Memoria

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カミーノ・デ・サンティアゴ

ル・ピュイの道/フランス人の道/北の道/プリミティボの道/アラゴンの道/イギリス人の道/ポルトガル人の道/カタランの道

熊野古道 Kumano Kodo
中辺路/小辺路/伊勢路(浜街道/本宮道)/高野山 町石道、女人道)などを約4.000km歩きました。

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Day-7 JR相賀駅-馬越峠-JR尾鷲駅:6.5km
(日帰り)
 
この時、午前中に鬼々城、松本峠と歩き、
午後に馬越峠の最寄り駅であるJR相賀駅に移動し、歩きました。
 
日帰りだったため、カメラを忘れてきました。
写真はものすごく少なめ…。
 
相賀駅から国道42号に合流し、日本一の清流として知られる
銚子川を越えて、道の駅海山で態勢を整えて、
馬越峠の登り口に到着。
 
銚子川沿いにこのまま国道を進むと、種蒔き権兵衛の里や
キャンプ inn 海山があります。
これも紀勢本線の車窓からチョロッと見えますよ。
 
その直後から電車はトンネルに入りますが、
その間、我々は山の中をさまよっている、というわけです。
 
道の駅海山で買った熊野古道水。
 
地元のまいばすけっとでも一本69円で売っていた時期が
あって、よく買ってました。
 
まさにこの辺りで採れた水ということかー!
 
いつも以上においしく感じます。
 
芸術的な石畳と称される馬越峠の石畳。
 
「伊勢路の特色は石畳が立派であること。
普通の石畳といえば、平面に敷き詰めたものや
階段状のものが多く、かえって歩きづらいこともある。

もちろん伊勢路にも、

比較的新しい時期に敷設された石畳には
この種のものはあるが、馬越峠や八鬼山の石畳は、
自然石をたくみに配し、
歩幅にそって少しずつ高くなるように
設置されているので疲れが少なく、
このような芸術品ともいえる石畳が延々と続くことに感激する」
(『熊野古道』小山靖憲 著)
 
三重県立熊野古道センターの人が教えてくれた話なんですけど、
世界遺産の選定委員みたいな人(外国人)が
馬越峠を視察に来た時に、地元の小学校が遠足で来ていて、
この辺りのしつけで、
“知らない人にも進んであいさつをする”という
習慣があって、それがここでも遺憾なく発揮され、
選定委員の人が感動したそうです。
 
選定委員の人にとって
馬越峠の素晴らしさ以上に、
その地域の子どもたちの心が響いたようで、
そのエピソードを聞いた私もジーンとしてしまった。
 
馬越峠の石畳が設置されたのが1635年(寛永12年)で、
石畳を敷いた人たちの日当は米一升であったとのこと。
 
写真を撮らなさ過ぎて、
本当にごめんなさい…。

1710年の記録では峠には茶屋があり、
餅、わらじ、ぞうり、きざみたばこなどが
売られていたようです。
 
茶屋が閉じた年は不詳ですが、
明治30年前後ではないかと言われています。
 
あ、出口だ。
程よい歩きでしたね。うん。
 
全長約40町(4.320m)
日暮れて道遠く、行き倒れる難路では全くないですね。
 
 
もし
「伊勢路のどこかを歩いてみたいんだけど、どこがいい?」
と聞かれたら、こちらをおすすめします。
 
歩き足りない方は、峠付近から天狗倉山や
象の背のある便石山への道がありますから、
そこから尾鷲市街地の絶景を堪能したら
パーフェクトなハイキングになると思います。
 
「え?アルベルゲ?」
 
貼り紙を見ると、2007年にカミーノを歩いたご夫婦がやってる
一日一組限定の宿・山帰来(さんきらい)
 
併設で喫茶もやってるようなので
寄ってみようかと思ったけど、残念。

手作りケーキが自慢の喫茶も休業中。

 
尾鷲の市街地が見えてきた!
ホッとする瞬間。
 
でもこの風景、なんか既視感あるなぁと思ったら、
そう、似てるとこカミーノにあった。
 
ここ、ここ。
 
ポルトガル人の道 レドンデーラへ下る道なんですけど、
気持ち似てないですか…?
 
桜が咲き出していて、気持ちも和みました。
 
この日大阪の祖母の留守宅の様子を見に行くことにしていたので
松阪から大阪の鶴橋まで近鉄特急の切符を買って、
ホームに入ってきたのはなんと“火の鳥”!
 
この時走り出してまだ2日目でした!
超ラッキー!
 
ここで、今日一番のテンションぶち上がり!
わくわくMaxで、思わず車内を探検しまいました。
 
 
 
 
【ちょっと小話】
 

馬越峠付近に伝わる民話 

『種蒔き権兵衛』

 

江戸時代の始めの頃、
この辺りに権兵衛と呼ばれるお百姓さんがいました。
 
その権兵衛さんは元は武士であり、
『上村(うえむら)』と名乗っていましたが、
戦いを避け、この地に住みつき、
刀を捨て、お百姓さんになりました。
 
気の優しい権兵衛さん、作物が実をつけても、
食べに集まる動物を追っ払うこともせず、
あげくの果てには
何度種を蒔いてもカラスにほじくられる始末。
 
 
『権兵衛が種まきゃ、カラスがほぜくる。
 三度に一度は追わずばならない。ずんべら、ずんべら』
 
地元に伝わる唄の通り、権兵衛さんの温かな人柄が偲ばれます。
 
 
農作業に関してはズブの素人な権兵衛さんでしたが、
元は武士であり、特に鉄砲の腕は素晴らしく、
常日頃から害獣を退治しては
村人から大変頼りにされていました。
 
ある日、紀州のお殿様がこの辺りを訪れた時、
権兵衛さんは鉄砲の腕前をお殿様の前で披露しました。
お殿様は大変喜び、
「褒美として賞金を与えよう」と言いましたが、
権兵衛さんはその申し出を幾度となく断りました。
 
しかし、お殿様が強く言うので、
「私に褒美を与えてくださる代わりに、
みんなの年貢を免除していただきたい」とお願いしました。
お殿様はもちろんその申し出を認め、
八方四町に渡る広大な地域が
その恩恵を受けることになりました。
 
権兵衛さんの人柄が偲ばれます。
 
 
 
ある時、馬越峠に大蛇が出て、
旅人や家畜などがその被害に遭いました。
権兵衛さんは村人からの頼みを受け、
鉄砲を片手に大蛇が待ち受ける馬越峠に
向かいました。
 
峠にて一時間ほど待っていると、
大蛇が山頂から峠に下りてきました。
権兵衛さんは鉄砲を
何発か大蛇めがけて撃ちましたが、
大蛇は少しもひるまず、
そればかりか権兵衛さんに襲いかかってきました。
 
権兵衛さんは無意識のうちに懐の中に肌身離さず
ずっと持っていた「ずんべらの石」
(母親からもらったお守りの石といわれている)に
身を隠しながら、大蛇の喉元に狙いを定め、
一発二発撃ち込みました。
 
大蛇は悶えながら毒気をまき散らし、息絶えました。
 
権兵衛さんは大蛇を退治しましたが、
大蛇の毒気を大量に浴びたことにより
亡くなってしまいました。
 
 
『権兵衛が種まきゃ、カラスがほぜくる。
 三度に一度は追わずばならない。ずんべら、ずんべら』
 
 
唄は言い伝えられ、村人たちは口ずさみながら
農作業にいそしんだということです。
 
後に権兵衛さんの碑が建立され、
今でも花が供えられています。
 

Day-6 JR紀伊長島駅ー一石峠ー三浦峠ー始神峠ーJR相賀駅:27.8km

 

 
 
 
 
昨日の天気が思い出せないくらい、最高に青空の朝!
 
…なんだけども、
夕方からまた崩れるそうなんですって…
 
紀伊長島駅で下車し、魚まちを歩きます。
長島ショッピー、昭和感ある。
 
魚まちは細い路地もたくさんあって風情があります。
表示もマンボウ。
 
住宅街の裏山の中腹にあった神社。
津波の時などはここに避難するんでしょうね。
 
熊野古道センターの人が話していたけど、この辺りでは、伊勢に向かう道が『伊勢路』であり、熊野に向かう道を『熊野道』と言っていたそうです。
なので世界遺産になるにあたって、『伊勢路』という名称になってしまったことに悔しい思いがあるとのことでした。
 
魚まちを抜け、国道42号を歩きます。
右は紀勢本線、そして国道、巡礼路、海という図。
 
紀勢本線に乗られたことがある方は、ここに見覚えありますよね?
船の修理場。
 
ここで国道とお別れ。
山の方に進みます。
 
山を登っていくと、この景色!!
 
緑の苔のフカフカ絨毯で、厚底の靴でも十分感触あります。
 
あ、峠のてっぺん着いたっぽい。
ここも切通しタイプなんですね
 
今日まず一つ目の峠、一石峠。標高は73m。
「一石峠は熊野街道の中でも名のある峠として、江戸時代に刊行された多くの古地図、旅日記、旅行案内書の中に出ている峠の一つである。弘化二年(1845)下総国の住人、神戸由左衛門の記した「道中日記帳」にも「長島の渡し船、賃六文、一石坂という峠、三浦へ」と記されている。(中略)この峠を越える古道は明治、大正の時代を通じて唯一の生活道路として親しまれてきた道である。」
 
長い歴史を感じさせる標識がポツンと立ってました。
 
天気もいいし、景色もいいし、楽勝な登りだったので、気分よく歩いてました。
 
下り終わるところに門が。
これは隙間から通り抜けます。
 
降りた先で車道と合流。
次の三浦峠の登り口までは3.2kmか。
 
ところで、一番左にある『MOMOTARO』という看板、この後何度も出てきて、煩わしかった。
 
紀伊長島・古里温泉民宿街とオーシャンビュー。
 
看板の内容。
「私たちの町紀北町は昔から交通手段も恵まれず苦労してきたが、大正6年(1917年)熊野街道大改修により、当時の紀伊長島町(現紀北町長島)より尾鷲市(現尾鷲市尾鷲)間に6つの道路トンネルを開削して自動車の通る道が実現した。この旧海野隊道をはじめとし、長島、道瀬、三浦、相賀、尾鷲各隊道である。いずれとしても当時としてはモダンで最新技術を駆使して完成した。赤煉瓦によるイギリス様式のポータル(坑門)は縁取りの盾状の迫り石とともに優美な造形美を示している。国道42号線の整備に伴いこれらの道は主たる役割を終えたが、この海野隊道と長島、道瀬の三隊道は今も生活道路や歩道トンネルとして利用されている。平成13年、歴史的文化遺産の価値を認められ、平成国登録文化財に指定されている。」
 
ここで標識を見失いました。
古道の時代は当然トンネルなんてものはなかったので、“トンネルがある”=それはつまり“山に登らされる”んですけど、展望台への登り口がよく分からず、発見できなかった。
 
面倒くさくなったので、トンネル直進。
 
結構長い。573mだそうです。
 
トンネル出た先も海が左手に見えて、テンション上がります。
 
三浦峠の登り口に着きました。
さて、登りますか。
 
ここも世界遺産に登録された区間です。
 
標高113mまでおよそ500m。
表示にある通り、三浦峠は熊ヶ谷道とも呼ばれているそうです。
 
峠のてっぺんまでは0.5㎞で10分です。
 
国指定跡 熊野参詣道伊勢路 三浦峠(熊ヶ谷道)
道瀬浦より三浦に至る旧熊野街道は標高113mの三浦峠を越えると、満潮時には潮がさしてきたという直下の湿地帯を避け、熊谷と呼ばれていた谷を大きく迂回していた。
江戸時代の地誌『西国三十三か所名所図会』には三浦峠、坂道級急なり。-峠を降りて三浦の里に至る。-長島より三浦まで行程二里ばかりー」と書かれているように道瀬から峠までは急坂だが、三浦に下る古道は緩やか勾配で、土地の人々から熊谷道と呼ばれてきた。大正6年(1917年)に長島・尾鷲間の熊野街道大改修が完成し、各峠にトンネルが抜けるまで唯一の道路として親しまれてきた道である。
 
道がキレイに手入れされてますね。
ガイドブックには家族連れで歩くには格好の道である、と書いてあります。
 
ここも小物級の峠で、スイスイ進む。
 
あっという間に峠のてっぺん到着。
ここも切通し。工事した昔の人、すごい。
 
両側に迫る感もすごい。
 
ここは昔唯一の生活道であったと聞くと、いろんな人が荷物を背負って行き交った往時の賑わいを想像する。
 
下ります。なだらか~。
 
鳥のさえずり、木漏れ日…。
 
最高のハイキング気分。
 
第二次世界大戦末期に流失したままで、2005年にようやく橋が架け直されたんですね。
日本古来の橋梁工法が用いられ、総檜作り、支柱には樹齢150年を超える巨木を使用。総工費2.200万円。
 
…本気を感じる。
 

そんなありがたい橋を、気持ち一歩一歩丁寧に渡らせていただきました。

 
本当に天気も道も穏やか~。
 
JR三野瀬駅に到着!
この『三野瀬』という名前は、浦・海・道の集落名から一文字ずつ取ったそうです。
 
この後、始神峠の登山口を目指します。
 
ここで一人の地元のおばあさんに声を掛けられました。
 
お昼ご飯の材料を買いに、集落で一軒しかない商店にお買い物に行くというので歩きながら、おしゃべり
 
「この辺の家々、立派な造りしてるでしょう?」
 
「そうですね。大きな立派な家、たくさんありますね」
 
「この辺りの人はみんな伝統的に漁師をやっとった。みんな貧しかったんだ。でも昔(65年前/昭和33年/1958年)に*発電所ができて、給付金が入って、そのお金でみんな家を建て替えたから。ただみんな亡くなって、もう住む人もおらん。ここも空き家。あそこも空き家。」
 
「それはさびしいですね。」
 
*中部電力 宮川第二発電所。水力発電
 
おばあさんの親戚の人がやっている集落で1軒の商店。
せっかくなので、ここで私もお買い物。おばあさんと一緒に中に入りました。
 
表で飲もうと大内山のコーヒー牛乳を買いました。
 
ここで、今度は商店の女将さんも交えて、3人で一時間半ほどおしゃべりしました。
 
その間、集落の高齢者が何人もお買い物に来て、挨拶したり、小学生の大群と保護者たちがジュースを買いに来たり、それはもう賑やかでした。
スペインのどんな小さな集落にも必ず1軒あるバルが、カフェはもちろん、商店と郵便局の機能を果たし、集会所みたいになってる、そんな感じ。
 
 
…一時間半、何を話していたかと言うと(笑)…
 
その発電所ができて、集落がどう変わっていったかとか、この集落で老いていくこととか、この近くに額縁工場ができて、技能実習生をたくさん受け入れていて、よく分からない外国人がたくさん来たこととか。
 
 
私も「熊野古道歩いてます。」と言うと、
「新宮まで行くの?」
「信じられへん!」
 
って言われたり…(笑)
 
そうか?
そうなのか?
と心の中で思った。
 
「始神峠のてっぺんは景色がいいよ。そこで食べるといい。がんばって!」と
オレンジ1個とバナナ2本、お接待いただきました。
 
ありがとうございます!
 
何度もお礼を言って、お別れしました。
海岸線に面した道路を進みます。
 
ここで国道を反れるのか。
 
標高147mの始神峠は世界遺産登録区間です。
JR三野瀬駅からここまで徒歩15分らしい。
 
登り口近くにはビーチと運動場などがあり、休憩所と御手洗と自販機などがあり、ここで一旦休憩。
地元のおばあさん3人が、ここで弁当を持ち寄ってピクニックしてます。いいな、楽しそう。
 
さて、行きますか。
 
始神峠は椒(はじかみ)とも書くんだ?
 
200年あまり昔に歩いた越後の文人 鈴木牧之は『西国札所一、二の険難にして…』と書いています。
当時は大変な道だったんですかね?
 
これまた立派な碑だ。
20数年前は案内板の一つもなく、ただ山仕事をする人たちが古道らしき道を利用していたらしい。
こうして整備されたのは、本当に2000年以降のこと。
 
始神峠の冒頭の様子を動画でどうぞ。
 
なんだかワクワクする道と橋。
このすぐ右側にはフェンスがあって、発電所があります。
 
石がゴロゴロしているが、勾配はあまり大したことない登り。
地元の人が埋もれていた古道を発掘してくれたんですね。
 
気持ちよい汗をかいた程度で着いた頂上。
ここも昔は茶屋が建っていたそう。
 
 
 
紀伊の松島と称される風景。
手前に発電所が見えますね。
 
発電所の完成時に桜が植樹されたそうで、それから50年を経て、春も見事な景色が見られるんでしょうね。
 
さっき休憩した東屋も見える。
 
いただいたバナナとオレンジ、いただきまーす!
 

5分経たないうちにお兄さんが上がってきて、

隣のベンチに座られたので挨拶してバナナ1本差し上げた(笑)

 

お兄さんは古道歩きというよりトレラン的な装いをしていた。

 
頂上があまりに気持ちよすぎて、ずっといたいけど、
夕方の天気の崩れを考えると、行かねば。
 
ここも緩やかだけど距離がある明治道と、急勾配だけど距離が短い江戸道に別れます。
 
見たところ行けそうだったので、江戸道を選択。
 
トレラン風お兄さんは明治道に行きました。
 
いや、本当に最高の天気。
歩く喜びを噛み締める。
 
山道の最後でヘビに遭遇!!
最大限距離を取りながら、ゆっくり通り過ぎた。
ドキドキしたぁー!!
 
というわけで江戸道を降りてきたけど、江戸時代の面影は何かよく分からなかった。
 
江戸道を降りてきて林道に合流、そこからさらに国道を目指して進みます。
 
ここが、江戸道を抜けて林道を歩いてきたところと、明治道を歩いてきたところの合流地点。
ここには大舟川が流れており、明治道の人は水が無い時は川の中を渡るそうです。
 
国道を延々と歩いて、JR船津駅も通過。南の空に嫌な色の雲も出てきました。
やっぱり天気予報の通りなんだと思い、国道歩きいい加減嫌になるけど、がんばって歩きます。
 
次は馬越峠!
 
種まき権兵衛の里。
 
紀勢本線の線路。
 
途中閉業したのか、今はクローズなのかよく分からない中華屋の前を通った。
このラーメンマンが恐っろしい数描かれてて、そういう謎なセンス、ツボる。
 
新宮まであと70km!
 
今日はJR相賀駅で終了です。
 
古道を外れて、駅に向かいます。
 
電柱に貼られた『ここまで浸水しました』って、すごい…
そうなんだ。
 
相賀駅到着!電車に乗って、尾鷲に戻ります。
 
 
 
今日から2泊する宿は、漁港の近くなので部屋の窓から海が見えます。
宿に着いて汗を流して窓の外を見たら、豪雨!
歩き終えてて、本当によかった…。
 
気を取り直して、お楽しみのお風呂上りの大内山のコーヒー牛乳!
 
Day-5' 尾鷲
荷坂峠を歩き終えて、紀伊長島駅から特急に乗って、尾鷲駅に到着しました。

チェックインにはまだ早いが、荷物だけ預かってもらえないか宿に行ってみたところ、無事に預かってもらえ、チェックインもさせてもらえました。


ただ今、午後1時半。

せっかくなので、三重県立熊野古道センターに行ってみることにしました。

雨が相変わらず降り続いていて、歩いていくのは断念。
バスも出ているようだが、乗り場がよく分からないし、本数もそんなにないようなので、駅前に待機しているタクシーに乗った。



私「尾鷲と言えば雨ですけど、今日もよく降ってますよねー。」

運転手さん「それでも昔から比べたら、降り方が変わってきましたよ。昔の方がもっとすさまじかった。」

私「ええぇ?!」

そんな話から始まり、

私「尾鷲って年間降雨量日本一じゃないですか?私はてっきりいつも雨が降っているイメージでしたけど、違うんですか?」

運転手さん「常に雨が降っているというんではなくて、降る時にものすごくドカッと降る感じだね。」

雨の勢いがスゴすぎて、コンクリートに打ち付けられた雨が跳ね返って『尾鷲では地面からも雨が降る』とも言われているそうです。


運転手さん「ボクは金沢出身で、尾鷲に来てからタクシー運転手になったけど、ボクは金沢よりこっちの方が水が合うんだよね。」

私「日本海側と太平洋じゃ、確かに違いがたくさんありそう。海の色も違うでしょうし、気候が違えば人間も変わりますしね。」

などなど…

おしゃべりが盛り上がり、目的地の熊野古道センターに着いても10分ぐらいそのまま車内で話し続けてました(笑)

さて、熊野古道センター。

正式名称は三重県立熊野古道センター。
2007年開館。


建物を形作る木は、一本一本に産地証明書が付いた尾鷲ヒノキをなんと6.549本使用したそうです。
建物内に入ると、木の香りがものすごいですよ。

離れには日帰り温泉施設と、物産店、地元の主婦たちが腕を奮う食事処もあります。
(私が行った時は温泉、レストランともに長期休業中でした。)


熊野古道啓蒙のための施設ではありますが、それ以上に『地元の人たちに開かれた施設でありたい』ということで、子ども向けのボルダリング体験教室だったり、手作りミニSLを走らせたり、コンサートをしたりと、多様な催しものをしてがんばっているようです。

私が行った時は、地元の写真家による伊勢路の写真展をしてましたね。


館内は展示スペースとミニシアター的スペースとありました。

ミニシアターは「職員までお声かけください」ということで声をかけたところ、快く開けてくださり、私1人のために丸1時間、伊勢路も含め他の古道についての貴重な映像を見せてもらうことができました。

私が行った日はものすごい雨だったし、暇だったのか職員さんが声をかけてきてくれて、紀伊半島の大きな地図を目の前にして、熊野古道談義が始まりました。

まずは
「どの道歩いた?どの道好き?」

「私が歩いたのはー…(省略)。今のところ、小辺路(高野山~本宮大社 70km)推しですね」

「ボクは波田須の道(紀勢本線JR新鹿駅~JR波田須駅とその少し先までの4km。伊勢路としては最も古い鎌倉時代の石畳が残っている)だね」

から始まり、

だんだん白熱してきて、
私「ここまで歩いてきて、他の古道と比べて伊勢路のここがさー。納得してない。」
と、繕わない素が出てきてしまい…

職員さん「分かる。そこはボクもさ、そう思ってる。」
みたいな会話になっていった。


この歩いた者同士通じ合う、多くを語らずとも空気で伝わる、この感覚は一体なんでしょう?(笑)


他にも、熊野古道が世界遺産になるにあたっての苦労事とか、決め手になった出来事とか、妥協せざるを得なかった悔しい思いとか、和歌山県、奈良県、三重県で足並みが揃わない話とか、関係者サイドのぶっちゃけ話がどんどん出てきて、さらに白熱していく事態に…!(苦笑)

熊野古道センターの館長さんは、若かりし頃にカミーノ(フランス人の道)を歩いたそうで、館内にはカミーノの展示もありました。

館長さんは歩いたけど、他の職員さんはまだ誰も歩いたことがないそうです。

三重県はこの度バスク州と提携し、友好を深める目的も兼ねて、みんなでバスク州内の北の道を視察に行く計画があったんですって。

でも、コロナで中止になったまま、未だに実現されず。

早く行けるといいですね。


そして、気が付いたら閉館の時間に…。
(どんだけいたんだ?)

別れ際、職員さんが尾鷲ヒノキの余り物で作ったという、こんな素敵なものをくれました!

「暇な時間に作ってるんだけど、こんなに溜まっちゃってどうしよう…」と苦笑いしてました。

皆さん、ぜひ行ってください!

非売品の絵地図もくれました。

歩いた箇所を復習するには、めちゃめちゃいい!
景色が脳内でよみがえる。


この日最後のコミュニティバスで、尾鷲駅に戻りました。

楽しいひとときでした。

しかし、私もあまりにフランクな態度になってしまったので、今度菓子折り持ってお詫びがてら、再訪したいと思ってる…(苦笑)

◇◆◇◆◇◆◇

さて、今晩お世話になるビジネスホテル 望月。

線路沿いにあります。
行くまでにコンビニもあってよき。
古き良き時代のビジネスホテル的な?
これで1泊6.000円。
ブッキングサイトで割引された上でこの価格。

 競合相手がいないからの強気設定か?

私は小柄な方ですけど、それでも湯船はだいぶ小さかった。
アパホテルの湯船の小ささとは訳が違うので、一般成人男性なら相当窮屈でしょうね。


ブッキングサイトだと、明日『満室』になっていたので、レセプションで直接聞いたところ、
「喫煙ルームでよければありますよ。あ、1.000円上乗せしてくれれば禁煙ルーム、あと1部屋ありますね。」と言われた。

「ありがとうございました。大丈夫です。」
即答。


部屋に戻って、ベッドに寝っ転がりながら、一人ブッキング大会。

決めていた1泊の予算を越えてしまう上に、駅からだいぶ離れた場所になってしまうが、評価の高い宿が2泊押さえられたので「これで旅が続けられる…」と安堵した。


それにしてもさ、何この尾鷲価格?

◇◆◇◆◇◆◇

今日もお疲れさまの大内山牛乳。
それもフルーツ味!

これも買っちゃった。
トロットロな白プリン!

おいしかったー!

Day-5 JR梅ヶ谷駅-荷坂峠-JR紀伊長島駅:8km


昨日の時点で、行ければもちろんツヅラト峠。
雨の降りによって荷坂峠。
最悪、国道42号で…と考えていた。


当日朝、天気予報を見てツヅラト峠は厳しいと判断。

荷坂峠と国道、どっちを行くかは雨と峠道の状況を見て決めようと思って宿を出た。


雨、道迷い、ヒル…
伊勢路に来て、初試練の道行になった5日目。

今日は、時間が遅くなればなるほど雨が強くなるということなので、松阪駅6時台発の電車に乗ってきました。

駅を出て国道42号を進みつつ、時々側道に誘導される。
誘導された側道には、昔、荷坂峠頂上にあったという石仏がここに移築・安置されていた。

このまま国道42号を進んで越えることもできるが、まだ雨の降りが弱かったので、往時の人も踏みしめた古来の峠を目指す。



東紀州と呼ばれるこの辺りは、江戸時代、紀州和歌山藩領で、でも藩主がいる和歌山からここは遠いため、藩主自らここを訪れることはほとんどなかったそうです。

藩領、藩地であるにも関わらず、一度もここを訪れなかった藩主が多いどころかほとんどって…。

それだけ辺地な場所として見なされていたようです。

そして、中世の時代に熊野に続く伊勢路の峠の一つとして盛んに行き来されたツヅラト峠ですが、信仰の道というより、地域の漁民や山人の通う生活道であった側面が強く、そして名前の由来になった『九十九折り(つづらおり)』と表現される急峻な山道であったことから、江戸時代によりなだらかで歩きやすい峠を、ということで荷坂峠が開通し、そこがお殿様も籠で通る公式ルートになりました。また明治時代には大八車も通れるようにさらに整備されていったことから、ツヅラト峠は行き交う人がなくなり、忘れられていきました。そんな埋もれていった峠道を近年、地元民が復活させ、また現在でも保全・管理をするために月に2回登っているそうです。


ツヅラト峠の14kmと、荷坂峠8kmが伊勢路で最初に歩く世界遺産登録区間になります。(全区間が世界遺産じゃないんですよ。)

話は戻って。

国道から土道に入る入口に立っていた案内板。
私はてっきりここが峠への登り口だと思っていた。

しかし、この看板に書いてある『この旧道を進む』という一文の解釈を間違えてしまったために、この後えらい目に遭うことをまだ知らない…。

いい感じの土道。

巡礼者のお墓だって。

一瞬お参りしようかと思ったが、ここを歩いたら靴が染みそうだったのでやめた。

(この写真は分岐した一方を写したもの)

道が二手に分岐。

一つはこのまま直進。
もう一つが上の写真で、登りに入る道。

辺りを見回してもマークがない。

直進する道は、あと少し行くと国道に合流するようだ。

さっき荷坂峠の案内板を見ていたものだから、てっきりここが登り口であると信じ込んでいた。

なので、ロープのかかる山道へ進むことにした。
(大辺路とかでもあったんです。こういうロープや、あと鉄門で締められてるんだけど進んでいいってことが。)

「楽勝じゃん!」と登っていった末に、道が消えた。

え、踏み越えて行けってか?

他に行くべき道があるのか、周囲を見渡す。

ここを登れってことは、まさかないよな?

いや、登れないこともないけどさ。

でも、この雨だし行きたくないなぁ…。


雨がだんだん強まる中、スマホの伊勢路ナビとGoogle MapのGPSで現在地を確認。ガイドブックも開いて、グルグル考える。



そして、荷坂峠の登山口に行くまでには高齢者福祉施設の横を通ることが判明。

この高齢者施設の案内板を、この土道に入る前に見た。

高齢者施設は国道沿いにある。




この山道は違う!!にたどり着く。


足早に来た道を戻った。
無理矢理登らなくて本当によかった…。

分岐点に戻り、国道と合流する直進の道を進んだところ、荷坂トンネル前に出た。

このロスで、正直もう十分ずぶ濡れになってしまったので、このまま無理矢理トンネルをくぐってしまおうか思った。

でも、やはり峠道は捨てられない。歩きたい。

国道を横切ると『荷坂峠へようこそ』的な看板が乱立。

この左側に、例の高齢者施設はありました。

道なりに進んでいき、ようやくたどり着いた峠の入口。

ホッとするも「あーこれから山越え、だるー」と正直思っていた。

ところが『荷坂峠降り口』という看板が…。

え?
降り口?


登り口じゃなくて?




このパターン初めて!
ここがすでに峠の頂上なんだ!



やっと冷静さを取り戻す。


…てか、表示乱立し過ぎてて、ウケる。


え?マムシってなに?嫌すぎる。



今日もヒルが出没する環境が整っているので、レインスパッツと靴に隙間ができてないかを確認。
ティッシュ、ビニール袋、塩もすぐ取り出せるようにスタンバイ。

雨は絶望的に降っているが、道は悪くない。

ただ、ところどころ落ち葉がフカフカに積もっていて、ズルッとしてヒヤッとする瞬間は何度かあった。

晴れていれば、海が見えたらしい。

旅人が伊勢路を歩いてきて、熊野の海を初めて目にするのがここだそうだ。海抜241m。

峠には昔、茶屋があって、昭和10年頃まで営業していたという。
熊野古道沿いの茶屋としては最も遅くまで営業していた一軒とのこと。

この茶屋の前に観音堂があり、それがさっき紹介した国道沿いの側道に移築・安置されたものだそうで、熊野を目指す旅人を見守った観音様が、地元の人々によって今も保存・管理されているんですね。

お天気がよかったら、木漏れ日の中で歩いて気持ちよかったんだろうなぁ。

季節によって変わる花々が美しい名所でもあるそうです。

ここで『急峻な下りだけど距離が短い江戸道』と、『なだらかなだけど、その分少し距離歩かされる明治道』に分かれます。

江戸道は明らかに滑って危険な予感しかしないので、秒で明治道へ。

いやだって、明治道はゆるやかな道が見えるけど、江戸道はほぼ崖よ?

分岐点の近くに…。

この傷は平成27年ってあるけど、現在も遭遇する可能性あるってことだよね?

やめて、怖すぎる…!

はい、下山!

ちなみにヒルは7匹駆除しました。
頻繁に足回りをチェックしていたのと、レインスパッツのおかげで、被害はなし。

それでも、気が付いたら靴の上やスネとか2匹3匹這ってて、その度に叫んだけど。


というわけで荷坂峠でした。

紀勢本線に乗ったことがある方で『この区間、トンネル多いな』と思われませんでした?
 

そう、大内山駅から紀伊長島駅までの11.5km間で、トンネルなんと13個!
鉄橋は9ヶ所!

国鉄史上に残る難工事だったそうです。

着工から10年。
工事して5年。
労働者11名が殉職。


今でこそ何も考えずに乗ってる電車ですが、知るともうただの気持ちではいられない。

もしこれから紀勢本線乗られる方は、このことを覚えておくと、鉄道旅もより楽しめるかと…。


あと、この荷坂峠は『江戸道』、『明治道』があると書きましたが、地元民が『線路道』と呼ぶ線路工事用として当時新たに作られた道もあるそうです。



さてさて、ここからは伊勢路ナビを見ながら、市街地を目指します。

山の中では木々が雨を遮っていてくれたけど、住宅地では直撃になるわけで、トドメを刺されました。

靴もポンチョもゴアテックスのウェアも完全に漏った。

道の駅 紀伊長島マンボウに到着。

バックパック下ろしたい。
体拭きたい。
靴脱ぎたい。
座りたい。
御手洗行きたい。

頭の中はもうそれだけ。

とにかくビショビショで、建物内は申し訳ないので、テラス席へ。

この時、もはや軽く嵐になっていて、強い風で雨が吹き込んでくる。

体も髪も靴もビショビショで寒いけど、それでも屋根があってしのげるだけで、ここは天国。

体を温めたくて、伊勢うどん。
沁みます。

ところで、うどんが出来上がるのを待つ間、顔や体を拭いて、髪を結び直している時に、一人のおじさんが「タバコはどこで吸えますか?」と聞いてきました。

「すみません、私は分かりかねますので、あちらにいる店員さんに聞いてみてください。」と返した。

おじさん、向こうに行く。


すると、今度は自分よりちょっと上かな?くらいの女性からも全く同じ質問をされる。

さっきと一言一句同じに答える。

女性、向こうへ行く。


『なんで、私に聞く?』と思いながら、出来上がったうどんを取りに行き、さあ食べよう!というところで、流れてくるタバコの煙…

あ、喫煙場所、ここだったんですね。


私、荷物とうどんを持って、席移動。

そうしてようやくありつけて、撮ったのがこの写真…というエピソードでございました。

伊勢うどんで体が温まり、服も髪も少し乾いてきたので、建物内を物色。

大内山のソフトクリームがあるではないかぁぁぁぁ!!

念願のソフトクリーム。

風雨の中で食べるソフトクリーム(笑)。

人生で忘れられないソフトクリームになりました(笑)


味は、牛乳と一緒で、すごいサッパリしてるんですけど、口の奥には甘みと味わいがしっかり感じられて、とってもおいしい!

大満足!

テンションも上がったところで、また直売所を物色。
もう大内山の商品、全部制覇したいくらいラブ。

でも、ちょっとこれ以上お腹冷やしたくないのでこれは我慢。

瓶牛乳にバター!全部魅力的!

もちろん海産物も種類豊富!

でもなんで、マンボウ?

というのも、この辺りでは定置網漁でマンボウが捕れ、江戸時代にはお殿様にも献上していたそうです。

2001年に開業したこの道の駅。
入口ではマンボウの串焼き(350円)も売っていて、その場で食べることができるし、近隣の旅館でもマンボウ料理を出しているそうです。

聞くところによると、マンボウの味は淡白で、鶏肉のような、イカのような、ホタテのような…感じらしい。

刺身、寿司、しゃぶしゃぶとかにして食べるんだって。

QRコードスタンプもマンボウ。
道の駅内にある観光案内所の受付にありました。

ちなみに荷坂峠のスタンプは逃してしまった。

せっかく乾いてきたけど、行かねばならぬ…。

雨はさらに降りを強めています。
コンクリートからも跳ね返ってくる。

ここまで降られると笑うしかない。

紀伊長島駅、到着!!ばんざい!!

このずぶ濡れをどうにかしたいので、この後に来る特急に乗ることにした。

今日から尾鷲泊。

ここ紀伊長島から尾鷲まで、特急だと20分、運賃は750円。
鈍行だと40分、450円。

電車が来ました。

歩いて山々を越えて移動した昔の人もすごいけど、大正時代の難工事を経て、今こうして電車に乗れる有り難さを噛み締めました。
Day-4 JR滝原駅-JR梅ヶ谷駅:18.6km
↑この地図、ブログ書くにあたって初めて目にしてるんですが、(側道を歩く。豚舎があり臭い。)って書いてあるね。そうそう、臭かったー(笑)そんな情報まで載っていたとは…!!

松阪駅から、おはようございます。
通勤巡礼3日目の朝。

松阪駅に大好きなパン屋さん(というか単にパンが好き)が入ってて、ここで歩きの最中に食べるパンを買い込むのも楽しみの一つになってました。
焼き立てパンの香りはたまらない!
今すぐ食べたい!けど我慢(笑)

松阪駅から新宮方面へ行く電車のところにラインマーカー引きました。

始発は5:20、次発6:48、次々発9:24という感じ。

その9:24発は、今話題のVISONがある多気駅で、9:48発新宮行きに接続します。

ところで7~8時台、なんでない?

今日は峠越えもないので、ゆっくりと9:48に乗車しました。

電車の中から昨日歩いたところを眺めつつ、滝原駅に10:30着。運賃は680円。

薄雲は広がっていますが、青空が見えて陽の光がまぶしい、この時期らしい気持ちのいいお天気。

空き地がたんぽぽ畑になっていて、綿毛フゥ~したり(笑)
こんなことするの何年ぶり!とか、もはやそんなの記憶にすらない。

ルパン三世が乗ってそうなレトロな車があるところを通り過ぎ…

今日は一日、ほぼ国道42号線に沿って歩きます。

道が分岐してる。どっち?と表示を探す。

あ、そこですか。

尾鷲まで50kmか。

はい、分岐。表示どこ?

マークはあるんだけどさ、この赤白マーク、GRのマークで言う「この道が正解」を表すもので、分岐点のほぼ正面にこのマークだけドカンと貼られても、どう解釈すればいいの?

そして、なぜマークが欠けているのか?

これはたまたま欠けてしまったのではなく、『こっちに行け』という意味を持たせるためにわざとやった?

という風に解釈した。


JR阿曽駅を通過。
ここには廃校になった小学校を再活用して、日帰り温泉、食事処、産地直売所として営業しています。
コロナ禍中で『県外の人は利用不可』と看板が出ていたので、立ち寄らず。

国道42号線に沿って大内山川も流れており、単調な国道歩きでも、それだけで気分が違う。

また川沿いの何ヶ所かが公園になっており、御手洗やベンチもあり、休憩を取る場所に事欠かない。

この辺り独特の黒い壁と瓦屋根の家並みを見ながら進み、JR柏野駅も通過。

JR伊勢柏崎駅の直前にある大蓮寺。
花の寺として知られているそう。
北畠家の家臣山崎氏により開創された曹洞宗の禅寺だそうです。

巡礼路沿いにあった民宿。

伊勢柏崎を抜ける時、一軒の古い民家の前に首に赤いリボンをつけた黒猫がいて、あまりの可愛さに立ち止まって写真を撮ろうとしたところ、ここに住むおばあさんに声をかけられた。

コロナ禍だし、おばあさんマスクしてないし、当方東京から来た身なので申し訳なく、挨拶をし、すぐ立ち去ろうとしたが、明るいおばあさんで「お水はちゃんと持ってる?あげようか?」とこちらを気遣ってくれた。

「お気遣い、ありがとうございます。いや、このネコが可愛すぎて見入ってました。」

「あぁ、このネコはね…」とおしゃべりが始まった。

この旅を始まって以来、初めて地元民とコミュニケーション取った瞬間。


ネコは元々野良で、襲われてケガをしたところを発見し、それから半分野良で飼い続けているとのこと。

そもそも「もうすぐ雨が降りそうだから、降る前にゴミ集積所の片付けをしなきゃ」と外に出てきたところだったそうです。


おばあさん、聞けば御歳90前半。

生まれも育ちもこの辺り。
美容師としてここでお店を構えて生活してきた、とのこと。

背筋もシャンとされていて、滑舌もよく、全てに若々しく、尊敬の念も込めて
「とっても素敵ですね!」と申し上げたところ、

「日舞もやっているから」と。

いやはや、なんと!益々尊敬!!


「それに近所に住む若い男衆(と言っても定年退職後の。90歳台のおばあさんにとっては確かに若いということになるよね。)があれこれ気にかけてくれて、いろいろ助けしてくれるのよ。」

…などなど、小一時間立ち話。


しかし、ついに雨が降り出してきてしまったので、ここで強制終了。

おばあさんは「この後、山裾に沿ってグーっと蛇行しながら進むのよ。お水はホントに大丈夫?」と最後の最後まで気遣ってくれた。
温かさが身に染みて、改めてお礼を言ってお別れした。

そして、急いでゴミの集積場を片付けに行かれました。

私も軒先でポンチョを着込む。
何だかおばあさんから元気をもらった気がする。

こういう飾らない触れ合い。
これが歩き旅の良さだよな、と再認識。

ここが、おばあさんの言ってた山裾に沿ってグーっと蛇行しながら進むところか。

マークあった。
うん、やっぱり欠けで方向を示しているのね。

右手に見えるのが大内山川。

川沿いにはシロツメクサがたくさん咲いていました。

今日初めての未舗装路に誘導される。

ここは近畿自然歩道だそうだ。 

入口に案内板が立っていた。
一瞬混乱した。


歩き出してすぐ『迂回しろ』表示。

雨は降り続いており、湿っているからまたヒルの襲撃に遭うかもしれない、とレインスパッツで靴と足の隙間をしっかりガード。

そして、ヒル撃退用として用意した塩もすぐ取り出せるようにポケットに入れて、いざ!

さらにちょっと歩いては、ヒルがくっついていないかをいちいち確認。

迂回路なんで、過去の経験から表示が手薄だったり、道の状態が悪かったりするのか心配だったけど、問題なく歩けてホッとした。

大内山川が見える。

大内山動物園の看板。

今朝、電車の中で大内山動物園に行くであろう2歳くらいの男の子と若いお父さんを見ていたので、今こんなボタボタ雨になっちゃったけど、どうしたかな?と思った。

ここも歴史のありそうな旅館ですねー。
写真上部、2階の屋根の下辺りとか、ボタボタ雨が写ってるんですけど、分かります?(笑)

ボタボタ雨で靴が漏ってしまったので、巡礼路を一瞬反れて、大内山駅に避難することにした。

ポンチョを脱いで、バックパックをベンチに下ろす。
濡れた髪の毛、カメラ、その他諸々拭く。
ふー…、と一息。

この日は大内山酪農のミルク村に行って、ソフトクリームを食べることを楽しみにしていたのだが、残念ながらミルク村は巡礼路上にはなく、国道42号線を少し戻る。

こんなに濡れたし、さすがに心が折れた。


大内山駅で体勢を立て直し、歩き再開。
地図を見る限り、この後未舗装路に誘導されることはなさそう。

マーク、あるにはあるんだけどさ…。

(今思うと、元からここにマークを貼っていたんだけど、後から無神経に防犯カメラの看板を取り付けられちゃってこうなったってことだよね。)

ソフトクリーム、食べたかったよぅ…。

距離減ってきましたねー。
でもまだ全然実感ない。

国道42号線と紀勢本線というお約束の構図。

ああ、そうですか←他人事

国道の脇にひっそりとあった祠、大師堂だそうです。
ボタボタ雨だけど、立ち止まって手を合わせる。

ツヅラト峠はあっちか。

明日はこのツヅラト峠か、江戸時代に新たに開通した荷坂峠のどちらかを選択します。

どっちを行くかは天気次第だなー。

あれ、もしかして梅ヶ谷駅?

え?
着いちゃった。

…というのも、今日歩くに当たって予習で見たブログには22Kmとあって、そう思って歩いてきたので拍子抜け。

実は18kmだったようで、電車が来るまで1時間半丸々余ってしまった。

とりあえず濡れたポンチョを脱いで、駅のベンチに腰を下ろして、ボタボタ降り続ける雨を眺めながら、しばしボーッとする。


ふと、思った。
松阪に来てから、朝は宿の朝食(でも朝は食べない派なので、ほとんど食べてない)、そして昼、夜はパンで済ませていた。

今夜が松阪ラストナイト。

なんか土地のものを食べよう!と思い、ググッてお店探し。

帰りの電車の窓から見た大内山酪農…

ソフトクリーム、食べたかった…
これ、一生言ってやる(苦笑)

さて、気を取り直して。

松阪と言えば、言わずと知れた松阪牛ですが、経費削減のためにあえなく却下。

松阪と言えばB級グルメの鶏焼きだそうで、地元で評判のこちらに来てみました。

鶏焼きは初めてで、部位の名前や特徴とかよく分からないので、お店の人に伺いながらオーダー。

隣に座っている仕事帰りのサラリーマン男性2人の様子を観察し、食べ方や定番メニューを知る。

『松阪で鶏?牛じゃなくて?』っていうのは、松阪牛は高価で、庶民にとってそうそう口にできるものではなく、そこで比較的安価に手に入れることができた産卵期を終えた鶏(親鳥)を焼いて、味噌ダレに付けて食べたことに端を発するそうです。

鶏汁。

豚汁の鶏バージョンかと思ってましたが、鶏肉は入っていなかった。

鶏汁の定義ってなんですか?

焼肉はまぁ生焼けでも何とかなるけど、鶏は火の通りが甘いとアウトだよね。ということで、若干焦げてきてるけど、念には念を入れて、さらに焼いた。←というのも、昔職場の飲み会でみんなでとりわさ食べて、カンピロバクターで職場全滅した経験から(苦笑)

宿に戻って、風呂上がりの一日お疲れさま大内山牛乳。

お世話になった松阪駅前のビジネスホテル。
一泊4.980円で、2泊しました。

過不足ない部屋。
お掃除もよくされていて、気持ちよく過ごせました。

大浴場はなかったけど、ユニットバスの湯船もそれなりに大きさがあり、文句ないです。

伊勢路歩き始めて、何度か松阪に来ていますが、結局まだ食べていない松阪牛…。

次こそは…!!

Day-3
JR栃原駅-三瀬坂峠-JR滝原駅:22.6km

(※これは今年のG.W.の話)
この日も夜行バスで三重県入り。
でも今回は日帰りじゃない。

一週間、通しで歩きます。

伊勢路のプロローグにも書きましたが、ここに向かう夜行バスの中で今夜の宿を取ったし、当日どんな風に歩くのかも全く調べてもいません。

はてさて、一体どうなることやら。


JR栃原駅からスタート。

栃原駅は巡礼路上ではないので、伊勢路ナビを見ながら、都合のいい合流地点まで行きます。

無事に合流すると案内が出ていました。

左側は紀勢本線の線路です。
未舗装路に誘導される表示があります。

地図を見るところ、先でまたこの道路に合流するようですけど、まぁ行ってみますか。

「当時の風情が残る癒しの古道をお楽しみください」だって。

バカ曲がりとはかつての難所で、谷伝いに大曲がりを余儀なくされたことから、その名前が付いたそう。

濡れた落ち葉は滑るから、気を付けて階段を降りる。

道を見て愕然。
ちょっと写真分かりづらいんですけど、倒木2本が目の前に。
これを潜らないと先に進めないんですけど、なんとも言えない幅。バックパック担いでるし。
かと言って踏み越えるにはちょっと高い。

今、雨が降っててポンチョも着ているので、引っ掛けたら嫌だし、この倒木を越えても道は雑草だらけで「こりゃ靴漏るなー」ということで、引き返すことを決定。

あとでガイドブックを見たら、水の流れる小さなトンネルを通る箇所があり、雨天時など水量が多い時は危険なので迂回するように書いてあった。

神瀬の祠。
山の神、皇大神宮、津島天皇、庚申が祀られているということ。

【猿木坂入口→】という看板。
雑草ボーボーだったら引き返すことにして、とりあえず降りてみますかね。

あ、よかった。歩ける、歩ける。

いい感じ。

左上に表示が見えるので、川を越えるということか。
この一本橋、大丈夫?

緑の奥にうっすら見える眼鏡橋。

うっっっっすら見える。

殿様井戸跡の看板があったけど、井戸へは柵があり、今は見に行けないよう。

後日、田辺市作成の地図で確認したところ、川を横切るため増水時は通行不可で、現在は迂回するように誘導されます。

大台町はお茶の産地。
茶畑が広がります。

すごいね、佐渡からはるばる来た人がいたんだ。
でも行き倒れちゃったんだ。それは無念。
享和2年とは1802年で、江戸幕府が開府してから199年目。

旧旅館 阿知波屋。
この向かいにも旅館があったそうです。

紀勢本線の線路を渡って、浄土宗 観音寺に寄り道。立派な石垣の上に御堂が建っています。

こういうレトロ建物、いいね~。

キタ━━━━━━(n'∀')η━━━━━━ !!!!
私の大好きな珍スポット!!
こういうのは歩かないと出会えない!!

(๑´ㅂ`๑)ヤダ~♡楽しすぎ!
マスクが大き過ぎるペコちゃん、ナイスです!

食いだおれ人形も鬼太郎もキン肉マンもエリザベス女王もいて、なにこの統一感のなさ!

いいわぁ~(゜∀゜)

飽きない(笑)

ここは個人宅ではなく、天理教の道場らしく、看板が出てました。

ここも旧旅館だそうです。

(*´ω`*)ヤダァ~、可愛い~♡

このお家は線路を背にして建っているので、車窓からこの正面は見えません!

歩いたからこそ発見できた一軒!

ビスケットなポスト、可愛すぎ~!!
⸜( ´ ꒳ ` )⸝♡︎

伊勢からこの辺り、玄関上にこれが飾られています。

お正月のしめ縄飾りをその一年飾り続けるのかな?

ところで、みかんあるじゃないですか?
例えばお正月の鏡餅も門松もみかん飾るじゃないですか?

よく考えてみて、なんでみかん?

というのも、昨年のクリスマスに欧州各国の在日大使館が自国のクリスマス文化を紹介するっていうオンライン企画があって視聴したんです。

そしたら、南フランスやスペインではクリスマスにオレンジを飾るんですって。

クリスマス飾りにオレンジ?って違和感しかなかったんだけど、このお正月飾りにみかんっていうのも関係あったりするのか、ないのか?

今度ゆっくり調べてみたい。

立派な碑。
これも紀勢本線の車窓から見えますよ。

道標地蔵。手を合わせて進む。

国道42号線にちょいちょいある表示。

上を走るのは紀勢自動車道。
下にはJR紀勢本線の線路もあります。
そして巡礼路は国道42号線。

右側の黒いお城。
紀勢本線の車窓から見えて、何だろう?と思っていました。
何かの新興宗教の建物だった。

弁慶岩。

国道42号線に面していて、この背後に紀勢本線走っています。

『その昔、武蔵坊弁慶が紀州からの旅の途中、腰を掛け、疲れを癒したと伝えられている石。土地の人は弁慶石と呼んでいる。』と書かれています。

これも国道42号線沿い。

道中安全祈願地蔵。
ここでも手を合わせて進みます。

何度もしつこいけど、右側は紀勢本線。
そして歩くのは国道42号線。
 

ここに『くまさん』という昭和の置き土産みたいな廃墟となった飲食店があって、とてつもない哀愁感漂ってて、いい感じ(笑)

国道42号線沿いにひっそりあった看板。
この峠はまんま国道に吸収されたんですね。

国道に吸収された峠を下ったところにある観音寺跡

下三瀬の八柱神社。

ここから三瀬の渡し舟乗り場への近道がある、とガイドブックには書かれていますが、今は渡し舟はないので、この後宮川を越えるために大きく8km迂回を余儀なくされる。

しかし、この数日後、尾鷲の三重県立熊野古道センターの人が「地元の人が復活させたんだよ予約すれば渡し舟出してくれるよ。」と教えてくれました。

という訳で、これから行く人のために書いておきます。

【三瀬の渡し舟】
大台町観光協会 
Tel:0598-84-1050
E-mail:info@web-odai.info
※最低5日前までに電話で予約すること
料金:1~5名乗船で一回2.500円。
5名以降は1名増える毎に500円上乗せ。

巡礼路から外れるので見に行かなかった三瀬砦跡。

大黒不動明王。
清滝という滝があるそうです。

JR三瀬谷駅降りてすぐ、道の駅おおだいがあります。

ここは大台町役場や警察署、消防署などもあり、大台町の中枢。

ないしょ餅?なんだろう?

WiFiも飛んでて、しばしネット休憩。
御手洗を拝借して、歩きの最中に食べるおにぎりを買った。

オンライン スタンプあります。

宮川にかかるこの橋を渡るために大回りしてきました。これで対岸に渡って、さっき通過した八柱神社付近まで4km戻る感じ。
ちなみにこの橋、登録有形文化財らしい。

眼下に見える宮川と、右側は三瀬谷ダム。

巡礼路沿いには、地元の古道守る会の人たちの手作り表示がたくさんありました。

のぼりも立ってる。

三瀬坂峠登り口までもう少し。
宮川へ下れば三瀬の渡しの降り場と多岐原神社があります。行かなかったけど。

三瀬坂峠のてっぺんまでは1.1kmほど登り。

勾配キツくなくてよかった。

あっという間に峠に到着。

ここにも昔、茶屋があったんですね。

峠には石積みの祠にお地蔵様が祀られていました。

オンライン スタンプあります。

大したことない峠だった。

さて下りますか。

自然の造形美的な。

この石を積むという行為は、人種、民族関係ないよね。

なんだろう?と思って覗き込んでみたけど、まぁちょっとした崖みたいになってる感じだった。

下山して、車道に合流。

靴に石が入ったようで、気持ちが悪かったので、靴を脱いだところ…。

ん?
靴下にゴミが付いてる?枯葉?


手で払ってみても取れない。



え?ナメクジ?


ティッシュを取り出し、つまみ取ろうとするが、思いの外しっかりくっつかれて、なかなか取れない。


あ、これヒルだ!!


 
右足の甲に2匹、よく見るとトレッキングシューズにも2匹ウヨウヨ…。
左足の甲に1匹。靴に1匹へばりついている。

いやだぁぁぁ!!!と無我夢中でひっぺがす!!

初めての遭遇なので、血を吸われた時の対応をその場でググる。

気が付いたのが早かったからか、そこまで血を吸われてないっぽい。靴下も汚れてないし。

うげぇぇぇぇ…と思いながら、靴を履き直して歩いた。

峠を降りたら瀧原宮というところで、なんか雰囲気が違う場所だった。

足神さんとよばれる石。

なんかすごい厳かな感じ。
一本一本の木がものすごく立派!

萌え画で丸わかり瀧原宮。

『二千年ほど昔、第11代垂仁天皇の第四皇女・倭姫命が天照大神のつかいの者として、ご鎮座する地を求めて、大和から伊勢方面を旅していました。』

『旅の途中、倭姫命が流れの速い宮川が渡れず困っていたところ、近くに住んでいた真奈胡神がお出迎えして、川を渡してあげました。』

『倭姫命はそのお礼に真奈胡神があがめる御瀬社を贈りました。それが今の三瀬川にある皇大神宮摂社・多岐原神社です。』

『倭姫命は真奈胡神の案内で三瀬坂峠を越えて、祝詞山の頂上に立ちました。』

「この美しい土地の名前は何ですか?」

「ここは大河の滝原の国でございます」

『倭姫命はこの美しい土地を天照大神の鎮座する地に選びました。』

『これが滝原宮の起源です。』

よく分かんないし、スルーしようかと思ったけど、境内の木々が立派で、空気感別格だったから行ってみました。

奥にある社殿まで500m。往復1kmか。

でも、ここ何かスゴい。
空気違う。

とりあえずお参り。

倭姫命が真奈胡神の導きでこの地を見出し、新宮を建てたのがここの起源ということですか。

瀧原宮を後にし、参道的な住宅街を歩く。 

古民家を改装したカフェ。
気になったけど、立ち寄らず。

今日の終点、JR滝原駅に到着。

今日は栃原駅、川添駅、三瀬谷駅、滝原駅と歩いてきました。

今夜は松阪泊。
明日またここに戻ってきまーす。

Day-2(日帰り)

JR/近鉄 伊勢市駅-JR田丸駅-女鬼峠-JR栃原駅:26km



この日も夜行バスで三重県入り。

明け方カーテンを少しめくって外を見てビックリ!!白い世界!!


「今日峠越えあるけど、どうなる?!」


日帰りの時は普通の洋服に、普段履きのスニーカーなので、ちょっと焦った。


どうやら四日市や津では積雪していて、白子や松阪は積雪なし。


とは言え、ものすごくコロコロよく変わる天気の日で、午前中は煽られるほどに風が強かったし、途中その強風に小雪が混じり、顔や手、足の感覚はなくなり、なかなかハードな道行に…。午後は持ち直しました。


そんな伊勢路歩き2日目。

今日もカメラ忘れてきました。


そして、この時はまだ伊勢路ナビの存在を知らなかったため、田丸駅まではGoogle Map を見ながら旧熊野街道をたどりました。

田丸駅から栃原駅までは持っていたガイドブックに地図が載っていたので、それで。


伊勢市駅から田丸駅までは8kmくらい。


伊勢市駅からスタート(使い回し)


江戸時代には宮川にかかる橋はなく、渡し舟で渡ったそうです。

宮川は伊勢神宮にとって深い繋がりがあり、伊勢神宮の式年遷宮で、新しく建てられた正宮に敷き詰められた石は、この宮川の石ということです。

この度会橋(わたらいばし)のたもとにおいしそうなたい焼き屋さんがあり、心が揺れて入店。したら、私の前の目の前にいるお客さんで売り切れてしまい、「これから焼くから20分待って」と言われ、ちょっと20分足止めは痛いので、諦めました。

(※食べられなかったことは未だに未練で、今ググッたら王道のつぶあんに、餡なし、プリン、ベーコンエッグの4種類あるそう。何それ!?餡なし、食べたいー!!!)
 

わらしべという伊勢発祥のたい焼き屋さんだったんですね。


さて、気を取り直して。

度会橋を渡って宮川沿いに、尾崎咢堂(おざき がくどう)記念館がありました。

「誰それ?」からの、帰宅してからググる。


“憲政の神”と呼ばれた人物で、63年間で衆議院議員に連続して25回当選し、日本最高齢の94歳まで議員を務めあげたそうです。


昭和懐かしい住宅街や田んぼの中をひたすら歩く。ずっと舗装路。結構飽きる。

ひたすら歩きたい気分だったから、まあいいけど。


はい、JR田丸駅、到着ー。

駅前ロータリーにあった「熊野街道出立の街」のモニュメント。
このご時世なので、像も律儀にマスク。

熊野街道をたどる往時の旅人の姿。
お伊勢参りを済ませ、ここで旅装束に着替えたそうです。

伊勢路のスタートは実質ここから。

田丸のスタンプのQRコードは、駅前ロータリーのモニュメントのところではなく、少し行った小さな交差点のど真ん中にありました。

和合橋の手前の道標。
新宮まで162kmと表示されています。

この頃は、“はるばる散歩に来た”程度で歩いていたので、新宮までの残りの距離数を見ても「ふーん」で、全く他人事。

県道13号を西に進みます。
接待地蔵だって。えー、なんで接待なんだろ?

巡礼道引観世音 石佛庵
一瞬、県道を逸れて右に入ります。注意!

地味なスポットだけど、QRコードあります。

永昌寺

多分ここの名物であろう、眠り地蔵。

永昌寺は小さな交差点の真ん中に建っており、県道13号から、今度は県道119号をたどり、伊勢自動車道の高架をくぐります。

伊勢自動車道をくぐると、女鬼峠の登り口はすぐ。

看板も手厚く、安心感あります。

この区間を歩く前にすでに伊勢路No.1の難所である八鬼山を歩いていましたが、例えばあの辺りに九鬼って地名もあったし、この女鬼峠とかも“鬼”って付くの、なんか由来がきっとあるんですよね?

鬼滅の刃のブームがまだ続いていただけに、そんなことをぼんやり考えながら歩いた。

それより、この空き缶のイラストがツボです(笑)

ん?石畳の成れの果て?

あ、轍(わだち)ですか。

スタンプの絵柄もこんな感じ。

茶屋跡。
中辺路にしても小辺路にしても、こういう茶屋跡たくさんありましたけど、イメージとしては水戸黄門の映像を思い浮かべます。旅人は腰を下ろしてお茶を飲んだり、団子を食べたり、にぎわっていたのかな?

切り通しというと、歴史で習った鎌倉の切り通しがまず思い浮かぶ。

ここが峠ということでいいのかな?
標高は120mでした。

ここは眺望がないので、余力がある人は展望台へどうぞ。

説明の看板を読んで「へー」

切り通しを歩くところを動画に撮りました。

峠に安置されている如意輪観音像。
1738年製らしい。


降り口直前にあるため池。
平和な景色で、しばし足を止めて眺めていました。

降り口にもQRコードがありました。

県道119号から分岐してきた県道709号に沿って歩きます。

巡礼路は側道に入っていくところ、私は反対側を歩いてきてしまい、そこでたまたま道路工事をしていて、渡るタイミングを損ねてしまい、引き返しました。

1688年ですかー。

この後、無駄に未舗装路に誘導された。
蜘蛛の巣は顔にかかるし、何かの動物の骨も見てしまい、テンションダダ下がり。

多分このお地蔵さんを見せたいがために、誘導されたっぽい。

お地蔵さんを見せられた後、一瞬県道709号に合流するも、この熊野古道のマーク付きの看板があり、また未舗装路に誘導される。
ところが、その先に目印が何にもないし、雑草がすごくて、とても歩けたもんじゃないので、さっさと県道に戻りました。

なんで、ごめんなさい。
柳原観音千福寺は見逃しました。

今日の終点、JR栃原駅に到着。
はい、お疲れさまでしたー!

伊勢路は、三重県にある伊勢神宮から和歌山県新宮市にある熊野速玉大社までの170kmの行程です。

スタートは「お伊勢さん」と親しみを込めて呼ばれる伊勢神宮。

江戸時代には「おかげ参り」として大ブームが起き、当時大坂からは片道5日、江戸からは片道15日ほどかかる長旅をしてまでも、多くの人々が訪れました。

そして「ここまで来たならば…」とさらに足を延ばし熊野三山、または西国三十三ヶ所の一番札所である青岸渡寺までたどったのが伊勢路です。

ただ現在の伊勢路は、国道42号線やJRに寸断、吸収されてしまい、歴史的な参詣道を正確にたどるものではなく、行政などが伊勢路のウォーキングルートとして整備した道を行きます。

それでも峠越えは往時のルートが温存されていたり、地元の人が鎌とノコギリを携え、地道に掘り起こし、その後も整備してくれているのが歩いていて伝わってきました。
中辺路、小辺路に比べたら歩く人は格段に少ないので、荒れ放題な箇所もあっただけに、人の手が入った道がどれだけ歩きやすく、有難いかも身に沁みました。


◇◆◇◆◇◆◇


定職に就いている身として、全行程を歩き通せるほどの連続した休みが取れないので、コロナ禍の合間を縫って単発・日帰りで歩き進めていました。


今回、与えられたのは1週間。

悪天候の日は予定通り歩けなかったりもしたので、単発・日帰りで歩いた区間は割愛しました。


なので、一部の区間歩いた時期は異なりますが、便宜上、全部つなげてご紹介していきます。


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Day-1(日帰り)

JR/近鉄 伊勢市駅-伊勢神宮 外宮-伊勢神宮 内宮:4km


東京から夜行バスで松阪や白子へ。
そこから電車を乗り継ぎ、伊勢市駅に到着。

正式参拝とされる外宮から参拝します。
境内に入って火除橋(ひよけばし)を渡ります。

正宮
豊受大神(とようけのおおみかみ)という衣食住の神さまが祀られています。


さて、次はいよいよ内宮へ参拝しましょう。
外宮から内宮へはバスが出ていて、乗れば10~15分ほどで着きますが、我々としてはすでに巡礼は始まってますので、Let's 歩きましょう!(笑)

伊勢神宮 内宮から外宮までは「古市参宮街道」という名称で、道上に案内がたくさん出ているので、地図がなくても十分歩けます。

登録有形文化財の麻吉旅館

外宮から内宮へと続くこの古市は遊郭としてにぎわっていたそうです。

古民家を再利用したスペインバル、気になる。
オレオとはガリシアの穀物倉庫のこと。
なんでこの店名にしたのか、こだわりきっとあると思うんだよね(笑)

すみません、この日はカメラを忘れたので、スマホ撮影。基本住宅街なので、写真もほぼ無。

猿田彦神社も寄りましたが、撮ってません。
悪しからず。

はい、内宮到着!
内宮の聖域への入口である宇治橋。
俗界との聖界の架け橋だそうです。

気持ち姿勢をよくして渡る。

五十鈴(いすず)川の清流。
この御手洗場で参拝の前に心身ともに清めたそうです。

五十鈴川は神路山を源に、伊勢神宮 内宮の敷地内を流れ、伊勢湾に続く全長20kmの川。
いすゞ自動車の社名にもなったそう。

正宮へのゆるやかな石段。
天照大御神が祀られています。

境内では鶏が神々しく歩いてました。
奈良公園の鹿じゃないけど、古来より神さまの使いとして扱われているそうです。

お伊勢参りを済ませた観光客でにぎわうおはらい町。伊勢神宮の社殿にも使われている切妻屋根の土産物屋や飲食店が軒を連ねています。

伊勢といえば、赤福!
明治10年再建の赤福本店。

赤福、いっただっきまーす!
お餅は五十鈴川の川床の石、餡の形は五十鈴川の清流を表しているそうです。

あぁ、誘惑がたくさん…(笑)

でも、ここは食い気より真珠を扱うお店が気になり、3軒ほどかなり本気で物色!(笑)

でも今は見るだけで我慢!!

(この旅が終わったら、本真珠のアクセサリーを買うと心に決めている。)

近鉄 山田線の終点、宇治山田駅。
国の登録有形文化財。

宇治と山田は伊勢に古くからある地名で、宇治は伊勢神宮の内宮周辺、山田は外宮周辺を意味してるそう。

この駅舎を見てみたかったので、寄り道。

三重県がやってる伊勢路のオンラインなスタンプラリー。

伊勢神宮 外宮のスタンプのQRコードは、境内外にある伊勢市観光協会内にあります。

伊勢神宮 内宮のQRコードは駐車場内にある観光案内所にあります。

【宿泊】

よく「わざわざスペインまで行かなくても、日本でも巡礼旅できるじゃない?四国遍路とか、西国三十三ヶ所とか、秩父とか国東半島とか…。なんでスペインじゃないといけないの?」と言われます。


「個人的に全くピンとこないし、私は別にアウトドアとか歩くのとか好きじゃないんで…」と答えて、質問した側を混乱させています(苦笑)


そんな中で唯一熊野古道は、なんかピンときて、何度も足を運んでいます。


熊野古道自体は2008年くらいから「いつか行ってみたいな」と思う土地ではありました。


しかし、なかなかアクセスしづらいし、台風が来ては『道が崩落した』というニュースを聞いたりしてずっと頓挫し、結局熊野古道デビューは2012年になっていました。


東京から、マイカーなし、電車は走ってない、バスも本数少ない…あぁなんて融通のきかない場所なんだ…と。


そんな時、

“まだあったんです、極上の日本が…”

というJRのポスターで見たフレーズを皮肉を込めてつぶやいてます(笑)



熊野古道が交通の便が悪く、遠い場所である理由の一つに、「出かけたいと思った時に宿泊先が確保できない」というのもありました。


「あ、時間ができた。熊野古道に行ってみようかな?」と思っても、もう宿泊先が確保できない。そもそも宿も少ない上に、近年外国人観光客も多くなり、直近だと絶望的に予約ができない状況になっていました。

単に無計画な自分もいけないんですけど、仕事がシフト制なこともあり、直近にならないと休みが分からないから、というのもありました。


そして、“旅の費用はなるべく抑えたい”となると、ハードルはさらに上がります。


そこで今回伊勢路では、規模のある町に拠点を置き、毎朝そこから電車に乗って通うスタイルを取りました。


通し歩きにこだわりはありましたが、そうなると宿の選択肢は限られるし、宿泊費についても選り好みはできません。


中辺路と違い、伊勢路は巡礼路が紀伊本線や国道と並んで走っており、どの熊野古道より交通の便がいいので、その方法で歩きました。


今回は松阪、尾鷲、新宮の各地でビジネスホテルに泊まりました。往復の電車賃や、電車の時間にあわせて時間配分をしなければならないことなどの制約はありますが、一泊7.000~8.000円とか、むしろそれ以上とか、下手に高い民宿に泊まり続けて歩くより、ブッキングサイトで割引中のビジホを渡り歩けば安く済むし、重たいバックパックもホテルに置いて、身軽で歩けます。


ですので、もし伊勢路をご検討中の方は、こういう方法もあると思うと挑戦できるチャンスはグッと上がると思います。



費用を抑える意味で、中辺路・小辺路は素泊まりで歩きましたが、熊野古道は僻地すぎてコンビニがそうそうありません。個人商店なんかがあっても午後5時に閉まってしまったりして、食いっぱぐれてひもじい思いをした経験から、缶詰などを持ち歩くことを覚えましたが、伊勢路は国道と並走しているので、駐車場併設のコンビニが数多くあり、補給・調達はもちろん、御手洗を使えることが何より有難かったですね。


コンビニおにぎり、一体いくつ食べたんだろう?(笑)



今まで個人的に小辺路をオススメしてきましたが、今回伊勢路を一番オススメしたいポイントとして、交通の便のよさと道中にコンビニが多く、食料が手に入り、トイレ問題も解消されるということが挙げられます。




【食事】

私は海鮮が好きではないのでアレですが、海に面した土地柄、美味しい海鮮も味わえますから、そこもポイント高いんじゃないでしょうか?

尾鷲でとりあえず食べた海鮮丼

松阪のB級グルメ、鶏焼きも堪能。

伊勢うどん!初めて見た時は汁の黒さに驚きましたが、たまり醤油で甘めなんですね。良心的な価格だし、おいしいし、気に入りました。麺はグデングデンに茹でられて、箸で持った途端に千切れるのかと思いきや、そうじゃなかった。麺の食感は柔らかいというより、“フワフワ”という感じで、食べ終わると、結構お腹にたまって満足できます。

大内山牛乳はこの伊勢路での忘れられない味になりました。伊勢路は大内山を通過します。
私は実は飲み物としての牛乳は嫌いなんですが、これは牛乳臭さがなくて、でも甘みとコクがあってゴクゴク飲めました。コーヒー牛乳やフルーツ牛乳もあって、コンビニで買ってはお風呂上がりに、毎日楽しく飲んでましたね。

南下していくと、どこもかしこもみかん!
とっても美味しそうで食べたいんですが、こんな大きなみかん4つもいらない…。とか、kg売りされて、歩き旅な私たち、そんなにたくさんいらないヨ…。あとこれ、手で剥けなかったら泣くヨ?

唯一、熊野速玉大社の境内で2個売りしてくれて、セミノールという品種を食べましたが、スゴいですね。皮を剥こうと指を皮に入れた瞬間に果汁がボタボタ…皮が薄すぎてもはや触るだけでボタボタ…手もベタベタ。

これ、どうやって食べるん?

美味しいんだけどさ。

というわけで、
食も楽しい伊勢路、全力でオススメします!

◇◆◇◆◇

お世話になった松阪駅前のビジネスホテル。裏にはコンビニもあります。個室だし、ドライヤーも寝巻きもあります!洗濯機も!ビジホ万歳!

ビジホなので朝食込みでした。
…ですが、私は普段朝ごはん食べない派。
でもせっかくだから、とりあえず…(笑)

松阪なだけに鶏の味噌焼きや、ビジホならではのガッツリ焼きそばやカレーもありました!

駅近サイコー!

伊勢路は国道と紀伊本線と並走しているので、帰りは今日歩いてきた道を車窓から眺めて、反省会をしていました。

ワンマン運転です。交通系ICカードは使えない。新宮から田辺方面は使えるのに、三重県側では使えないのなんで?
あと新宮から田辺方面は電車なのに、三重県側は気動車なのなんで?

単純に歩く距離を勘違いしてたり、思っていたほど峠越えが厳しくなくて、早く着いてしまうこともあり、1時間半とか2時間、駅舎でポケ〜とすることもありました(笑)
どこも青春18きっぷみたいな駅で、エモさ抜群でしたね。
伊勢路を歩く際の地図やガイドブックについてあれこれ...。

2016年、デュアルピルグリムを達成した私は、「次はどの道を歩こう?」と思い、田辺市役所に問い合わせて、地図を取り寄せることにしました。「伊勢路の地図はありませんか?」と訊ねたところ、「あいにく、ドライブ用のものしかありません」と。

まぁそうだよね、県が違うしね。
届いたのがコチラ↓
チラ見して終了。

2019年、モンベルに山の地図を買いにいったところ、一番左の本を発見。
この本を手に入れたことで、その後タイミングを見計らって、伊勢路の峠を単発で3~4つほど歩きました。
(※後日amazonのリンク貼ります)
左から、

・「歩いて旅する熊野古道 高野・熊野」
(山と渓谷社) 
モンベルの店舗で購入。
中辺路、伊勢路、高野山・町石道、吉野山が載っています。
中辺路、伊勢路はこの一冊があれば全行程歩けます。
高低差や宿泊地については情報なし。


・「聖地巡礼」(伊勢文化舎)
馬越峠直前にある「道の駅海山」で発見、購入。
日帰りハイク用に向けて作られたとみられる本。
伊勢路の各峠、中辺路・大辺路のハイライト、大峰奥駈道の関連コース、小辺路を掲載。


・「熊野古道 巡礼の道 伊勢路を歩く」
(風媒社)
紀伊長島の「道の駅まんぼう」で発見、購入。
馬越峠のふもとにお住まいの方が書かれた本。地元ならではのディープな内容で、読み物として参考になる。地図はツヅラト峠や馬越峠などごく一部の峠しか載っていない。

東紀州地域振興公社が配布している冊子。
紀勢本線の駅のラックなどで手に入る。
各峠の地図を掲載。

地図はこんな感じ。
無料で手に入るのと、日帰り単発ハイクなら、まぁ持っていればいいんじゃないでしょうか?程度。

巻末はスタンプ帳になっていて、峠のスタンプを集めると完歩賞として「紀州のひのきの完歩手形」がもらえるらしい。

指定の峠の頂上にスタンプがある。

雨の日なんか、この冊子をいちいちザックから出し、スタンプを押すのが面倒で、真面目にやらなかった。

注意:
田辺市とサンティアゴ・デ・コンポステーラ市がやっているデュアルのクレデンシャルのためのスタンプではありません。デュアル ピルグリムの達成要件に伊勢路は含まれていません。



尾鷲にある三重県立熊野古道センターの職員さんに「伊勢路はどう?」と聞かれた際に、「よく出回っているのは峠の地図しか載ってなくて、通し歩きの人には困る。道しるべも峠は充実してるのに、道路に出たらほぼ放置プレー。伊勢路ナビを活用しているが、たまに電波の悪い区間もあり難儀をした。最後の手段で国道を歩いた。」と正直に伝えたところ、「迷ったら、国道を歩くのが正解!」と言われてしまった。

そして、アトリエ地球屋の植野めぐみさんの絵地図(非売品)をくれました。


峠と峠の結ぶ道路区間も網羅されているが、いかんせん絵地図なので個人的に歩きの最中にこんなの見てられない。
予習復習にはイメージが持てて、大変よいと思う。
巻末には営業している民宿、ビジネスホテルなどのリストが掲載されています。
あとご親切に、ドコモの電波状況についても色分けされています。

こちらでダウンロード可能↓



「道の駅パーク七里御浜」敷地内にある観光案内所で発見した田辺市熊野ツーリズムビューローが外国人に向けて作った英語版の地図。
残念ながら日本語版はありません。

これ、これが欲しかった!

これがあれば伊勢路全行程歩き通すことができます。
高低差も掲載。宿泊先リストはなし。

三野瀬の渡し舟の連絡先も書いてあるではありませんか!

伊勢路を南北に三分割し、
・北編(伊勢神宮~阿曽)
・中央編(阿曽~新鹿)
・南編(新鹿~熊野那智大社、本宮道)
の3冊になっています。

田辺市熊野ツーリズムビューローがいつこれを作ったのか知りませんが、田辺市に問い合わせれば郵送してくれんじゃないでしょうか。

それか、こちらからダウンロードできます。
ただし英語のみ。


カミーノでも昨今はガイドブックを持ち歩くより、専用アプリや地図をダウンロードしたり、また公式にデジタルクレデンシャルも活用され、時代はスマホありきの旅になりました。


伊勢路ではこちらのサイトを重宝しました。

GPSと連動してくれれば文句なかったんだが...。
あと電波の悪いところだと困りました。


あと、こんなものもあります。

指定の峠の頂上にQRコードがあり、それを読み込むとスタンプがもらえます。
雨の日でも苦なく集めることができましたが、単発で歩いていた頃のスタンプがよみがえってこないので、困っています...(泣)

こんな感じで、先ほどご紹介した東紀州地域振興公社のスタンプの設置台の横にQRコードがあります。

読み込むと、こんな感じで表示されます。

オンラインのスタンプ帳はこんな感じ。
過去にゲットしたスタンプはどうしたらよみがえるんだろう...?

コンプリートすると、こんなピンバッジがもらえるそうです。

んー、まぁ別にいいかな...(苦笑)