作者の人生の経緯や考え方がそのヒトの作品に反映されることはよくあることです。
というか、それまでの人生で強い影響を受けたものが、作者が意識せずとも作品に表れてしまうのは避けられないことだと思います。真面目に作られたものほど、なおさらその傾向が強くなる。

 

以前ご紹介した小説「私を離さないで」は、日本で生まれてイギリスで育ったカズオ・イシグロによって著された作品です。私は昨年読了したのですが、未だに理解が及ばない部分が多々あり、ちょっと気になる。色々と考えてしまいます。
最も気になる点は、作者カズオ・イシグロのアイデンティティとなる日本とイギリス両国の特徴が登場人物の設定に反映されているように思えることです。

 

物語の中の「人工的に作り出されたクローン人間からクライアントに必要な臓器を取り出して、あとは死ぬにまかせる」という設定は、植民地から力づくで有用な資源を採れるだけ採ってしまい、利用価値が低くなると独立させて、その後のケアにはほぼ無関心という、かつてのイギリスの植民地政策に似ていないでしょうか。クローン(clone)とコロニー(colony:植民地)は単語の語感も似ていますし。
そして主人公はクローンでありながら臓器提供者ではなく、他の提供用クローンのケアをする立場に就きます。その設定は、敗戦後、アメリカの支配下に置かれはしましたが植民地化されることなく独特の経済発展を遂げ、現在は多くの途上国のケアをする巨大ドナー国・日本に似ています。

 

主人公が臓器提供せずに介護人となった経緯について、その理由は明確には説明されていなかったようですが、想像するに、クライアントが急死したなどの理由によるものではないでしょうか。そのため、主人公は臓器提供の義務が消滅し、(いろいろな障害はあるにせよ)比較的自由な人生を選択することが可能になります。

 

それを象徴するエピソードとしてカセットテープが登場します。
大事にしていたカセットテープを失くしてしまったけれどロストコーナー・ノーフォークで同じものが手に入った、というエピソードは、この主人公の境遇によく似ているような気がします。
つまり「オリジナルの身体の持ち主であるクライアントは死んでしまい、用無しとなった主人公は介護人として独自の生き方を見つけ出す」。
そしてカセットテープというのは、我々の世代にとってオリジナルの音源をそのままコピーする、いわばクローン的なものを象徴するには最適のアイテムです。

 

ラストシーン。約束の地・ノーフォークで新たな歩みを踏み出す主人公。
日本を象徴していると思える彼女が「行くべきところ」とは一体どこなのか?
非常に興味深い結末でありました。