昨日、なんとなくテレビを見ていた。
ゆとり教育の弊害という議論がなされていて実に興味深い話をしていた。
ゆとり教育の弊害は学力の低下とかそういうものでなく、評価が関心意欲態度になってしまったこと。
そのために子供のうちから高い評価を得るためには態度をよく装うという傾向があるらしい。
ゆとり教育以前は競争のなかで結果を求める社会であったが、ゆとり教育では努力やその過程を重視するということだろう。
ここまでが昨日のテレビの議論。
どちらが良い悪いは別として、オレは年長者から「これだからゆとりは」という言い方をされるとぶち殺してやりたいくらい腹が立つ。だってそうじゃない?自分がゆとり教育を望んだわけでもなく、ゆとり教育を推進する政治にしたのは参政権をもっていたかつての大人であり世論もゆとり教育へ大きな反対はなかったにちがいない。だから「ゆとり世代は~、我々のときは~」って言うやつはくたばれ。
それにオレはゆとり教育の枠組みの中でも自ら気付き自分を磨いてきた自信はある。それはゆとり世代じゃない奴らにも負けている気はしない。
文句はさておき、冷静な議論は「関心意欲態度」についてである。
子供の頃に身についたものというのは一生残る。
知らず知らずのうちに我々の世代は態度をよく振る舞うことが評価されると思ってしまう。たしかにこれは思い当たる節がある。
オレは努力したのに認められない、成果が出ないことが一番嫌だと感じる。また同世代の大学生を見ていても「授業真面目に受けてレポートも出したからテストだめでも単位とれるっしょ」という会話をよく聞く。やはりオレも含め我々の世代は結果よりも態度や意欲といった過程を評価されるという思い込みが知らずのうちに身についているようだ。
ただ、いつの時代にも「いまどきの若者は」という風潮がある。
このゆとり教育の教訓を活かして(成功失敗は別問題として)、ただ批判するだけでなく今後の教育制度について国民は冷静に判断するべきである。
我々はゆとり教育の第一の実験台にならざるを得なかったのだから。
ゆとり教育の弊害という議論がなされていて実に興味深い話をしていた。
ゆとり教育の弊害は学力の低下とかそういうものでなく、評価が関心意欲態度になってしまったこと。
そのために子供のうちから高い評価を得るためには態度をよく装うという傾向があるらしい。
ゆとり教育以前は競争のなかで結果を求める社会であったが、ゆとり教育では努力やその過程を重視するということだろう。
ここまでが昨日のテレビの議論。
どちらが良い悪いは別として、オレは年長者から「これだからゆとりは」という言い方をされるとぶち殺してやりたいくらい腹が立つ。だってそうじゃない?自分がゆとり教育を望んだわけでもなく、ゆとり教育を推進する政治にしたのは参政権をもっていたかつての大人であり世論もゆとり教育へ大きな反対はなかったにちがいない。だから「ゆとり世代は~、我々のときは~」って言うやつはくたばれ。
それにオレはゆとり教育の枠組みの中でも自ら気付き自分を磨いてきた自信はある。それはゆとり世代じゃない奴らにも負けている気はしない。
文句はさておき、冷静な議論は「関心意欲態度」についてである。
子供の頃に身についたものというのは一生残る。
知らず知らずのうちに我々の世代は態度をよく振る舞うことが評価されると思ってしまう。たしかにこれは思い当たる節がある。
オレは努力したのに認められない、成果が出ないことが一番嫌だと感じる。また同世代の大学生を見ていても「授業真面目に受けてレポートも出したからテストだめでも単位とれるっしょ」という会話をよく聞く。やはりオレも含め我々の世代は結果よりも態度や意欲といった過程を評価されるという思い込みが知らずのうちに身についているようだ。
ただ、いつの時代にも「いまどきの若者は」という風潮がある。
このゆとり教育の教訓を活かして(成功失敗は別問題として)、ただ批判するだけでなく今後の教育制度について国民は冷静に判断するべきである。
我々はゆとり教育の第一の実験台にならざるを得なかったのだから。