今日8月29日はマイケル・ジャクソンの誕生日です。

マイケルの死の報道は私の結婚式の直後でした。
ドイツから来ていてうちに泊まっていたドイツ人の友人夫婦も共に驚きました。

アポロシアターに集うアフリカ系アメリカ人がWanna Be Startin' Somethin'を
歌うのを見て、そしてマイケルの訃報に嘆き悲しむ彼らの姿をみて、
私は誤解していた事に気がつきました。

マイケルは白人になったんじゃないの?

明らかにマイケルの整形は「その人種的特徴」を消し去るものに思えました。
しかも肌はどんどん白くなっていった。

整形はさておき、肌は病気によるものでした。
この点は様々な報道があり皆さんもご存知かと思いますし、
後で触れますが私にとっては「どうでもいいもの」になっていました。

マイケルは、アフリカ系アメリカ人に愛されてるんだ!

この事実を突きつけられた死でした。

私がマイケルにリアルタイムで接したのはBADから。
レコードの針を置いて、ベースラインが流れた瞬間に、
体が動き出しそうになったのを、今でも覚えている。

私が通っていた中学校でもマイケルの来日は大騒ぎでした。
U2にもPrinceにも反応しない学生がマイケルだけには物凄い騒ぎになっていた。
日本ではマイケルはそういう存在だった。

私はプリンスが大好きで80年代の言い回しで言う、
日なたのマイケル、日陰のプリンスで言うと、
日陰のプリンスを愛して聴いていました。

そのプリンスも肌はどんどん白くなっていった。
特にThe Most Beautiful Girl In The Worldの頃は真っ白だった。

だからマイケルの肌の白さも別に気にならなかったんです。

ただ90年代のアフリカ系アメリカ人のR&B,Hip Hopの台頭を見て、
マイケル、プリンス共に「白くならなければ良かったのになあ」、
としか思っていませんでした。

プリンスが90年代のR&B,Hip Hopの取り込みに失敗したのに比べて、
マイケルはDangerousでテディー・ライリーを迎え素晴らしい作品を
作りました。当時グラミー賞で「これがR&Bなのか?」と議論になった、
Remember The Timeは勿論、JAMは今でも普通に私のお気に入りです。

ただ、子供の頃から知っているアーチストへの反抗期が誰にでもあるとおもう。
私もマイケルを離れる時期がありました。

特にBlack or Whiteでマコーレ・カルキン率いる子供達とラップしている姿は、
当時ガキ臭く見えた。それで、どんどんマイケルから離れて行ったとおもう。

しかし、Dangerousのツアーも行ったしHiStoryのツアーにも行った。

私は何を見ていたんだろう。

マイケルの死後、気がついたことがあります。
彼は音楽で今の自分自身を表現する人だったんだと。
こんな当たり前のこと。。。

ジャム&ルイスを迎えたScreamがあれ程、かっこいい楽曲でPVも素晴らしいのに、
Billboardで1位になれなかったのは歌詞のせいだと思う。

「自分にこれ以上プレッシャーをかけないでくれ!叫びだしそうになるんだ!」

こんな歌、1位にならないだろう。
Black or Whiteの方が家族で仲良く聴ける。

ただ、例の裁判以降、世間の目が突如としてマイケルを厳しい目で見るようになり、
彼の心境が痛烈に吐露された楽曲だとおもう。

彼は自身で言っているように幼少期から多くの人の目に晒され、
人の倍以上ものスピードで人生を積み重ねていった。

その彼がHeal The Worldのような本来ならば老成した人が歌う曲を、
あの若さで歌うのは何ら不思議な事でなかったのだろう。

彼の死後に気がついたアフリカ系アメリカ人のマイケルへの愛、
そしてマイケルが自身を曲で吐露する人物だと知った今、
中学生の頃は素敵に聴こえたMan In The Mirrorが突き刺さるように、
彼のメッセージを今更感じている。

マイケルは闘った人だったんだ。James Brown,Slyのように人種差別に対して!!

Off The Wallの後だったかRolling Stone誌にマイケルを表紙にするのを、
「黒人が表紙だと雑誌が売れない」と断られている。

そしてThrillerを出すにあたって新しいダンスが必要だと考えたマイケルは
ムーン・ウォークを1,000ドル払って、ある人から習った。

ムーン・ウォークはマイケルが独自に編み出したものではなく、
パントマイムのマルセル・マルソーが原点だったはず。

そしてマイケルがムーン・ウォークを1,000ドル払って、ある先生から習う。
そしてモータウン25周年でのビリー・ジーンでムーン・ウォークを初披露する。
その先生はマイケルに電話をかけて言ったらしい。
「おめでとう、マイケル。素晴らしかったよ。君のものになっていた。
 だけど君の足は怒っているんだね」



何に対して怒っている?黒人への人種産別に対してだ。



モータウン25周年のマイケルのビリー・ジーンを未見の人はぜひ見てください。
この攻撃的なマイケルのダンスを。
ムーン・ウォークが初披露されたモータウン25周年です。



Man In The Mirrorが収録されているBADがリリースされたのは、
Thrillerから約5年後。この曲はアルバムのクレジットを見ると、
I just can't stop loving youを歌っているSiedah Garetteと
Glen ballardになっているがマイケルのソウルがこもった
メッセージソングだ。

怒りを乗り越えてこんな歌を歌ったんだマイケルは、29歳の年で!

ただ切ない。Man In The Mirrorは余りに切ない。
求道的すぎるからなんだろうか。

そのマイケルが優しい音で作ったHeal The World...
当時、説教をされているように感じた私はマイケルのことを分かるには
幼すぎたんだと思う。求道的なMan In The Mirrorからようやく
Heal The Worldを歌えるようになったのに。

第一弾はOff The Wallらしいがこれから年に1枚ずつ
マイケルの未発表音源がリリースされるらしい。

ファンとしては嬉しいが彼が去ったいま音楽的に残念なことがある。

プリンスに共同でツアーをやろうと持ちかけたという話しがあるが、
そのプリンスが70年代にレイドバックしたかのようなMusicologyで
ビルボードに返り咲いたのを見て、Alicia Keysの活躍を見て、
今のマイケルが2010年にマイケルがアルバムを出してくれていたら、
70年代から2000年代をマイケルらしく取り込んだ素晴らしいアルバムが
出来ていたのではないかと思う。

ただ、This Is Itのリハーサルも異常な量の麻酔、鎮痛剤を使って行われていたから、
マイケルにはアルバムを出す余力はもう無かったのだろうか。

そしてその麻酔、鎮痛剤はマイケルに眠りを与えてくれていたようだが、
心の安らぎは与えてくれてのだろうか?

マイケルがこれ以上「Scream」を歌わなくてよくなった事が、
せめてもの慰めである。

マイケルと同世代、そしてプリンスと同じように今もスーパースターの
MadonnaのMTV Video Music Awardでのスピーチ、未見でしたら、
ぜひご覧ください。私の駄文よりマイケルが持つことが出来なかったもの、
マイケルが求めてたものがストレートに伝わるとおもいます。



今日はマイケルの誕生日。私が大切にしまっている物をお見せします。
ここで、皆と一緒にMadonnaのスピーチの最後の言葉を言いたかった。

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