
唐津城跡 佐賀県唐津市
令和6年(2024年)11月20日㈬ 撮影
唐津市内を歩き唐津城の麓に来ました。標高42mの満島山に建つ天守が見えます。

地下道を潜り

唐津城の入口へ




天守閣のある本丸へは有料エレベーターもありますが



歩いて向かいます。



山頂に来ました。見渡せば唐津湾


※唐津城
佐賀県唐津市東城内にあった城。別名舞鶴城。
唐津市街の北部に位置し、松浦川が唐津湾に注ぐ河口の左岸、満島山に位置する。唐津湾に突き出た満島山上に本丸が配され、その西側に二の丸、三の丸が配された連郭式の平山城である。北面は唐津湾に面するため、海城ともいわれ、萩城とともに現在も直接海に聳える石垣が見られる。松浦川の右岸には虹の松原(国の特別名勝)が広がり、城から左右に広がる砂浜が鶴が翼を広げたように見えることから舞鶴城とも呼ばれる。 江戸時代初期の慶長7年(1602年)から慶長13年(1608年)にかけて築城され、江戸時代を通じて唐津藩の藩庁となった。 廃城後、本丸は舞鶴公園となり、二の丸御殿跡に早稲田佐賀中学校・高等学校があり、その他の二の丸・三の丸跡は市街化している。現存する遺構としては石垣・堀がある。1966年(昭和41年)10月に天守台に慶長様式の天守(模擬天守)が建てられた。このほか櫓や門が建てられ、石垣・堀が復元されている。麓から舞鶴公園上段広場までは高低差が34mあるため、有料の斜行エレベーターが備えられている。
平成29年(2017年)4月6日、続日本100名城(185番)に選定された。
wikipediaより引用

※唐津城天守は天守台までしか建築されなかった。築城当初は天守が存在していたといわれることもあるが、寛永4年(1627年)の幕府の記録には天守の存在は記されていないほか、天守の存在を示す資料は確認されていない。天守を描いた絵図や設計図もなく、現在の天守は慶長期の様式で建築されていたと想定して昭和41年(1966年)に文化観光施設として5層5階の模擬天守が築かれ、門・櫓も同時に再建された。
wikipediaより引用








天守閣前からの眺め



エレベーター出入口

「唐津城」石碑

天守閣に入ります。

唐津城天守閣
営業時間 9:00~17:00(入館は16:40まで) ※季節により開館時間変更
休み 12/29~12/31