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i know that you are the first

i know that you are the first

『ジンタ』・・耳慣れない言葉だと思うが音楽の様式、リズム形の俗称とされる。明治の終わり頃「日本初の円舞曲」と発表された唱歌に「美しき天然(天然の美)」がある

が当時日本では西洋音楽の輸入が盛んで童謡や唱歌にも影響が及んだらしい。昭和の中頃「あがた森魚」が唄った
「赤色エレジー」と言えば頷いて頂けるだろうかHalloween派對 ・・。


素人の音痴が音楽の方向性を論ずるものではないが「ジンタ」は後の「サーカス」や「チンドン」のテーマに使われたようである。演奏に使われる楽器としてはクラリネット

やトランペットなど管楽器が多いが歩行演奏用に工夫された\「ゴロス」や「当たり鉦」はチンドンには欠かせないという。3拍子で1・2・3「ズンタッタ」「ジンタッタ」とい

うリズム型が『ジンタ』という言語の正体らしい。


「ジンタ」が流行したことで「楽隊広告」という宣伝法やジャンルが生まれたともいわれている。
「美しき天然」が誕生したのは明治33年のこと萬聖節活動 ・・国文学者で当時宮内省歌所寄人、歌人の「武嶋羽衣」氏の作詞で、楽曲は当時「海兵団軍楽隊長」の「田中穂積」氏が担当

している。長崎県佐世保高等女学校の音楽教材として哀調「天然の美」は採用されたのである。同時に「日本初の円舞曲」は「舞曲」と題されてレコード発売されたという。


数年前だったと記憶するが、NHK・ETVだったかで「ジンタ\・心の行進曲」というドキュメント番組があり心惹かれて画面に見入ったことがある。東北の一寒村を舞台に長年続

けてきた「ジンタ」の演奏と中高年男性たちバンドメンバーの友情や地域スポーツの応援を担う姿が頼もしく描かれ
ていたが、やがて高齢化と共に会員の減少など困難が立ちはだかる。そんな過程が丁寧に描かれて哀愁漂う「ジンタ」のドラマに仕上がっていたと思う親子好去處


昭和36~7年頃の想い出話になるが、戦後復興の途上にあった日本にはまだ高速道路も無く新幹線も通ってなかった。当時の自家用車と言えば自転車が主流だった。旅行でも仕

事でも国内の移動手段と言えは汽車か電車・・或は汽船に限られていた。地方新聞の企画部に所属していたデザイナーのA氏と然る展示会が縁で出会ったのが切っ掛けで意気投

合し親しくお付き合いをさせて戴くようになっていた。


そんな或る日、突然A氏から電話があり、四国徳島の「阿波踊り」に招待したいと誘われる。私は生粋の大阪人だが、四国地方への旅行に飛行機の予約を依頼したので・・と聞

かされて一瞬驚いた。というより頸を傾げたのである。当時の一般的概念として本州と四国の往来だと精々宇高連絡線を使うか或は関西汽船が定番という時代だったからであ

る。「東亜航空」や「国内航空」が所有するグラマン\社製の双発機で翼下に船艇を抱えた水陸両用機だと聞かされて二度ビックリしたことであった。


戦時中の記憶が頭上を掠めたのである。重く鈍い音が低空を飛んだ空襲の記憶・・耳を塞いだ艦載機は忘れもしない「グラマン」だったのである。即刻お断りしようかと悩む

も期日直前の予約だからキャンセルさせては先方に迷惑が掛かることになる。かといって他に断る理由は見つからないしA氏の好意に対しても礼を損なうことになる。半ば頭を

抱えながら「宜しくお願いします・・」と承諾したのであった。


やがて約束の日がやって来て恐る恐る機上の人となった。緊張に身を包んで搭乗した「ツバメ号」はどうやら「徳島松茂飛行場」の上空に着いたらしく旋回していた。着陸体

勢か?と思っていたらスチュアデス(当時)のアナウンスが流れる。


   『只今松茂飛行場上空ですが機長の判断により本日はこれより 
     「吉野川」に向かい着水態勢に入ります ベルトを着けた侭お待ち下さい』


という。如何にも事務的で簡単な説明だが初体験の私には余分な心配が募った。隣席のA氏の顔を覗くとニコニコと笑顔を見せているが、これは大変な盆踊りになってしまった

。私は一瞬、死ぬかもしれない・・と本気でそう思った。無事の飛行と発着に胸撫で下ろしたのは言うまでもないが、後で飛行機の便や空路について調べてみると、東亜航空

は大正時代から「大阪堺」と「徳島」を結ぶ空の定期便が運航していたようであった。


徳島の市街地は昔ながらの「職人町」の色が濃く、紺屋町・船大工町・等々藍染や木工、仏具、陶磁の生産、製造を誇って町名にもその名が残っているようだ。歌舞伎座、オ

デオン座など町の中心地では右も左も「よしこの囃子」と浴衣姿一色であった。阿波踊りの熱狂は朝まで続き静まる様子がない。旅館での夕食の後、一杯機嫌で阿波踊りを見

物。二次会だと誘われバーだキャバレーだと、促されるまま私はA 氏の後をついて歩いた。


     『田舎の面白さだと思って驚かないで下さいよ・・・』


A氏は夕食に運ばれた料理と仲居のお酌で既にご機嫌である。キャバレーやサロンの看板を眺めていたら浴衣のホステスに手招きされ店内に誘導される。暗がりの中で室内の照

明に目が馴染んでくると、アルバイトサロンの天井には真夏だというのに枝垂れ櫻(造花)が満開である。先程A氏が予備知識を与えてくれたのはこのことだろう。田舎ならで

はの洒落っ気だろうと受け留めることにする。


ステージに現れたバンドマスターは70才代か?アルトサックスを片手に小柄なお爺さんが登場した。眼鏡と口髭はトニー谷に似る。髪の毛は薄く、頭上には10円玉くらいの絆

創膏が見える。ギター、ベース、ドラム・・4人の年齢を合計すると250歳以上か・・メンバー各位はお達者倶楽部?の面々である。表通りの賑わいに比べ裏町は寂れた場末

の色を見せつけていた。バンド演奏が始まる。スタートは何と「美しき天然」であった。


ホステスに尋ねるとバンドマスターの愛好曲でテーマになっているらしい。悪くはないが、サーカスの楽屋にいるような錯覚を思った。時々音が外れたが愉しいステージであ

った。我々の席には4人のホステスが付き退屈させない気遣いをしてくれていた。


  『お客さん、遠方からおいでとんやけん 一曲踊らんで? もうラストじゃけん・・・』


アルトサックスはダンス音楽を5~6曲演奏してそのステージを終えた。「ヨシコの囃子」と「ジンタ」のリズムに拍手を送った遠い昔の風景である。Aさんは私より一回り年長

さんだったが既に鬼籍の人である。八月が廻ると「ジンタ」のリズムと「よしこの囃子」が空蝉が啼く私の耳に重なって聴こえて来るのである。