第22回泉州国際市民マラソン | 潰瘍性大腸炎を抱えながらもウルトラマラソンに挑戦し続ける普通のサラリーマンのブログ

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潰瘍性大腸炎になり10数年。”病に負けず努力すれば何事も達成できる!”とサロマ湖100kmウルトラマラソンに挑戦・完走!病と闘いながら自らの夢を追い続け、病で苦しんでいる人に勇気を与えて行けるように日々精進しています。

前回の記事からずいぶん日にちが開いてしましました。
実は第一クォーターの連戦はもうとうに終わりましたが、
1戦1戦振り返りの意味で記事書いていきます。




2月15日(日)いつものように前日の土曜は仕事でしたが
大阪の大会ではあれども少しでも近くから準備して会場入りしたいので
阿倍野にホテルを取り、準備して会場へ

大阪の南の方は年に一度のホノルルマラソンの時の関空くらいしか来ませんので
大変無案内です。

それでも、十分時間には間に合う頃に受付も終わりスタートの時間を待ちます。
この大会は、次回に控える「東京マラソン」の前哨戦として自分の中で
テストレースにして臨もうと考えていました。
戦略はこう。失敗覚悟で前半行けるところまで行き、後半どこからスタミナが切れるか
どこまで持つかを知る大会でした。

前半は5分を切るくらいの私にしてはハイペースで入るつもり。
かなり無謀ですが、東京マラソンで記録を狙うためやってみました。
前半、20キロまでは予定通り、5分から少し5分を切るくらい。
25キロくらいまでは苦しいながらもだいたいいけてた(はず)
30キロ手前で無情にも私の宿命とも言える胃腸の調子がおかしくなり
やむなくトイレストップ。
トイレから出てすぐ30キロでしたがこの時点でまだ2時間45分。
まだ、サブフォーを狙えるタイムでしたが、一旦止まった筋肉は元には戻らず
そこからはキロ6分を維持できないくらいのスローペース。
後半最後のバイパスの上り下りが大変辛かったです。
記録は4時間8分そこそこ

次回、東京マラソンへ向けてたくさんの課題を抱えたまま終わった大会になりました。