
佐伯城跡
大分県佐伯市
令和6年(2024年)4月18日㈭ 撮影
標高144mの八幡山、その麓に建つ佐伯城三ノ丸櫓門
が見えてきました。

*佐伯城(さいきじょう)
大分県佐伯市にあった城。江戸時代には佐伯藩の藩庁が置かれた。。国の史跡に指定され、大分百景・ 続日本100名城(194番)に選定されている。
江戸時代初期の1606年(慶長11年)に築かれた山城で、山頂主郭部の石垣と麓にある三の丸跡の石垣、建物は三の丸櫓門が現存する。
関ヶ原の戦いにおいて、徳川方(東軍)に与したことにより、1601年(慶長6年)、毛利高政は海部郡に2万石を与えられ、豊後国日田郡日隈城より前領主佐伯氏の旧居城であった栂牟礼城に入城した。しかし、栂牟礼城は険阻な山城で、平時の統治には不便であったため、翌1602年(慶長7年)から番匠川河口近くの八幡山で新城の築城に取り掛かった。縄張は織田信長の元家臣で安土築城にあたった市田祐定、石垣は天正期姫路城の石垣施工を指揮した石垣師の羽山勘左衛門が担当した。6年の歳月をかけて1606年(慶長11年)にはおおよそ完成したが。1617年(元和3年)、二の丸より失火して、本丸と天守を焼失した。 1637年(寛永14年)3代高尚のとき、麓に三の丸を増築し、三の丸に居館が移されて以降は、城の中心施設として利用された。山上の本丸・二の丸などは、焼失および居館の移設によって放置され荒廃が著しかったため、宝永6年(1709年)に6代高慶によって天守以外の建物が復興、修復されている。 1871年(明治4年)7月に、佐伯県庁が置かれ佐伯城は廃城とされた。三の丸以外の建物はすべて払い下げ、撤去された。土地は旧藩主である毛利家に譲渡されている。1970年(昭和45年)、三の丸御殿の一部を解体、民間の建物として(市内船頭町、住吉神社の隣に)移築され、翌年、跡地に市立佐伯文化会館が建てられている。2017年(平成29年)、続日本100名城に選定された。2019年(令和元年)5月2日、佐伯市の文化財(史跡)に指定された。
標高144メートルの八幡山山頂一体に築かれた総石垣の山城である。本丸を中心に、南北に長く連郭式に配し、本丸南に二の丸、西出丸、本丸北に北出丸、捨曲輪を配置している。これに3代高尚の時に麓の三の丸を加えた。3重の天守があった本丸と本丸外曲輪を中心に二重櫓5基、平櫓1基、城門7棟などが建てならべられた。本丸と二の丸は堀切で遮断され、当時は廊下橋が渡されていた。
wikipediaより引用

佐伯城三ノ丸櫓門(大分県有形文化財)
寛永14年(1637)に建造、享保11年(1726)再建。天保3年(1832)に三建。(県有形文化財)




三ノ丸櫓門を潜ると工事中。佐伯文化会館の解体跡でした。
佐伯文化会館は1971年(昭和46年)、佐伯城三の丸御殿跡地に開館した多目的ホールを中心とする市営施設だった。老朽化のため2020年閉館。

佐伯文化会館跡に建つ像。
村上 勇 像

*村上 勇(1902- 1991)
大分県南海部郡大入島村(現・佐伯市)の政治家。衆議院議員。
1946年の第22回衆議院議員総選挙で旧大分1区から出馬し当選、以後当選14回。郵政大臣、建設大臣を歴任。

三ノ丸跡に建つ櫓

前に建つ案内板には
公衆お手洗い 御下櫓 平成二年三月建立
の表記
櫓を模したトイレでした。