第三者は見ている。 | めろんぱんの皮のブログ

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コロナコロナコロナな世の中だが、これがどこまで続くかは、みんなわからない。そんな中で自分がやらなければ、という人と、なるべく自分は最低限のリスクに抑えてという人に分かれている気がする。

もちろん個人の話は個人が責任を負うという話は普通なのだが、この今の光景に何かを感じて動く人がいる。それに、回りは偉いと言う。しかし、この状況が終われば大舞台忘れ去られる。

それで良いのかなぁ?と思う。中国からの帰国者の隔離先がない時には手を挙げてくれたホテルがあった。中国から日本海にコロナが来た時に、中国人として申し訳ないという気持ちから自費でマスクをかき集め街の沿道に立ち配っている中国人がいた。

でも、これきちんと振り替える時が繰るのだろうか?
損得勘定だけで動いて良いのだろうか?

 損得勘定が大半な世の中だし、誰かが誰かを助けることは稀で、酔狂なやつだと言われて終わりなことがほとんどである。

でも、この有事の時の優しさには何倍もの価値がある気がする。
その場のポーズはもう要らない。

助けた人助けられた人。それを見ていた第三者がいる。少なからず僕は見ている。
これでもし平和な日常が戻って、これが何事もない世の中になったら、こういう酔狂な人は今後ますます減る気がする。良いこと、勇気の伴う行動=やり損と定式化してしまうから。

そうでない世の中を僕は願いたい。

そんなことを夜長に感じた。