鳥取城跡 鳥取県鳥取市 

令和6年(2024年)6月19日㈬ 撮影



二の丸登り口にある中仕切門(西坂下門) の前に来ました。

*この記事の続きです。






中仕切門(西坂下門) 

鳥取県立博物館脇の二の丸登り口にあり、1867年(慶応3年)に創建された。鳥府志などの江戸時代の諸記録や絵図にはこの門は記載されていない。長年にわたり「お城の門」として市民に親しまれていたが、1975年(昭和50年)3月に強風のため倒壊した。その後、ほぼ旧態どおりに復元された。




こんな恐ろしい注意が

二の丸の石垣

二の丸登り口から見た仁風閣





















二ノ丸跡に来ました。

*二ノ丸 

江戸時代初期には藩主の御殿が置かれ、鳥取城の中心であった。周囲に御三階櫓、走櫓、菱櫓などの建物があった。大手の入り口は鉄御門(くろがねごもん)。1718年(享保3年)三ノ丸に新御殿が建設されると二ノ丸が使われることは少なくなった。石黒火事で全焼したあと、御三階櫓と走櫓が再建されたのみで長らく放置されていたが、1844年(弘化元年)再び二ノ丸御殿が建設された。1849年(嘉永2年)には御三階櫓の西方が拡張され、角櫓や登り石垣が建造された。幕末には菱櫓も再建された。


石切場





二ノ丸三階櫓跡 

 二ノ丸の南西隅、市街地に面して建っていた3層3階の隅櫓。池田光政による元和の大改築時に建造されたと考えられており、山上の丸の天守が焼失してからは鳥取城を象徴する建物となった。石黒火事で焼失したあとも8年後に再建されている。 1階は8間四方、2階は6間四方、3階は4間四方と規則正しい逓減率となっている。古写真によれば、黒の下見板張り・瓦葺きで、飾り破風は一切ない。櫓台の東側に入り口が設けられ、階段を上ると1階中央に達するようにできていた。諸記録には、軒高4丈5尺(約14.8メートル)と記されているが、城郭建築史家の松岡利郎は古写真より復元図を起こしたところ、櫓台からの高さは17.8メートルであったと推定している。隅櫓ではあるが、その規模は三重天守の宇和島城天守(15.7メートル 3層3階)、丸亀城天守(14.5メートル 3層3階)をしのぐ。ほぼ同じ高さのものでは、犬山城天守(18メートル 3層6階)がある。











三階櫓跡から見た鳥取市街








二ノ丸走櫓跡

 二の丸の南東隅にあり、御三階櫓とは土塀で連結されていた。石黒火事で焼失したが翌年に再建された。二の丸に御殿があった頃は、「御櫓評定」と呼ばれる家老衆の政務がこの中で行われた。



二ノ丸菱櫓跡

 走櫓に隣接して立っていた2層2階の櫓。土台の石垣から推測すると平面は菱形をしていたと思われる。石黒火事による焼失後はしばらく再建されず、最後の藩主・池田慶徳の時代になってようやく再建された。 








稲荷神社



怖い!





表御門跡






 標高263メートルの久松山頂にある山上の丸へ向かう坂道は険しい。今回はパス。ヘタレです。





天球丸跡

天球丸 

 二の丸の一段上、平山城部の最高所にある。池田長吉の姉で若桜鬼ヶ城主・山崎家盛の夫人だった天球院が山崎家を去った後に居住していた。三階櫓、御風呂屋御門などの建物があり、池田光政入封後も天球院の居所が存在していたという。享保5年の石黒火事で焼失し、長らく放置されていたが、幕末には不穏な世情を背景にお稽古所が設置された。 近年の石垣復元に伴う発掘調査から、池田長吉による慶長の大改築の際に、宮部時代の石垣をもとにして郭が拡張されたことが明らかになった。また、この頃は現在の凸の字状の郭ではなく、東側が3段の石垣で造られ、中心部は2段の石垣で構成されたことも明らかになっている。現在のような形になったのは、長吉の後の池田光政の改築によるものと考えられている。 さらに、江戸時代後期には石垣のたわみを防ぐために球面を持つ巻石垣によって石垣下部が補強されたことも明らかになり、巻石垣が復元された。こうした巻石垣は港や河川の工事に用いられるのが主で、城郭の補強に用いられるのは、きわめて珍しい例である。



天球丸跡から見た巻石垣





















天球丸から坂を下り





三ノ丸跡 

 江戸時代初め、池田長吉の頃は侍屋敷がおかれていたらしい。池田光仲の時代になり若君の居館や老公の隠居所となったが、1718年(享保3年)に拡張工事が行われ、藩主の居館が置かれた。それに伴い二の丸と呼称が改められたが、藩主の居館が再び二の丸へ移った幕末には三の丸の呼称に戻っている。最後の藩主・池田慶徳の代、文久年間に江戸小石川にあった水戸徳川家の松の御殿を移築したため、松の御殿と呼ばれることもあった。三の丸は現在は鳥取県立鳥取西高校の敷地となっている。











復元工事中の中ノ御門櫓門 。この先には中ノ御門表門及び擬宝珠橋がありますが通り抜けはできず

久松公園には鳥取市のデザインマンホールが設置





北ノ御門跡