
備中松山城
岡山県高梁市
令和6年(2024年)10月16日㈬ 撮影
二の丸黒門跡に来ました。
充電をサポったためデジカメのバッテリー残里が僅かに
※この記事の続きです。
※松山城
岡山県高梁市内山下にあった日本の城(山城)。別名高梁城(たかはしじょう)。各地にある同名の城との混同を避けるため、一般的には備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)と呼ぶことが多い。
日本100名城の一つ。現存天守12城の一つでもあり、この中で唯一の山城である。臥牛山山頂(標高487m)から南稜線にかけて遺構が残っており、そのうち一つである小松山城跡に現存天守(標高430m)がある。
城のある臥牛山(松山)は4つの峰からなり、小松山に本丸・二の丸・三の丸が階段状に配され、大松山、天神の丸、前山にも遺構がある。海抜約430mの臥牛山小松山山頂の本丸へは、麓の城下町から約1,500m、1時間ほどの道のりがある。この城は戦に備えて建設された「詰の城」であり通常はあまり使われていなかったと思われる。 江戸期の備中松山藩時代は山城で不便なため、山麓の城下町に「御根小屋」と呼ばれる藩主の御殿と家来の武家屋敷群を構え、そこで藩の政務を行った。現在、御根小屋の跡地は岡山県立高梁高等学校となっている。 備中(岡山県西部)は小藩に細分化され、倉敷のような幕府の直轄地もあったので備中松山藩の石高は6万石ほどであった。 城跡が国の史跡に指定され、江戸時代に建造された天守、二重櫓、土塀の一部が重要文化財に指定されている。そのほかに石垣、復元された櫓、門、土塀が現存する。日本三大山城の一つとされる。
wikipediaより引用

厩曲輪




四の平櫓跡



二の丸の石垣

二の櫓門跡

二の丸から天守が見えてきました。


二の櫓門跡の先は二の丸広場、天守が見えます。



二の丸広場には猫城主の「さんじゅーろー」の姿

※猫城主 「さんじゅーろー」
元々は2018年7月1日に引き取られた飼い猫だったが、同月14日の平成30年7月豪雨の際にベランダから失踪した。その1週間後に当城にて発見されて、世話されているうちに城に居着くようになり「城主」の呼び名が浸透した。高梁市観光協会が元の飼い主を探していたところ、同年10月中旬に見つかったが、城に居着いてしまったことから観光協会に譲渡が決まった。被災から激減していた観光客数は「さんじゅーろー」人気でV字回復していたものの、同年11月4日にも再度失踪し、同月23日に発見されて以降は獣医師の元でのルールを決めた上で猫嫌いな訪問者にも配慮することとした。2018年12月16日には正式な猫城主として「再入城の儀」を行った。
wikipediaより引用

天守のある本丸へ向かいます。

この先は入城料が必要

備中松山城
入城料 500円
公開時間 4月〜9月 午前9時〜午後5時30分
10月〜9月 午後9時〜午後4時30分
休城日 12月29日〜1月3日

本丸南御門前にあるにて入城料を払いより入城

本丸南御門から見た本丸

備中松山城券売所に設置されている日本100名城スタンプを押しました。

券売所にて購入
御城印と

城カード

左は五の平櫓、中央は南御門、右は六の平櫓

重要文化財の天守

六の平櫓の中へ


松山城の天守は、構造などは不明であるが毛利氏時代から、小堀氏が城番で入城する慶長の間にはすでに存在していたと考えられている。現在見られる天守は、天和元年(1681年)に2代水谷勝宗が造営したとされるが、慶長5年(1600年)に小堀政次、政一が建てたものを、2代水谷勝宗が改修し、現在のような姿になったともいわれる。 現存する天守は、2層2階で、西面に半地下のようにして付櫓(廊下)が附属する複合式望楼型天守である。現在は西面に附属する付櫓(廊下)に開けられた出入り口から入ることができるが、当初は、八の平櫓から渡櫓を経て天守へ至った。また天守に通じる石段は、敵の侵入を遅らせるために、直角に曲げられている。1階には、調理や冬の暖をとるために長囲炉裏が掘られているが、城内で火を使うことは禁じられ、ほとんど使われることはなかったといわれている。一段高い場所にある「装束の間」は、城主の御座所であるとされ、また城が攻められた時に城主が自害をするための場所であるともされる。2階には、愛宕権現や成田明神など9柱の神を祀った「御社壇(ごしゃだん)」と呼ばれる舞良戸で仕切られた部屋がある。外観は、建物高さが約11mほどで現存する12か所の天守の内では最も小規模であるが、12か所の内では最も高所にある。腰板張りで1重目の唐破風出窓や2重目の折れ曲がり出窓など、縦連子窓を多用し、1重目屋根には、西面に千鳥破風、北面・東面に入母屋破風、南面に向唐破風が付けられている。


靴を脱いで登城

半地下の接続廊下から階段を登り一階へ




一階へ


囲炉裏





装束の間
城主の御座所であるとされ、また城が攻められた時に城主が自害をするための場所であるともされる。2階には、


装束の間

装束の間

武者窓



狭間




二階へ

二階に上がりました。

暗い天守内を撮影してるとバッテリーを消耗



以後はスマホカメラで撮影、こちらもバッテリー残留が厳しいので控えめに撮影

重要文化財 二重櫓

二重櫓の中には入れません。



再び山道を下りて



ふいご峠へ


再び乗合タクシーに乗車