30年ほど前の話です。
当時の私は二十代の半ば。単純に年齢だけを比較すると現在の半分くらいの年月しか生きていない若造だった私は、ケニヤのある地方の田舎町に独りで住んでおりました(五十代のオジサンになった現在もほぼ同様の境遇にありますが、ほっといてください)。
その町の人口は当時1000人くらいだったでしょうか? 三つの県の境が接する町で幹線道路が通っており、人口が少ない割にヒトの出入りが激しくて賑やかな町でした。しかし賑やかな割には開発があまり進んでおらず、当時は給電も給水もされておりませんでした。
「三つの県の境でヒトの出入りが激しくて賑やかだけど給電施設が無くて夜が暗くて長い」という条件を合計すると、「複数の部族が交じり合う土地で、あまり治安がよろしくない」という意味になります。誰かの家に何者かが侵入して何らかの悪事を働いた、という物騒な噂はしょっちゅう耳にしました。
その町に住む唯一の外国人だった私は少々緊張しながら毎日を過ごしておりましたが、それも初めのうちだけで、我が身に降りかかる実害が無い日々が数ヶ月も続くと緊張することに慣れてしまい、緊張することで何かの危険に備えているつもりになってはいるものの結局は何の備えもできていない、という、言わばごく普通の暮らしぶりに落ち着いていたのです。
小さな借家は幹線道路から少々離れているために自動車の騒音は届かず、その代わり近くを流れる川の音がガヤガヤと耳に心地良く響く、なかなか気持ちの良い立地条件でありました。前述のように給電も給水も無かったので、生活用水には溜めた雨水や川の水を利用し、夜間の灯りはロウソクか灯油ランプに頼る生活でありましたが。
終業後に帰宅するとすぐに夕食の準備に取り掛かります。米を研いだり材料を切ったり、まだ日のある明るいうちにある程度の支度を済ませ、その後は日が暮れるまで窓辺で読書。日が沈むとランプを灯し、準備しておいた材料を石油コンロで調理して夕食を完成させて食べ、食べ終わってしまうとその後は特にすることもありません。ほんの少しのアルコールにほのかに酔ってそのまま就寝してしまう、という毎日でありました。
ある夜のこと。
友人から借りた時代小説が面白く、珍しく夜更かしして読みふけっておりました。時が進み、日付が変わりましたがまだ眠る気にはなれず、ランプに油を足して読書続行。
ふと、何者かが家の外を歩く音に気づきました。ちょうど忍者が登場するくだりを読んでいた私はテーブル上にあったアーミーナイフを手に取って刃を立て、「む、曲者か?」と身構えました。もちろんノリでポーズを取ってみただけなので、真剣味は皆無です。隣に住んでいるオバチャンが夜中にウチのドアの前を通ってトイレに行くことがあるので、きっとその足音だろうと思ったんです。
突然、玄関のドアのノブがガチャガチャと回されました。もちろん施錠してあるので、ドアは開きません。
おや? オバチャン、こんな夜更けに何の用だろ? でも、何も声をかけずにドアを開けようとするなんて、変だな?
ナニ?
と尋ねてみました。「誰?」を意味するスワヒリ語は「ナニ?」なんです、ややこしいですが(ちなみに「何?」と尋ねるときには「ニニ?」と言います)。
ドアの外から
「グッド・イブニング」
と、男声の返事がありました。隣のオバチャンではありません。もともと我が家を訪問するヒトは極めて少なく、加えてこんな夜更けの訪問客というのは今までに例がありません。私の名前を呼びかけもしないということは、たぶん面識の無い人物で、こちらの誰何(すいか)に対して「こんばんはー」と返答するところに余裕が感じられ、ちょっと嫌な予感がしました。
不安に駆られた私が語気を強めて、
ナニ・ウェウェ?! (お前、誰なんだ?!)
と再度尋ねたとたん、大きな音がして玄関のドアが弾け飛ぶように破られました。一抱えもある岩がぶち当てられたのです。
(この項、続く)