浪岡城跡

青森県青森市


令和6年(2024年)7月11日㈭ 撮影



JR浪岡駅から2km近く、浪岡城跡に来ました。


浪岡城

青森県青森市浪岡(旧南津軽郡浪岡町)にあった城(平山城)。1460年代に浪岡北畠氏によって築城され、1578年に大浦為信に攻められ落城した。 1940年(昭和15年)2月10日に青森県内で初めて国の史跡に指定された。 現在は跡地の北側を青森県道27号青森浪岡線が通る。北東へと続く丘陵の南端に位置し、城の南側の急峻な崖下には浪岡川と正平津川が流れていて天然の堀と水源を兼ねていた。

築城以前は、1373年(文中2年)に平安京を模して敷地の四隅に祇園(現・北中野広峰神社)、八幡(現・浪岡八幡宮)、加茂(現・五本松加茂神社)、春日(現在は廃社)の各神社が配置されていた。その後、北畠家の支族である浪岡北畠氏の居城として長禄年間、応仁年間、または文明年間のいずれかに北畠氏4代北畠顕義によって建造された。中で応仁期が有力とされる。1578年(天正6年)浪岡北畠氏9代北畠顕村の代に大浦為信(後の津軽為信)によって攻められ落城した。現在、跡地には出土した遺物などを展示する「中世の館」や土塁、堀跡などがある。 2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(103番)に選定された。 

1,200m、南北600mの敷地を持ち、幅10 - 30mの二重堀で分けられた8つの館(郭)があった。各館は丘陵を掘切るように構築され、東から順に新館、東館、猿楽館、北館、内館、西館、検校館などとなっている。


青森県道27号青森浪岡線の右が浪岡城跡。





堀に架かる橋を渡ります。



北館 


内館、西館の北にある。全郭の中でもっとも広い。東西約200m、南北約100m。全面二重の堀で囲まれ、堀の中央に土居があった。家臣の屋敷あった地でもある。 






板堀による区画
迷路のようです。





















東館

北館の東にある。最広部は東西約120m、南北約70m。北、南に二重の堀があり、南の猿楽館の堀は中央に土居がある。浪岡城落城後一時代官所が置かれた。




浪岡城案内所



7月中旬、歩き回るのは暑い!浪岡城跡の一部を見ただけ、再び浪岡駅へ向かいます。