
北畠神社(多気北畠氏城館跡)
三重県津市
令和7年(2025年)1月9日㈭
JR東海名松線の伊勢奥津駅前から
津市コミニュティバス 美杉循環ルード に乗り北畠神社前に来ました。

訪れた日は冷たい雨が降っていました。
※北畠神社
三重県津市美杉町上多気にある神社。国の史跡「多気北畠氏城館跡」に鎮座し、初代伊勢国司として南朝奉護に尽くした北畠顕能を主祭神とする。建武中興十五社で唯一、近世以来の由緒を持つ。
由来書によれば、北畠具房の4代孫鈴木孫兵衛家次が寛永20年(1643年)3月、旧縁の地に小祠を設けて北畠八幡宮と称したのが創祀という。ただし、当初は八幡神の勧請のみで、顕能を奉祀したのは元禄年間に下るとの説もある。やがて八幡三神に倣い、北畠親房・顕家を合祀する。1881年(明治14年)11月村社北畠神社に改称。1907年(同40年)12月多芸村内の16社を合祀し、1916年(大正5年)宝庫・社務所などを整備。1928年(昭和3年)10月社殿を新造して主神を遷座し、11月10日別格官幣社に昇格した。別当寺の真善院が現在の庭園の位置にあったが、天保11年(1840年)春に火災に遭い、再興しないまま1898年(明治31年)廃絶した。

北畠神社社務所

社務所前には
続日本100名城スタンプ 多気北畠氏城館
が設置

押しました。

社務所にて御朱印と

霧山城の御城印を頂きました。
※霧山城(きりやまじょう)または多気城(たげじょう)は、伊勢国一志郡多気(現在の三重県津市美杉町上多気および美杉町下多気)にあった日本の城。城跡は国の史跡に指定されている(史跡「多気北畠氏城館跡」のうち)。
北畠顕能 により築城年 興国3年/康永元年(1342年)または興国4年/康永2年(1343年)に築城。
伊勢国司から戦国大名となった北畠氏の本拠地であり、240年に渡り難攻不落の城としてそびえたっていたが、天正4年(1576年)、織田信長勢に攻められて落城した。
城跡は1936年(昭和11年)に「霧山城跡」の名称で国の史跡に指定、山麓の北畠神社にある庭園は「北畠氏館跡庭園」の名称で国の名勝および史跡に指定された。
2006年(平成18年)、文部科学大臣により史跡の統合・追加指定および名称変更が行われた。これにより、「霧山城跡」と「北畠氏館跡庭園」の2件の史跡を統合し、指定地域を追加したうえで、指定名称が「多気北畠氏城館跡 北畠氏館跡 霧山城跡」と変更された。統合・追加指定後の史跡指定地の総面積268,906.91m2(うち城跡の面積は15,000m2)となった。

拝殿




北畠氏館跡庭園の入園は後ほど


