郡山城跡

奈良県大和郡山市 郡山城跡公園

令和5年(2023年)11月30日㈭ 撮影


郡山城跡の松陰堀石垣が見えてきました。
松陰堀石垣

*郡山城 (大和国) 

奈良県大和郡山市にあった城 。国の史跡に指定されている。
豊臣政権の中初期には秀吉の弟である羽柴秀長の居城となり、その領国であった大和・紀伊・和泉100万石の中心であった。江戸時代には郡山藩の藩庁が置かれた。

10世紀後半、郡山衆が雁陣の城を築いたという記録が郡山城の初見とされる。奈良時代には薬園が営まれていた。郡山城は、秋篠川と富雄川の中間に突き出た西京丘陵南端上に位置する。平山城または平城として明智光秀や藤堂高虎らが普請に携わり、筒井順慶や羽柴秀長らの主導によって改修された。奈良は良質な石材が乏しかったため、奈良一帯の各戸に五郎太石20荷の提供を義務付け、寺院の石地蔵や墓石、仏塔なども徴発され石垣石として使用された。中には、平城京羅城門のものであるといわれる礎石が使われていたり、8世紀ごろの仏教遺跡である「頭塔」(奈良市)の石仏が郡山城の石垣の中から見つかっている。 17世紀初頭、増田長盛が改易された後一時廃城となるが、水野勝成入封時に徳川幕府によって改修を受けた。その後は譜代大名が歴代城主を務め、柳沢吉里の入封後は柳沢氏が明治維新まで居城とした。 1873年(明治6年):廃城令によって廃城の扱いとなった。2017年(平成29年)続日本100名城(165番)に選定された。 2022年11月に国の史跡に指定された。

wikipediaより引用

緑曲輪に近い入口から郡山城跡公園に入場

松陰門跡
緑曲輪から見た本丸跡




厩跡






奈良県指定文化財 旧奈良県立図書館

 1908年(明治41年)に奈良県最初の県立図書館として奈良公園内(に建てられたもので、1968年(昭和43年)に郡山城内に移築された。 設計は奈良県技師の橋本卯兵衛が行いました。木造2階建、入母屋造、千鳥破風付きの主棟と、その両側に平屋建、切妻造の翼部を配した左右対称の構成をとっている。 
現在は城址会館として使用。



旧奈良県立図書館は土日祝のみ、1階ホールが見学で可能。 

この日は平日、入口は閉ざされていました。
1980年(昭和55年)に復元された追手門

追手門

1984年(昭和59年)に復元された追手門東隅櫓

1987年(昭和62年)に復元された追手向櫓

追手向櫓
追手向櫓

追手向櫓
毘沙門曲輪にある柳沢文庫

*柳沢文庫

郡山藩主であった柳沢氏をはじめとする歴史的資料や地域資料を保存、公開する施設である。
郡山城毘沙門曲輪に昭和35年(1960年)秋、郷土の子弟教育のさらなる発展を願う有志により、柳沢保承(当時の柳沢家(郡山藩旧藩主家)当主)が作った郷土史書を中心として設立された。明治時代に建設された旧柳沢邸を館施設としている。 古文書・典籍など歴史史料のほか、柳沢吉保の一代記である『楽只堂年録』、奈良県下および柳沢家の大和郡山移封以前の甲斐国甲府藩主家時代の藩政史料などを収蔵し、柳沢氏の菩提寺である永慶寺とともに柳沢氏に関する資料を多く伝存している。 関連地域の自治体史や歴史・文学系を中心とした一般蔵書を広く公開し、企画展も実施している。 

wikipediaより引用


開館時間 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで) 

休館日 毎週月曜・第4火曜日(※祝日の場合は
開館) ※夏期、年末年始、

観覧料 一般 300円

*毘沙門曲輪 

現在の柳沢文庫がある一帯で、もともとは「本丸ニの郭」と呼称されていたが、柳沢氏入部以降に「毘沙門曲輪」と改名した。2021年に本丸と繋がっていた極楽橋が再建された。 
郡山城の続日本100名城スタンプは柳沢文庫の入口に設置されていました。


うまく押せました。





柳沢文庫に入館し


御城印を購入



柳沢文庫を出ました。

2021年(令和3年)に復元された極楽稲を渡ります。極楽橋は毘沙門曲輪と天守曲輪(本丸)を結ぶ木橋。


郡山城本丸跡に鎮座する柳澤神社。 1880年(明治13年)二の丸跡に創建。1882年(明治15年)現在本丸跡に社殿が移された。



天守台跡へ向かいます。
*天守台 

この天守は逆さ地蔵の祟りや大和大地震で倒壊したという俗説が残っている。『郡山城と城下町』によると「現存している天守台に5層6階の天守は建築学上から考えて建てられること不可能」としている。しかし2013年(平成25年)から2017年(平成29年)にかけて調査・整備事業が行われ、礎石が確認された。この調査で、豊臣秀長時代あるいは増田長盛時代には天守が確実に存在し、後に二条城更に淀城へ移築された話も事実と確定された。平成29年3月26日から展望台施設が公開された。 

wikipediaより引用

石段を登り


天守台から見た柳澤神社社殿







天守台を降りて「逆さ地蔵」と呼ばれる転用石を見ます。

*転用石 

天守台の裏手、北側の石垣には、付近から徴用されて築城に使われた数多くの石地蔵が、石垣に組み込まれたまま城下の人々により祀られている。 石組みの間から奥を覗き込むと、逆さになった状態で石の間に埋もれている地蔵を確認することができ、これは逆さ地蔵と呼ばれている。 これらの地蔵のために、北側の石垣沿いにはさらに多くの石地蔵が奉納されている。また地蔵以外にも由来の変わった石は多く、市内東部の平城京羅城門跡から運ばれた礎石と伝わるものなどもある。 

wikipediaより引用







竹林門跡の先には柳澤神社の鳥居


極楽橋

郡山城跡公園を後にして
郡山城跡の脇を走る近鉄橿原線の踏切を渡ります。

大和郡山市市役所前にも石垣

柳御門跡





大和郡山市市役所前の堀に架かる

百寿橋

1936年(昭和11年))建造、鉄筋コンクリート製RCアーチ橋。