この手はなんのためにあるんだろう?と考える | 週クリ管理人のブログ

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「この手はなんのためにある」っていい歌があるんですよ。大手のレコード会社から出ているわけではありませんので、あまり知られた歌ではありませんが。

その歌を聴いた時、やっぱり考えますよね…自分に置き換えて。



「この手はなんのためにある」ってタイトルからしてドキッとさせられます。

その曲もズルいというか、スーっと心にしみてくる構成なんですよ。とはいいましても、曲についてあれこれいうのはなかなかうまく言葉に置き換えられないものですから、「どんな曲やねん!」と興味を持っていただけましたら下記リンク先で聴いてみてください。


で、何を考えさせられた…って、「自分のこの手は何をするためについているんや?」ってなりますわね?ストレートに。

学生時分にたどり着いた音楽という分野。自分の中でもかなりディープに時間を注ぎ込んできたつもりでいたけれど、その結果がろくなコンテンツも生み出せない程度。自分が一番熱を上げたものがそんな程度で、生きていくために働く仕事がどの程度のクオリティをもたらせるというのか。

まぁ案の定、取り替えのきく歯車として生きているふりをしております。

そんな最中、母親が入院(外科的な要因ですので命の心配はなし)いたしまして、生活が一変。

取り替えのきく歯車ですから、同世代ご同輩に比べて何かと足を運べていると思います(あくまでも自分の中では)。これが、取り替えのきかない歯車として転がっていたとしたら、きっとほったらかしだったんだろうな。

しかし、ほったらかしの代わりにお金をかけてもっと快適な入院生活をもたらしてあげる事ができたかもしれん。

管理の行き届いた病室で、何から何までお世話してれる方がついてくれる毎日…


気心の知れた身内が行き届かない世話をする。

どちらがいいのか?というのは本人の主観的な判断になりますから、その人それぞれ、ケースバイケース。

今回、うちんところでは行き届かないお世話をロクデナシの息子がやっとります。母親にどう思われているかはわかりませんが、自分の中では代わりの聞く歯車でよかったかも?と感じています。

ここで「この手はなんのためにある」に戻るわけです。

この手は親の世話をするためにあったんだな…と。

いや、まぁ、たいていの場合は、「自分の幸せのためになにかするんでしょ?」ってなるところか。

しかしながら、自分が一番頑張ったものがこの程度な輩がふんぞり返って優雅な生活を送れるほど器用に生きる事は出来ませぬ。

あんな素敵な歌に出逢い、こんな形の母子の交流を持つようになり、テレビなどから流れてくる待機児童…介護…その他様々な問題のある程度の範囲は核家族化の広がりがもたらしたものなんやないやろか?なんて感じたりするわけです。

もしもね、ある程度の親戚一同が同じ地区で暮らしていたならば、産まれてきた子供が物心つく頃には何人かのお年寄りが既にいて、その子供にとってお年寄りとの触れ合いはごく当たり前のものとして育っていく事が出来れば、やがて成人して親の介護は自分でするものと、考えるまでもない当たり前の感覚を養うことが出来ていたとすれば、そんな一族の集落がいくつもあって、そんな集落同士も密接に交流を持っていたとしたら、その界隈では待機児童や介護、砂糖や醤油が足りなくてちょっと困った時も、それ程取り立てる問題にもならないのでは?なんて思ったりしちゃいます。



やっちまった…文章を区切りなさいってね。

でもまぁ、じっくりと読んでいただいて、ちょっぴりだけ想像力を働かせていただければ、何を言わんとしているのか?は、伝わるんじゃなかろか。

もっとね、気心の知れたというか、日常の多くを共有しているというか、1日のほとんどを見渡せばすぐ近くに誰かしら身内同然の人の目がある毎日を送る事が出来れば、親御さんが子供を預けることに抵抗を持つ事もないだろうし、孤独なお年寄りが孤立するような事もないだろうし、他人からどう見られているか?と人の目を気にする子供が育つだろうし、その他諸々いい事づくしな気がしたりします。

「向こう三軒両隣」なんて言葉がありますが、この時点でもうお隣やお向かいさんが他人様だったりするわけです。それでもこの言葉が現役たった頃には隣のさらにお隣さんはお隣さんとお付き合いがあるわけで、さらにその向こうのお隣さんもそのお隣さんとお付き合いががあり、ある程度の地域が間接的に繋がりを持っていたのでしょう。

住民の移り変わりの少ない土地では今でも地域全体で交流を持っておられるところもあるのでしょうか。


あ、でもあれだな、犬神家の一族やみたいなドロドロした親戚付き合いのケースもあるんだよな。

わたくしの妄想が必ずしもいい事ばかりやない…という事か。

ってか、ちょっとざっくりと漠然に考えすぎて意味不明になってしまった感が拭えません。

ともあれ、わたくしはそんな一族の一員には含まれておりませんので、自分の親を手助けする事はできても、自分の老後を手助けしてくれるのは今の所赤の他人様となる予定。

この手は親の手助けをするためにあるんだな…と気付く事はできたものの、本当にそれだけでいいのかな?とも。

しかしながら、たったひとつでもこの手の目的を見つけられた事は、少なくとももうちょっと先までの生きる理由にもなりそうです。



あなたのその手は何をするのでしょう?