備中松山城

岡山県高梁市

令和6年(2024年)10月16日㈬



備中高梁駅西口より備中松山城観光乗合タクシー に乗り備中松山城の入口、ふいご峠に来ました。: 

充電をサポったためデジカメのバッテリー残里が僅かに……


ふいご峠から松山城へは700 m、徒歩20分。

※松山城

岡山県高梁市内山下にあった日本の城(山城)。別名高梁城(たかはしじょう)。各地にある同名の城との混同を避けるため、一般的には備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)と呼ぶことが多い。
日本100名城の一つ。現存天守12城の一つでもあり、この中で唯一の山城である。臥牛山山頂(標高487m)から南稜線にかけて遺構が残っており、そのうち一つである小松山城跡に現存天守(標高430m)がある。
城のある臥牛山(松山)は4つの峰からなり、小松山に本丸・二の丸・三の丸が階段状に配され、大松山、天神の丸、前山にも遺構がある。海抜約430mの臥牛山小松山山頂の本丸へは、麓の城下町から約1,500m、1時間ほどの道のりがある。この城は戦に備えて建設された「詰の城」であり通常はあまり使われていなかったと思われる。 江戸期の備中松山藩時代は山城で不便なため、山麓の城下町に「御根小屋」と呼ばれる藩主の御殿と家来の武家屋敷群を構え、そこで藩の政務を行った。現在、御根小屋の跡地は岡山県立高梁高等学校となっている。 備中(岡山県西部)は小藩に細分化され、倉敷のような幕府の直轄地もあったので備中松山藩の石高は6万石ほどであった。 城跡が国の史跡に指定され、江戸時代に建造された天守、二重櫓、土塀の一部が重要文化財に指定されている。そのほかに石垣、復元された櫓、門、土塀が現存する。日本三大山城の一つとされる。 

wikipediaより引用








細い坂道を登っていきます。





















あと500m





石垣が見えてきました。

中太鼓之丸櫓跡









中太鼓之丸櫓跡へ







中太鼓之丸櫓跡からの眺め











あと300m





大手門跡が見えてきました。

大手門跡











足軽箱番跡











二の平櫓跡







土堀



三の平櫓跡



右は三の平櫓跡、左は足軽番所跡

三の丸跡、右奥は上番所跡

足軽番所跡















黒門跡