
令和6年(2024年)1月24日㈬

横浜からは横須賀線の始発電車
427S 横浜453発 久里浜行き


逗子では523着528発と5分の停車

車内はガラガラです。

衣笠(543発)

終点の久里浜には548着

久里浜駅の指定券券売機は千葉県以外のJR東日本の駅で唯一、サンキュー🖤ちばフリーパス が発売。
早速購入しようと指定席券売機に向かうと

久里浜駅の指定席券売機の営業時間(稼働時間帯)は6:30〜23:10
指定席券売機には電源が入っておらず、
まだ サンキュー🖤ちばフリーパス は買えません(泣)、これでは朝一番の東京湾フェリーにも乗れず、始発で来た意味がなかった!






当初の予定では久里浜駅でサンキュー🖤ちばフリーパスを購入
京急バス 久7系統 京急久里浜駅600発 東京湾フェリー行き
に乗り終点の東京湾フェリー610発
東京湾フェリー 久里浜港620発 に乗船し 金谷港700着
予定でした。

久里浜駅での指定券券売機の営業開始時間はまだ30分以上先
寒い中、駅前で待つのはつらい。
JR東日本久里浜駅から400m程の京急久里浜駅前へ
歩いて

松屋 京急久里浜店 にて

朝食です。

夜が明けてきました。6:30過ぎに再び久里浜駅へ
指定席券売機は稼働していました。
サンキュー🖤ちばフリーパス を購入。
*サンキュー🖤ちばフリーパス 3,970円
千葉県内のJR線、小湊鉄道、いすみ鉄道、銚子電鉄、流鉄、北総鉄道の普通列車(快速含む)の普通車自由席及び小湊鉄道バス、九十九里鉄道バス、ジェイアールバス関東、日東交通、千葉交通バス、京成タクシー成田の指定路線及び東京湾フェリーの航路が2日間乗り降り自由。
発売箇所 JR東日本の千葉県内の主な駅と久里浜駅(指定席券売機のみ)
発売期間: 第2回 2024年1月4日~2024年2月28日 ※利用開始日当日の発売も可能 (12月中及び1月1日~3日の購入は不可)
有効期間: 連続する2日間
利用期間: 第2回 2024年1月4日~2024年2月29日
ねだん :大人 3,970円 小児 1,980円

再び京急久里浜駅へ
京急バス 久8 京急久里浜駅700発 野比海岸行き
に乗車、京急バスは サンキュー🖤ちばフリーパス のエリアに含まれていないのでICカードを利用

711着の東京湾フェリーで下車、運賃240円


東京湾フェリーターミナル
次の金谷行き の出発は8:20、まだ1時間以上先です。

東京湾フェリーにて就航中(2024年1月時点)の船舶は かなや丸 としらはま丸
この日は しらはま丸一隻のみ運航の「Bダイヤ・2時間に1便」、かなや丸は久里浜港に係留中でした。
*2隻運航の場合は「Aダイヤ・1時間に1便」、
2024年3月20日、しらはま丸 は金谷港入港時の突風の影響で、船尾部分を岸壁に接触する事案が発生、舵を損傷、運航できなくなり修理には約5か月間の工期を要する見込み。 しらはま丸修理完了まで「Bダイヤ・2時間に1便」にて運航 (修理完了までは、かなや丸一隻にて運航。)


時間があるので久里浜港周辺を歩きます。
朝日が照らす久里浜海岸



ペリー公園

ペリー公園に建つペリー上陸記念碑、右の建物はペリー記念館
*ペリー公園
1853年(嘉永5年)に黒船を率いて同市の浦賀に来航したマシュー・ペリー提督の上陸の地である久里浜に整備された公園。園内にはペリー来航を記念して1901 年(明治34年)7月14日に米友協会が建立したペリー上陸記念碑を中心に、ペリー記念館、児童広場がある。なお、上陸記念碑の碑文「北米合衆国水師提督伯理上陸紀念碑」は伊藤博文の揮毫(きごう)によるものである。毎年7月中旬頃、久里浜ペリー祭が行われる。
wikipediaより引用


*ペリー上陸記念碑(ペリーじょうりくきねんひ)/ 北米合衆国水師提督伯理上陸紀念碑
1853年(嘉永6年)のペリー艦隊の来航時、アメリカ大統領からの国書受け渡しの地となった神奈川県横須賀市久里浜に、ペリー上陸を記念して建立され、1901年(明治34年)7月14日に除幕された記念碑である。
wikipediaより引用





ペリー記念館、朝早いので公開時間前でした。
ペリー記念館
横須賀市の市制80周年を記念して1987年に開館したペリーの足跡を記念する記念館である。 建物は2階建てで、館内は1階が受付と黒船来航当時の久里浜周辺の地形と黒船を再現したジオラマ模型の展示、2階がペリーの久里浜上陸図や当時の絵図といった資料の展示室となっている。

開館時間 9:00〜16:30
休館日 月曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始
入場無料

ペリー記念館の前に建つ胸像
ペリーの胸像と思いきや近づくと、日本人の胸像でした。
戸田伊豆守氏栄の像

*戸田氏栄(1799 - 1858)
江戸時代後期(幕末)の旗本、幕臣。官位は従五位下・伊豆守。知行は500石。浦賀奉行としてマシュー・ペリー来航時の折衝役となった。大垣戸田家の分家、深坂戸田家6代当主である。
嘉永6年(1853年)、浦賀奉行であった戸田 氏栄は
ペリー来航の時、事態の重大性を見抜いて幕府に早船を送って注進した。幕府は氏栄と井戸弘道を幕府代表として久里浜でペリーとの会談をもたせた。戸田・井戸らは鎖国している中のことではあるが、黒船を率いて強気に返答を求めるアメリカ側の姿勢を見て、やむなくフィルモア大統領の親書を受け取った。
翌嘉永7年(1854年)におけるペリーの再来航時も、幕府は氏栄に日米交渉の全権を命じ、日米両国間において日米和親条約を結んだ。
wikipediaより引用

再び東京湾フェリーターミナルへ

金谷発720発 久里浜755着 「しらはま丸」が久里浜港に到着、船体には「黒船」のラッピング
折り返し 久里浜820発 金谷行き に乗船
現在の「しらはま丸」は1989年就航の2代目、2023年11月から黒船来航170周年を機会に黒船「サスケハナ号」に模したラッピングを施工し、船内にも黒船来航にまつわる展示などが施されて運航されている。
この2ヶ月後、「しらはま丸」は金谷港における高波の影響で岸壁に接触、現在は長期修理中。