私は落語ファン。
寄席に行ったことは数えるほどしかありませんが、昔からレコードなどに録音されたものをよく聴いていました。
落語は面白おかしいだけでなく、時に一般教養の知識も身につきます。
以下は落語に出てきた、日本語の変遷に関するウンチク。
節度がないこと、または弱々しいことを「だらしがない」と言いますよね。これ、昔は「しだらがない」と言ったんですって。似たような意味の「ふしだら」なんて言葉はそのまま残っているので、どうも本当みたいです。
じゃ、どうして「しだら」が「だらし」になったのかというと、江戸時代の逆さ言葉でひっくり返して口にしていたら、みんなが面白がって広く使われるようになり、結果としてそっちの方が一般的になっちゃったんだそうです。
シャレ言葉が図らずも定着した例は他にも色々あります。
例えば「月とスッポン」は、美しいものと醜いものを対比させる時の例えによく使われますが、もともとは「月と緋盆(ひぼん=赤いお盆)」と言ったそうです。
満月も緋盆も、赤く丸い。色と形は同じだけれど、一方は夜空に美しく光り、もう一方は単に物を乗せる道具。言われてみれば月と対比させるには、緋盆はスッポンよりもふさわしいように思えます。
面白がってヒボンをスッポンと言っているうちに、いつの間にかそちらしか伝わらなくなってしまったんですね。
同様に「猫も杓子も」。誰も彼も、と言う時に使われる慣用語ですが、これはもともと「女子(めこ)も若子(じゃくし)も」と言ったんだそうです。
上記の例は由来がシャレ言葉ですから、本来「笑うところ」だったはずです。面白がって何度も使っているうちに慣れてそれが当たり前となって誰も笑わなくなり、しかし決まり文句として定着してしまった、と。
江戸時代に発したギャグが現代まで生き残り、途中から慣用語に昇格し、辞書に載るまでになったんですから、すごい出世です。感心しちゃう。
反面、こちらが今まで真面目な顔して使っていた慣用語が、実は昔のギャグだった、と思うと、なんだか騙されていたようで、ちょっとムカつく。
寄席に行ったことは数えるほどしかありませんが、昔からレコードなどに録音されたものをよく聴いていました。
落語は面白おかしいだけでなく、時に一般教養の知識も身につきます。
以下は落語に出てきた、日本語の変遷に関するウンチク。
節度がないこと、または弱々しいことを「だらしがない」と言いますよね。これ、昔は「しだらがない」と言ったんですって。似たような意味の「ふしだら」なんて言葉はそのまま残っているので、どうも本当みたいです。
じゃ、どうして「しだら」が「だらし」になったのかというと、江戸時代の逆さ言葉でひっくり返して口にしていたら、みんなが面白がって広く使われるようになり、結果としてそっちの方が一般的になっちゃったんだそうです。
シャレ言葉が図らずも定着した例は他にも色々あります。
例えば「月とスッポン」は、美しいものと醜いものを対比させる時の例えによく使われますが、もともとは「月と緋盆(ひぼん=赤いお盆)」と言ったそうです。
満月も緋盆も、赤く丸い。色と形は同じだけれど、一方は夜空に美しく光り、もう一方は単に物を乗せる道具。言われてみれば月と対比させるには、緋盆はスッポンよりもふさわしいように思えます。
面白がってヒボンをスッポンと言っているうちに、いつの間にかそちらしか伝わらなくなってしまったんですね。
同様に「猫も杓子も」。誰も彼も、と言う時に使われる慣用語ですが、これはもともと「女子(めこ)も若子(じゃくし)も」と言ったんだそうです。
上記の例は由来がシャレ言葉ですから、本来「笑うところ」だったはずです。面白がって何度も使っているうちに慣れてそれが当たり前となって誰も笑わなくなり、しかし決まり文句として定着してしまった、と。
江戸時代に発したギャグが現代まで生き残り、途中から慣用語に昇格し、辞書に載るまでになったんですから、すごい出世です。感心しちゃう。
反面、こちらが今まで真面目な顔して使っていた慣用語が、実は昔のギャグだった、と思うと、なんだか騙されていたようで、ちょっとムカつく。