皆さん1日お疲れ様です。
今回は喧嘩について。
私はたまに喧嘩と喧嘩の間に挟まれることがある。
そういう時には直ぐに治められそうなら直ぐに仲介する。喧嘩の雰囲気が好きではないので。
しかし、人というのは、特に日本人なんかは、1つのことで喧嘩になるというよりは、ある程度我慢してきて、その我慢が溢れた時に喧嘩となる。
喧嘩の場合、一方に一方的に非があればその一方にその非を理解させれば治められることが多いが、これまた事例としては少ない気がする。
大体の喧嘩は一方がムカつくことをやるか、するかしてもう一方が傷つく。そして、今度はその腹いせに傷ついた側が腹いせにチクリとやり返す。すると、そのチクリにまたやり返す、と言った具合にジェンガの様にムカつくが積み上がり、一定のラインに達した時にガシャンと喧嘩がおっぱじまる。
なので、大抵の喧嘩はすぐに治めるのが難しい。そういう場合私は傍観に入る。言ってみたら格闘技のレフリーみたいなもので、一定の言葉の殴り合いは良しとする。しかし、ある一定のラインを越えた発言に対しては、
それは言い過ぎです。あなたもこういう所あるのだから今のは良くない、と警告する。
そうこうしてると罵り合いは疲れるのでその場は鎮静化していく。
この方法がベストなのかは知らないが、一定のラインを越えない所で殴り合いさせる、というのは一つ有りなのかなぁ、と感じている。
もちろんたまぁにレフリーしていることで火の粉が飛んでくることもある。偽善者面するな、と言われることもある。
しかし、喧嘩の場合互いに一定の非があるから、片方に肩入れすることが出来ない。なので偽善者面するしかないんけである。
人間なのでムシャクシャすることはあるし、爆発することもあるし、相手を傷つけることもある。しかし、大切なのは一線を超えないことではないかと思う。
喧嘩モードになると何とか目の前の相手を負かしたいという気持ちが湧き出てくるので、時に関係ないことを持ち出してまで勝とうとしてしまう。
その行動が時に一線を越えることになり、その後に大きな傷跡を残すことになる。
ある芸人さんが言ってたこととして、相手を責めたり、喧嘩する時は1つは逃げ道を残す、ということだ。相手を徹底的に滅多打ちにすることは後に悪影響を残す。だから、ある程度の所で勘弁する。そんなことが喧嘩には大切な気がする。
僕は和を重んじるタイプなので、周りが穏やかでないと自身も穏やかで要られない。だから、仲介役をするのかもしれない。
回り回って自分のためなのかもしれない。