレは年長者から「これだからゆとりは」という言い方をされるとぶち殺してやりたいくらい腹が立つ。だってそうじゃない?自分がゆとり教育を望んだわけでもなく、ゆとり教育を推進する政治にしたのは参政権をもっていたかつての大人であり世論もゆとり教育へ大きな反対はなかったにちがいない。だから「ゆとり世代は~、我々のときは~」って言うやつはくたばれ。
それにオレはゆとり教育の枠組みの中でも自ら気付き自分を磨いてきた自信はある。それはゆとり世代じゃない奴らにも負けている気はしない。


文句はさておき、冷静な議論は「関心意欲態度」についてである。
子供の頃に身についたものというのは一生残る。
知らず知らずのうちに我々の世代は態度をよく振る舞うことが評価されると思ってしまう。たしかにこれは思い当たる節がある。
オレは努力したのに認められない、成果が出ないことが一番嫌だと感じる。また同世代の大学生を見ていても「授業真面目に受けてレポートも出したからテストだめでも単位とれるっしょ」という会話をよく聞く。やはりオレも含め我々の世代は結果よりも態度や意欲といった過程を評価されるという思い込みが知らずのうちに身についているようだ。



ただ、いつの時代にも「いまどきの若者は」という風潮がある。
このゆとり教育の教訓を活かして(成功失敗は別問題として)、ただ批判するだけでなく今後の教育制度について国民は冷静に判断するべきである。
我々はゆとり教育の第一の実験台にならざるを得なかったのだから。
勉強したいが眠い。
勉強したいが眠い。
勉強したいが眠い。








眠いといえばうちの親父を思い出す。


あれはたしか一年ほど前の寒い冬だった。


オレはバイトで疲れて帰宅し、寝ていた。


親父はいつも通り酒を飲み、一階で寝ていた。







明け方、ゴーンという物凄い音がした。
我が家の近くは交通事故が多いのでその手の音には慣れていた。

さらに眠いのでオレは無視。


するとばーちゃんが凄い勢いで階段を上がってきた。おそらく野球部の階段ダッシュより速かっただろう。
そしてこういった。



「父さんが血だらけで倒れてるべ!!」


弟と母さんは眠いためか無視。薄情な家族である。


仕方なくオレは一階の親父のもとへ行くと頭から流血して倒れている親父の姿が。火曜サスペンス?まさか犯人はこの中にいるってパターンか?




オレ「…どうした?」
親父「い…い…いのししが…」


そう言って寝てしまった。テレビも返り血で赤く染まっていた。



(いのしし?わけわからん。まぁ生きているしいいか)










後日、親父に話を聞くと猪を追っかける夢を見て実際に追っかけてしまったらしい。そして真っ暗闇の中、木に激突。現実世界ではテレビに激突したのである。





そして親父は頭に包帯を巻いて仕事に向かっていった。
暇が欲しい。
暇で暇でどうしようもなくて、何も考えることなく本でも読んで昼寝してっていう生活が3日くらいしたい。


あ~風邪ひいた