
令和7年(2025年)1月8日㈬
「令和7年1月上旬の旅」1日目は長野県伊那市の高遠に来ました。
伊那北駅前からJRバス関東が運行する高遠町方面バス(高遠線)に乗車。
伊那北駅1045発 高遠駅行き
この記事の続きです。

「駅」を名乗っているがバスターミナル
※高遠駅
長野県伊那市高遠町西高遠1735-2にあるジェイアールバス関東(伊那支店)バスターミナル(自動車駅)である。
伊那市の高遠町地区にあり、1948年(昭和23年)1月に開設された。国鉄バス時代から高遠町のバス運行の拠点として機能している。構内にはバス待機場が設置されている。 駅舎には定期券・回数券窓口(営業時間10時-12時、13時-17時。お盆年末年始休業)があり、中央道支店の社員が業務に応っていたが、2022年3月31日をもって窓口営業を終了し、無人化された
wikipediaより引用。

日本100名城に選定されている高遠城跡の高遠城址公園までは1.8km




高遠駅を出て

高遠城址公園へ歩きます。

店が立ち並ぶ道を歩き、歩行者の姿はほとんど見かけず


藤沢川を渡ります。右に見えるのは太鼓櫓

この太鼓櫓は高遠城址公園にあるものの約三分の二の縮小。
高遠城の遺構ではありません。


城址公園入口停留所の脇を通り過ぎ

運行本数は少ない

高遠城址公園入口へ



高遠城址で撮影した画像はコチラ

高遠町歴史博物館にて

日本100名城スタンプ 高遠城
を押して

御城印2種類と

城カードを購入

高遠城址を歩き

再び高遠駅へ向かいます。

帰路にお参りした満光寺
画像の満光寺鐘楼門は伊那市指定有形文化財、延享元年(1744年)築。


満光寺
天正元年(1573年)、武田信玄の帰依を受けた。浄土宗の岌往上人(ぎゅうおうじょうにん)によって開創された。
元禄以後、高遠城主・内藤氏の菩提寺となり、元文4年(1739年)に再建した本堂は十二間四面、山門の鐘楼ともに科の木を用い、善光寺になぞらえて建てたので「伊那善光寺」・「信州の科寺」とも呼ばれ、京都総本山知恩院の直末、録所として触頭式を与えられた宗門を支配し、多数の末寺を有した。 江戸時代中期に再建された伽藍の大きさ・立派さは善光寺と肩を並べるほどで、伊那一番の伽藍であったとされている。
wikipediaより引用







再び高遠駅へ

バスの発車までちょっと時間があるので周囲を歩きます。

高遠駅のすぐ近く
商家民族資料館 池上家


この日は水曜日、休館日でした。


鉾持神社

鉾持神社
創建は721年(養老5年)。 信濃国司の小治田宅持により伊豆神社の天津彦火瓊瓊杵尊、箱根神社の天津彦火火出見尊、三嶋大社の大山祗命、それぞれの分霊を町の西部にある権現山より勧請し、信濃国司源重之により969年(安和2年)に伊那郡笠原荘に遷座。現在地には日野喜太夫宗滋により1184年(元暦元年)に遷座した。現在地に遷座後、1185年(文治元年)に、旧所在地伊那郡笠原荘の土中から「霊鉾」が発掘され鉾持神社と改称。御神体として祀り鉾持三社大権現と尊称した。 現在の本殿は1774年(安永3年)に再建されたもの。 神楽殿は、1907年(明治40年)に建設し、拝殿は1915年(大正15年)に改築された。本堂へと続く石段は321段あり、参道手前にはだるまなどの集積所がある。
wikipediaより引用

長い石段を登り








拝殿へ

賽銭箱の前には書き置きの御朱印、「セルフ御城」 でした。


頂きました。

JRバス関東 高遠線
高遠駅1340発 JRバス車庫前行き
に乗車..
1359着の伊那北駅で下車。運賃530円


