
岐阜城
岐阜県岐阜市
令和6年(2024年)3月6日㈬ 撮影
金華山ロープウェーに乗り金華山頂駅に来ました。
向かうのは標高 328.77mの金華山山頂に建つ岐阜城天守
金華山山頂駅から岐阜城へは0.3km



伝 一ノ門跡



山道脇に記された歴代城主

伝 馬場跡


堀切(切通)


岐阜城まではあと160m


二ノ門周辺の石垣



伝 二ノ門・下台所跡


天守が見えてきました。左の石段が天守への道





岐阜城天守

*岐阜城
美濃国井之口の稲葉山(岐阜県岐阜市の金華山)にあった城(山城)。もとは稲葉山城と言い、鎌倉時代以来の歴史があり、本格的に整備されたのは戦国時代の斎藤道三の時期だと考えられ、織田信長が1567年の稲葉山城の戦いにより斎藤龍興から奪取し、本拠地を小牧山から当城へと移し、その縄張りを破却して新たに造営したものが岐阜城である。『信長公記』に「尾張国小真木山より濃州稲葉山へ御越しなり。井口と申すを今度改めて、岐阜と名付けさせられ」と記載されており、ここから天下布武、天下統一をおこなうという意味をこめて、信長が山頂にある城や麓にある町などを「井口」から「岐阜」へと改名したことにより「岐阜城」と呼ばれることになった。
大きな複合的な城であり山上の城郭部分と山麓の居館部分を中心としつつも、それらの間を結ぶ登城路、さらに山中の要所に配された砦もあり、なにより山そのものが天然の要害として機能していた。麓に置かれた城主の館は、山の西麓にある槻谷(けやきだに)にあり、地形は斎藤氏 三代の頃に造られ、信長が大規模に改修をし、大きな池の南北に建物が2つあり大きな庭園があったことが発掘調査で分かっており、有力者なども招かれたらしく、ルイス・フロイスが訪れた記録もあり、関ヶ原の合戦の前哨戦のころまで使われていたという。 当城の城主は、織田信長の後は、織田信忠、(信長亡き後に)織田信孝、池田元助、池田輝政、豊臣秀勝、織田秀信らである。織田秀信は関ヶ原の戦いの前哨戦の岐阜城の戦い(1600年)で池田輝政や福島正則らに攻められ落城、翌1601年(慶長6年)徳川家康によってに当城は廃城とされた。 現在山頂にある建造物は、1956年(昭和31年)に(当時なりに想像し往年の天守を模したつもりで)鉄筋コンクリートで建てた模擬天守である。
wikipediaより引用


鉄筋コンクリート造り3層4階構造、



天守に入ります。

岐阜城天守
開館時間(年中無休)
3月16日~10月16日 午前9時30分~午後5時30分
10月17日~3月15日 午前9時30分~午後4時30分
入館料 大人(16歳以上)200円 小人(4歳以上16歳未満)100円 団体割引 30人以上2割引
訪問時は岐阜公園周辺施設割引クーポンを使用し
観覧料200円→160円
にて入館


天守入口前に設置されているお城時計








4階最上階展望台へ

長良川と岐阜市内が見えます。








天守内に設置されている日本100名城スタンプラリースタンプ

スタンプを押しました。

御城印はロープウェー山麓駅で販売

天守を出て岐阜城資料館へ

岐阜城資料館
武器庫・食糧庫を隅櫓城郭造りに1975年(昭和50年)に復元。






天守脇の石段を下り帰路に


金華山山頂付近にある通信施設の手前には「戦国時代の井戸跡」への案内板

通信施設は解体撤去とのこと


石段を下りると

井戸跡







二ノ門を出て

展望レストランへ


展望レストラン、展望台は入場無料

展望レストランのある場所は 伝 太鼓櫓跡








