伊勢路6 | Memoria

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カミーノ・デ・サンティアゴ

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熊野古道 Kumano Kodo
中辺路/小辺路/伊勢路(浜街道/本宮道)/高野山 町石道、女人道)などを約4.000km歩きました。

Day-6 JR紀伊長島駅ー一石峠ー三浦峠ー始神峠ーJR相賀駅:27.8km

 

 
 
 
 
昨日の天気が思い出せないくらい、最高に青空の朝!
 
…なんだけども、
夕方からまた崩れるそうなんですって…
 
紀伊長島駅で下車し、魚まちを歩きます。
長島ショッピー、昭和感ある。
 
魚まちは細い路地もたくさんあって風情があります。
表示もマンボウ。
 
住宅街の裏山の中腹にあった神社。
津波の時などはここに避難するんでしょうね。
 
熊野古道センターの人が話していたけど、この辺りでは、伊勢に向かう道が『伊勢路』であり、熊野に向かう道を『熊野道』と言っていたそうです。
なので世界遺産になるにあたって、『伊勢路』という名称になってしまったことに悔しい思いがあるとのことでした。
 
魚まちを抜け、国道42号を歩きます。
右は紀勢本線、そして国道、巡礼路、海という図。
 
紀勢本線に乗られたことがある方は、ここに見覚えありますよね?
船の修理場。
 
ここで国道とお別れ。
山の方に進みます。
 
山を登っていくと、この景色!!
 
緑の苔のフカフカ絨毯で、厚底の靴でも十分感触あります。
 
あ、峠のてっぺん着いたっぽい。
ここも切通しタイプなんですね
 
今日まず一つ目の峠、一石峠。標高は73m。
「一石峠は熊野街道の中でも名のある峠として、江戸時代に刊行された多くの古地図、旅日記、旅行案内書の中に出ている峠の一つである。弘化二年(1845)下総国の住人、神戸由左衛門の記した「道中日記帳」にも「長島の渡し船、賃六文、一石坂という峠、三浦へ」と記されている。(中略)この峠を越える古道は明治、大正の時代を通じて唯一の生活道路として親しまれてきた道である。」
 
長い歴史を感じさせる標識がポツンと立ってました。
 
天気もいいし、景色もいいし、楽勝な登りだったので、気分よく歩いてました。
 
下り終わるところに門が。
これは隙間から通り抜けます。
 
降りた先で車道と合流。
次の三浦峠の登り口までは3.2kmか。
 
ところで、一番左にある『MOMOTARO』という看板、この後何度も出てきて、煩わしかった。
 
紀伊長島・古里温泉民宿街とオーシャンビュー。
 
看板の内容。
「私たちの町紀北町は昔から交通手段も恵まれず苦労してきたが、大正6年(1917年)熊野街道大改修により、当時の紀伊長島町(現紀北町長島)より尾鷲市(現尾鷲市尾鷲)間に6つの道路トンネルを開削して自動車の通る道が実現した。この旧海野隊道をはじめとし、長島、道瀬、三浦、相賀、尾鷲各隊道である。いずれとしても当時としてはモダンで最新技術を駆使して完成した。赤煉瓦によるイギリス様式のポータル(坑門)は縁取りの盾状の迫り石とともに優美な造形美を示している。国道42号線の整備に伴いこれらの道は主たる役割を終えたが、この海野隊道と長島、道瀬の三隊道は今も生活道路や歩道トンネルとして利用されている。平成13年、歴史的文化遺産の価値を認められ、平成国登録文化財に指定されている。」
 
ここで標識を見失いました。
古道の時代は当然トンネルなんてものはなかったので、“トンネルがある”=それはつまり“山に登らされる”んですけど、展望台への登り口がよく分からず、発見できなかった。
 
面倒くさくなったので、トンネル直進。
 
結構長い。573mだそうです。
 
トンネル出た先も海が左手に見えて、テンション上がります。
 
三浦峠の登り口に着きました。
さて、登りますか。
 
ここも世界遺産に登録された区間です。
 
標高113mまでおよそ500m。
表示にある通り、三浦峠は熊ヶ谷道とも呼ばれているそうです。
 
峠のてっぺんまでは0.5㎞で10分です。
 
国指定跡 熊野参詣道伊勢路 三浦峠(熊ヶ谷道)
道瀬浦より三浦に至る旧熊野街道は標高113mの三浦峠を越えると、満潮時には潮がさしてきたという直下の湿地帯を避け、熊谷と呼ばれていた谷を大きく迂回していた。
江戸時代の地誌『西国三十三か所名所図会』には三浦峠、坂道級急なり。-峠を降りて三浦の里に至る。-長島より三浦まで行程二里ばかりー」と書かれているように道瀬から峠までは急坂だが、三浦に下る古道は緩やか勾配で、土地の人々から熊谷道と呼ばれてきた。大正6年(1917年)に長島・尾鷲間の熊野街道大改修が完成し、各峠にトンネルが抜けるまで唯一の道路として親しまれてきた道である。
 
道がキレイに手入れされてますね。
ガイドブックには家族連れで歩くには格好の道である、と書いてあります。
 
ここも小物級の峠で、スイスイ進む。
 
あっという間に峠のてっぺん到着。
ここも切通し。工事した昔の人、すごい。
 
両側に迫る感もすごい。
 
ここは昔唯一の生活道であったと聞くと、いろんな人が荷物を背負って行き交った往時の賑わいを想像する。
 
下ります。なだらか~。
 
鳥のさえずり、木漏れ日…。
 
最高のハイキング気分。
 
第二次世界大戦末期に流失したままで、2005年にようやく橋が架け直されたんですね。
日本古来の橋梁工法が用いられ、総檜作り、支柱には樹齢150年を超える巨木を使用。総工費2.200万円。
 
…本気を感じる。
 

そんなありがたい橋を、気持ち一歩一歩丁寧に渡らせていただきました。

 
本当に天気も道も穏やか~。
 
JR三野瀬駅に到着!
この『三野瀬』という名前は、浦・海・道の集落名から一文字ずつ取ったそうです。
 
この後、始神峠の登山口を目指します。
 
ここで一人の地元のおばあさんに声を掛けられました。
 
お昼ご飯の材料を買いに、集落で一軒しかない商店にお買い物に行くというので歩きながら、おしゃべり
 
「この辺の家々、立派な造りしてるでしょう?」
 
「そうですね。大きな立派な家、たくさんありますね」
 
「この辺りの人はみんな伝統的に漁師をやっとった。みんな貧しかったんだ。でも昔(65年前/昭和33年/1958年)に*発電所ができて、給付金が入って、そのお金でみんな家を建て替えたから。ただみんな亡くなって、もう住む人もおらん。ここも空き家。あそこも空き家。」
 
「それはさびしいですね。」
 
*中部電力 宮川第二発電所。水力発電
 
おばあさんの親戚の人がやっている集落で1軒の商店。
せっかくなので、ここで私もお買い物。おばあさんと一緒に中に入りました。
 
表で飲もうと大内山のコーヒー牛乳を買いました。
 
ここで、今度は商店の女将さんも交えて、3人で一時間半ほどおしゃべりしました。
 
その間、集落の高齢者が何人もお買い物に来て、挨拶したり、小学生の大群と保護者たちがジュースを買いに来たり、それはもう賑やかでした。
スペインのどんな小さな集落にも必ず1軒あるバルが、カフェはもちろん、商店と郵便局の機能を果たし、集会所みたいになってる、そんな感じ。
 
 
…一時間半、何を話していたかと言うと(笑)…
 
その発電所ができて、集落がどう変わっていったかとか、この集落で老いていくこととか、この近くに額縁工場ができて、技能実習生をたくさん受け入れていて、よく分からない外国人がたくさん来たこととか。
 
 
私も「熊野古道歩いてます。」と言うと、
「新宮まで行くの?」
「信じられへん!」
 
って言われたり…(笑)
 
そうか?
そうなのか?
と心の中で思った。
 
「始神峠のてっぺんは景色がいいよ。そこで食べるといい。がんばって!」と
オレンジ1個とバナナ2本、お接待いただきました。
 
ありがとうございます!
 
何度もお礼を言って、お別れしました。
海岸線に面した道路を進みます。
 
ここで国道を反れるのか。
 
標高147mの始神峠は世界遺産登録区間です。
JR三野瀬駅からここまで徒歩15分らしい。
 
登り口近くにはビーチと運動場などがあり、休憩所と御手洗と自販機などがあり、ここで一旦休憩。
地元のおばあさん3人が、ここで弁当を持ち寄ってピクニックしてます。いいな、楽しそう。
 
さて、行きますか。
 
始神峠は椒(はじかみ)とも書くんだ?
 
200年あまり昔に歩いた越後の文人 鈴木牧之は『西国札所一、二の険難にして…』と書いています。
当時は大変な道だったんですかね?
 
これまた立派な碑だ。
20数年前は案内板の一つもなく、ただ山仕事をする人たちが古道らしき道を利用していたらしい。
こうして整備されたのは、本当に2000年以降のこと。
 
始神峠の冒頭の様子を動画でどうぞ。
 
なんだかワクワクする道と橋。
このすぐ右側にはフェンスがあって、発電所があります。
 
石がゴロゴロしているが、勾配はあまり大したことない登り。
地元の人が埋もれていた古道を発掘してくれたんですね。
 
気持ちよい汗をかいた程度で着いた頂上。
ここも昔は茶屋が建っていたそう。
 
 
 
紀伊の松島と称される風景。
手前に発電所が見えますね。
 
発電所の完成時に桜が植樹されたそうで、それから50年を経て、春も見事な景色が見られるんでしょうね。
 
さっき休憩した東屋も見える。
 
いただいたバナナとオレンジ、いただきまーす!
 

5分経たないうちにお兄さんが上がってきて、

隣のベンチに座られたので挨拶してバナナ1本差し上げた(笑)

 

お兄さんは古道歩きというよりトレラン的な装いをしていた。

 
頂上があまりに気持ちよすぎて、ずっといたいけど、
夕方の天気の崩れを考えると、行かねば。
 
ここも緩やかだけど距離がある明治道と、急勾配だけど距離が短い江戸道に別れます。
 
見たところ行けそうだったので、江戸道を選択。
 
トレラン風お兄さんは明治道に行きました。
 
いや、本当に最高の天気。
歩く喜びを噛み締める。
 
山道の最後でヘビに遭遇!!
最大限距離を取りながら、ゆっくり通り過ぎた。
ドキドキしたぁー!!
 
というわけで江戸道を降りてきたけど、江戸時代の面影は何かよく分からなかった。
 
江戸道を降りてきて林道に合流、そこからさらに国道を目指して進みます。
 
ここが、江戸道を抜けて林道を歩いてきたところと、明治道を歩いてきたところの合流地点。
ここには大舟川が流れており、明治道の人は水が無い時は川の中を渡るそうです。
 
国道を延々と歩いて、JR船津駅も通過。南の空に嫌な色の雲も出てきました。
やっぱり天気予報の通りなんだと思い、国道歩きいい加減嫌になるけど、がんばって歩きます。
 
次は馬越峠!
 
種まき権兵衛の里。
 
紀勢本線の線路。
 
途中閉業したのか、今はクローズなのかよく分からない中華屋の前を通った。
このラーメンマンが恐っろしい数描かれてて、そういう謎なセンス、ツボる。
 
新宮まであと70km!
 
今日はJR相賀駅で終了です。
 
古道を外れて、駅に向かいます。
 
電柱に貼られた『ここまで浸水しました』って、すごい…
そうなんだ。
 
相賀駅到着!電車に乗って、尾鷲に戻ります。
 
 
 
今日から2泊する宿は、漁港の近くなので部屋の窓から海が見えます。
宿に着いて汗を流して窓の外を見たら、豪雨!
歩き終えてて、本当によかった…。
 
気を取り直して、お楽しみのお風呂上りの大内山のコーヒー牛乳!