noriのブログ




今日は「意識をどこに向けるか」について

書いてみました!

意識を向けている対象自体が、

意識上では全ての現実として映ります。



あなたは常に現在という時に生きていますが、

例えば、あなたが今満員電車で揺られているにしても、

先週末したデートのことを考えたり、

次の給料日のことについて考えているとき、

あなたの意識は現在にはおらず、

意識上では未来や過去の中に生きています。





過去

現在

未来



どれについて考えることが最も大切でしょうか?

「今を楽しむのがとても大切だよ」、

「いやいや、未来に目を向けないと」、

と様々な意見があると思いますが、

現在も未来もどちらも大切なので

そのバランスが大切だと思います。



過去については、

過去の楽しかったことや、自分を勇気づけてくれる思い出、

「現在の自分に力を与えてくれる」過去の出来事に意識を向ける様にします。



人はいつまでの過去の良くないこと、悲しいこと、悔しいこと、

に目を向けがちになってしまいますが、それらのことを考えることは

ただ今現在の自分に「その過去のときと同じ悲しさ、悔しさを再現するだけ」で

「現在の自分から力を奪う」、つまりは過去の良くない出来事を

再生することにより負の感情が湧き起こり、自分を行動できない、

例えばくよくよした状態にします。



過去であっても未来でも現在でも、

楽しいことを考えると楽しくなるし、

良くないことを考えるとネガティブな気持ちになるのは

当然のことですが、これが自分の「現在の意識・状態」を

コントロールする上で大切な礎となります。



「今自分が意識していることは現実として認識・実感される。」

それが今現在目の前でおこっていることであっても、

遠い過去に過ぎ去った出来事であってもです。



そして未来については、心配事や不安ではなく、

できるだけ自分が望む結果やその達成方法を明確に意識していきます。



決して問題を直視しないということではなく、

問題がある場合には、問題自体にばかり思考を奪われず、

ある程度問題を直視し原因の分析をしたら、

解決策や解決した先にあるイメージに意識を向ける様にします。

要はここでも、問題を直視する時間、

解決策を模索する時間、その先の良いイメージ、

それぞれのバランス・配分が大切になります。



そのほかに、過去、現在、未来の他に意識を向ける方向として、

内 と 外 があります。



内とは自分の心の中、外とは自分の外にある世界です。

ポイントとしては、自分の外で起こる世界にはコントロールできないこともあるが、

自分の心の内は完全に自分自身でコントロールができるということです。



スティーブン・R・コヴィーの著書「7つの習慣」でいうと、

我々には「刺激に対する反応を選択する自由がある」、ということになります。



刺激とは外の世界が自分に与える刺激であり、

要はその出来事に対してどう自分が反応を選択するかが大切になります。



ここでも、「自分に力を与えてくれる」解釈・反応するか、

「自分の力を奪う」解釈・反応をするか、を選択する自由があります。



図式

外からの刺激 → 自己 → 反応



例えば、

客からクレームがくる(刺激)



自分の内なるフィルター、つまりはこの出来事に対する

解釈・反応により、沸き起こる自分の感情の種類や

その次に取る行動も異なります。



解釈①「嫌だなー、このお客怒ってるよ、もう面倒だなー」

→嫌な気持ちが起こり、短期的な対処療法でさっさと処理しようとする。



解釈②「これはお客が貴重な意見をくれているまたとない機会だ、

これは我が社のサービスを向上させたり、

このお客との関係を深めるチャンスかもしれない」

→やる気になり、更なるサービス向上に意識が向く、

客先へより深いサービスを心掛けようとする。



私たちは常に「現在」という時に生きていて、

現在は常に1秒1秒もう取り戻せない過去として過ぎ去っていきますが、

自分の意識を、過去、現在、未来、自分の内、外のどこに向けるのか、

それぞれについてどういったものに意識を向けるのが良いか、

またそれらの出来事が良いことであっても、例え悪いことであっても、

自分の内である心は自由にコントロールすることができ、

その刺激に対して自由に解釈や反応を選ぶことができることを

よく覚えておきましょう。




最後にここまで読んでくれた皆さまへ
デニス・ウェイトリーの詩を贈ります。(大田直子訳)

私はこの詩の今日を「今」、
昨日を過ぎ去った時間、
明日をこれから迎えるすべての時間
と読み替えてみるのもいいと思います。

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
「今日という一日を」by デニス・ウェイトリー

気にしてはいけない日、恐れも心配もしてはいけない日が二日ある
そのうちの一日は「昨日」
まちがいや苦労、失敗、痛みや苦しみがあった「昨日」は、
もはや永遠に私達の手から離れてしまった

世界中のお金を集めても「昨日」を買い戻すことはできない
どんなことも「なかったこと」にはできず、
どんな言葉も「言わなかったこと」にはできない
なぜなら、「昨日」はもう過ぎてしまっているからだ

気に病んではいけないもう一日は「明日」
不運や負担、プレッシャー、重要な約束、痛恨の結果が待っているかもしれない
「明日」もまた、私たちが直接コントロールすることはできない
だが、「明日」も太陽は昇る
明るく輝いているか、雲に覆われているか、いずれにしても太陽は昇る
それまで「明日」のことは関係ない
なぜなら「明日」はまだ生まれていないからだ

これで残ったのは「今日」だけ
たった一日なら誰でも戦うことができる
あの恐ろしく長い二つの時間 
「昨日」と「明日」 の重荷を背負おうとするから、みんなくじけてしまうのだ
私たちの気分を狂わせるのは、「今日の経験」ではない
昨日起こったことへの後悔と苦々しさ、
そして明日がもたらすものへの不安だけだ

「昨日」は変えられない
始まってもいない「明日」はまだ変えられない
今、私たちができることは「今日」の一瞬一瞬を変え続けることだけ
だからこそ、この今日という一日を精いっぱい生きよう