映画「野のユリ」(1963)を時々観たくなります。何度観ても鑑賞後はいつも優しい気持ちになれるので、大好きな作品です。
理想の職を探してアメリカ西部へ向かう青年スミスが、アリゾナの荒野で偶然出会った修道女たちを助けて教会を建てる、というストーリー。無報酬であることに加えて食事も貧しいものしか与えられないという「奴隷のような」待遇であるにもかかわらず献身的に働くスミスに、修道女のマザー・マリアは一言も感謝を述べません。神に仕える彼女にとって、感謝とは神にすべきこと。スミスがいかに助けてくれようとも、それはすべて神の思し召しなのです(ラストに近いシーンで、彼女がうっかり口を滑らせて言ってしまった「Thank you」と、それに満足するかのように応えるスミスの「Very good」がとても印象的です)。
10年ほど前、西アフリカのガーナに住んでいたころ、たぶん「野のユリ」と同様の理由からだと思いますが、何をしてもあまり感謝されませんでした。
感謝の言葉の代わりによく聞いたのは「OK」でありました。オーケーは肯定的な言葉ではありますが、感謝ではありません。相手が喜ぶだろう、と考えてしてあげたことに対するヒトコトの「オーケー」は、まるで「その厚意、アクセプトしてあげてもいいよ」とでもいうような、とても高慢な態度のように感じられました。こちらにしてみれば、せっかく好意的に接しているのに非常に後味が悪いんです。
あくまでも宗教上の理由で悪意はないのだ、と理屈ではわかっていても、やはり感情は害されてしまう。
モザンビークは感謝あふれる社会です。些細なやり取りの中でも、感謝の意を頻繁に表明します。
そしてポルトガル語の「オブリガード」は日本語の「ありがとう」に語感が似ていて親しみやすく、耳にするたびに感謝の気持ちが自然に浸み込むような気もします。