
戸定邸
千葉県松戸市
令和6年(2024年)3月28日㈭ 撮影
戸定邸のある戸定が丘歴史公園入口

戸定が丘歴史公園(とじょうがおかれきしこうえん、)
庭園、戸定歴史館(博物館、松雲亭(茶室)から構成されてる市立歴史公園。1991年に戸定邸の周囲2.3ヘクタールの敷地が歴史公園として整備され一般公開となった。


戸定歴史館に入館(戸定邸・戸定歴史館共通入館料 320円)
館内は撮影禁止でした。
*戸定歴史館 (とじょうれきしかん)
戸定が丘歴史公園内に整備された博物館である。松戸徳川家や徳川慶喜家の資料が展示され、幕末に昭武が訪れたパリ万国博覧会の関係資料など幕末から明治にかけての国際交流と徳川慶喜・昭武兄弟が撮影した写真をメインテーマに、展覧会などが行われている。
入館時間 9時30分から16時30分(閉館17時)※戸定が丘歴史公園は9時から入園可能。
休館日 月曜日(祝日の場合にはその翌日)
入館料150円
戸定邸・戸定歴史館共通入館料 320円

*戸定邸
千葉県東葛飾郡松戸町松戸(現在の松戸市松戸)に水戸藩最後(11代)の藩主であった徳川昭武が造った別邸。国の重要文化財の一つであり、指定名称は旧徳川家住宅松戸戸定邸。庭園は旧徳川昭武庭園(戸定邸庭園)として国の名勝に指定されている。
1884年(明治17年)江戸川をのぞむ下総台地上に完成し、徳川昭武の生活の場として使われた別邸となっている。戸定邸の「戸定」とは「外城」に由来し、戸定邸のある高台・戸定台は、一帯に築かれた松戸城(松浪城)の外郭に位置したという。 明治30年代に昭武の実兄である元将軍徳川慶喜が何度も訪れ、昭武とともに趣味の写真撮影や狩猟、陶芸などを楽しんだ。また、多くの皇族が長期に滞在するなど、由緒のある屋敷として知られた。1892年(明治25年)、徳川昭武の子の徳川武定が特旨によって子爵を授けられると、以後は松戸徳川家の本邸となった。
1951年(昭和26年)松戸徳川家が建物と敷地を松戸市に物納。
1954年(昭和29年) 松戸市は戸定邸を「戸定館」と命名し、公民館として一般開放。
1991年(平成3年)「戸定が丘歴史公園」開園、「戸定歴史館」開館。戸定館は「戸定邸」に
2006年(平成18年)7月5日 - 旧徳川家住宅松戸戸定邸(建物)が国の重要文化財に指定。
木造平屋一部2階建、延床面積725平方メートル、9棟の建物に23の部屋があり、うち8棟が重要文化財である。台所棟の一部と内蔵が二階建てであるほかは、全て一階建てで、屋根は桟瓦葺きである。また、下屋・渡廊下、附属の便所などは銅板葺きである。南にある表座敷棟を起点として、各棟が連続もしくは渡り廊下で結ばれている。表座敷棟は、床・棚付で十畳半の客間や八畳の書斎などからなり、室境には透かし彫りの板欄間や竹細工の欄間がある。湯殿は浴室と脱衣場をわけ、浴室天井は杉板網代組(網代天井)の意匠としている。 表向きの座敷棟をはじめ、各座敷棟、玄関棟から奥向きの施設まで全体がほぼ完存している大規模住宅および明治前期における上流階級住宅の指標となるものとして歴史的価値が高い。
wikipediaより引用
