母は米寿。
数年前に近所のショッピングセンターで足を滑らせて転倒した際、受け身が取れず硬いフロアでアタマを強打してしまいました。耳の穴からかなりの量の出血があり、すぐに病院に運ばれて、そのまま数か月間にわたって入院することとなりました。新型コロナ感染症が猛威を振るっていた頃で、入院中数回のオンライン面会しか許されず、脳挫傷の影響なのか、加齢のせいで脳が錆びついたのか、たぶん両方の理由で、画面を通じて見る家族の顔を識別できなくなりました。歩行も困難になり、退院が許されたその日に介護付き老人ホームへ入所することになりました。
父は当時89歳。
昭和の頑固オヤジは「俺は独りでも暮らしていけるからほっといてくれ」と言い放ち、それは息子二人に心配をかけたくないという親心だったのか、もしくは独りで気楽にのびのびと無責任を楽しみたい気持ちだったのか。たぶん後者。
しかし心配する息子たちはそれぞれ定期パトロールを実施。たぶんそうなるだろうな、と思った通り食生活が乱れた父は見るたびにきちんと痩せていきました。ちゃんとメシ食ってくれよな、という兄弟の異口同音に対してはいつも「食ってるよ」と答えておりましたが、もちろん我々は信じていたわけではありません。訪問のたびにまとめていたゴミには、食べやすい甘い菓子類の包み紙ばかりが目立ちましたし、せめて一日一食は栄養バランスの良いものを、と毎月届くように注文した冷凍食品もフリーザーに溜まるようになっていました。
こんな状態が続けば近いうちに、電車を乗り継いで帰り着いた実家の郵便受けには数日分の新聞が押し込まれていて、庭に面した寝室の雨戸も閉まったままで、解錠して玄関ドアを開けても普段なら聞こえる大き目のテレビの音声が聞こえずひっそりとしていて、慌てて駆け込んだ寝室には冷たくなった父が横たわっていて、取り乱した私はその時いったいどういう行動に出るのだろうか、などと割とリアルに考えておりました。
想像していた通りのことが起こったのが、父の独身生活開始7ヵ月後。慌てて駆け込んだ寝室の床に父は倒れており、案の定、私は取り乱しましたが、幸いなことに父は生きておりました。何があったの?と尋ねても本人は何も記憶しておらず、状況から考えるに、夜中トイレに行こうとして倒れ、仰向けになったまま起き上がれずに(カメ)40時間近く経過した、ということのようです。意識はありましたが身体が冷たくなっており、念のため救急車で病院に運んでもらって検査を受けましたが、特に異常は見られない、とのことで帰宅。その日から弟が泊まり込んで一緒に生活するようになりました。
弟の献身的なケアのおかげで体重も徐々に増加し、健康を取り戻したかに見えましたが、半年後に受診した歯医者の荒療治が原因で敗血症となり、入院。やはり入院中に歩行が困難となり、軽めの認知症も発症して、母と同じ介護付き老人ホームに入所しました。
月に二回の面会が許されており、その時は家族で過ごします。
一時期我々が誰なのか識別できなかった母は見事に脳を復活させ、施設内で起こったことを話してくれたり、息子が話す思い出話に涙したりしています。
緩やかに認知症が進行する父は、時々支離滅裂なことを話します。特に入れ歯を外した状態では何を言っているのかわからず、対応が難しい。
弟も妻も義妹も、早くから会話を諦めてしまいますが、さすがに私は途上国での経験が豊富。わけのわからない言葉に既知の言語との何らかの共通点を見つけ出して見当を付けるのは得意中の得意です。なので、何度か応答を繰り返すうちに父が何を言いたいのかはとりあえず判明し、会話ができます。「先週、東京湾でトロール船に乗って網で魚を獲った。大漁だった」なんて、絶対にありえない冒険譚を父が話してくれるのを通訳してやると、みんな「なんでわかるのー?」と驚き、ふふーん、こういうのは得意なんだよーん、と私はドヤ顔を見せつけるのでありました。