好きなことを人はする。それが生き甲斐になることもある。しかし、環境次第でそれを嫌いになることがある。
おおきく振りかぶって、でハルナという投手がでてくる。彼は中学の頃から球が速く、コーチの指導も熱心だった。しかし、その指導を激しすぎたせいで、半月盤を損傷、そして、自分で何とか治療、完治させるが、完治した後そのコーチから指導を受けることはなかった。様は壊れたから目をかけることはなくなったのである。そこで彼は腐るのである。そして、野球が嫌いになるのである。目が血走り、誰も信じない目に。
しかし、一連の流れを見ていた仲間たちは、ここではない野球をすることを薦める。そして、部活の野球からシニアチームの野球に移る。そして、ゆっくりと野球の楽しさを取り戻していくのである。
好きなことでもその環境に嫌な人間、人間関係があるとその場所に行くのが憂鬱になる。そして、好きなこと自体が段々嫌いになっていく。
大学で自動車が大好きな先輩がいた。彼は就活でいわゆる大企業の自動車会社から内定をもらっていたが、そこには行かず、中小の自動車会社に行くと言っていた。
もったいなくないですか?と当時の僕が聞いたら、先輩は
確かにね。でも、自動車嫌いになりたくないから。多分大きな企業は社員が無数に居て、部署部署が小分けにされてるから、多分自動車自体に関わる機会が減る、ただ自動車を売る、って状態になる。だから、その一台一台に触れる機会がよりありそうな職場を選んだと言っていた。
当時の僕は大企業の方が良いのでは?と考えていたが、今なら何となくわかる。
先輩は好きな自動車を嫌いになりたくなかったのだ。本質的に好きなものでも、環境次第で嫌いになることがある。それを既に理解していたのだと思う。
ちなみに、さきほどのおおきく振りかぶってのハルナはシニア野球をクッションにして、高校野球をしていて、キャプテンにもなり、周りを気にかける位の人間になります。
彼は周りに助けられた結果、後に周りを助ける人間になります。
よくプロ野球の世界なんかでも、これは仕事だから、と言う人間はよくいる。しかし、そこに楽しさを、喜びを感じられなかったらそこには居続けるのは難しい。楽しいからもっと野球をうまくなろうと努力できる。嬉しさが先にあるから結果を出そうと思える。
人間は仕事において公私を分けるというが、完全に分けることはできない。嬉しい、楽しい、辛い、と感じる自分は自分でしかなく、仕事の中の自分と分けることは難しい。公私は混じるものである。だから、人間関係に悩む、悩んでいるうちに仕事自体が悩みごとになる。
これは仕事以外でも趣味でも同じで、一緒にいたくない人間と好きなことをしても楽しさは半減だし、美味しいものも一緒にいたくない人間と食べたらうまさ半減である。
逆に一緒にいて楽しい人間とは何をしていても、というか、何もしなくても極論楽しい様に思える。
楽しいことを楽しくないにするのも人間関係だが、
楽しくないを再び楽しいにするのも、また、人間関係なのである。
そういう意味では僕は多くの楽しさを、嬉しさを大切な人間から教えてもらった気がする。感謝である。
ありがとう。