掛川城

静岡県掛川市 掛川城公園

令和5年(2023年)12月14日㈭ 撮影

*掛川城

 戦国時代には東海道を扼する遠江国東部の中心、拠点として掛川はしばしば争奪戦の舞台となった。朝比奈氏によって逆川の北沿岸にある龍頭山に、 文明年間(1469年〜1487年)築かれたとされ、現在見られる城郭の構造の基本的な部分は安土桃山時代の
1590年(天正18年)に掛川に入封した山内一豊によるものである。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの後、一豊は土佐一国を与えられて高知城に移転した。その後、掛川城には多くの譜代大名が入ったが、最終的には太田氏(太田道灌一族の系統)が入り、何度か城の修築も行われている。ところが、幕末の1854年(安政元年)末に、東海地方一帯を大地震が襲い(安政東海地震)、掛川城も天守を含む大半の建物が倒壊した。この際、政務所である二ノ丸御殿は1861年(文久元年)までに再建されたが、天守は再建されることはなかった。 
 明治以降は、廃城令によって1871年(明治4年)に廃城処分とされ建物の一部を残して撤去され、道路や庁舎の建設によって大半の遺構が撤去されている。現在は、1854年に倒壊した天守や大手門などの一部の建物、塀が復元され、堀や土塁、石塁の復元が行われている。

wikipediaより引用



三日月堀
三日月堀は本丸門の前面に配置された三日月の堀、深さは8m
三日月堀
太鼓櫓と四足門
石段を登ると券売所及び天守閣入口
四足門
四足門は復元建築
四足門を潜りました。天守閣の前には十露盤堀(そろばんぼり)


十露盤堀は本丸を囲む堀
十露盤堀


四足門と太鼓櫓

太鼓櫓、右には券売所
太鼓櫓は嘉永7年(1854年)の大地震以後に建てられた。何度か移転した後、昭和30年(1950年)に三の丸から本丸に移築された。
券売所にて入場券410円を購入、天守、御殿の2か所へ入館可能。
天守閣へ向かいます。
天守閣の下は本丸跡
天守丸への登城路を登ります。



登城路では作業中
天守下門と天守閣

*天守閣

山内一豊により建てられた天守は1604年(慶長9年)の大地震で倒壊し1621年(元和7年) に再建されたが、1854年(安政元年)旧暦11月4日の嘉永東海地震により再び倒壊。その後、天守は再建されず、天守台などの遺構が残るのみであった。1994年(平成6年) 市民や地元企業などから10億円の募金を集めて、第二次大戦後初となる木造による天守を再建した。
3層4階の入母屋造である点と、2重目の唐破風出窓や慶長時代の様式といわれる花頭窓などは、絵図などの調査に基づいて忠実に復元されている。また、この天守を再建するに際しては、山内一豊が掛川城の天守と同様の姿に建てさせた高知城の天守を参考にしてそれに近い内部構造とし、壁は白漆喰で塗り固められている。復元する上で参考とした、現存の高知城天守は江戸時代末期の再建であり創建当初のものではないと指摘されるが、創建当初の天守を忠実に復元したので、一豊創建時の姿である。

wikipediaより引用
天守閣
天守の前には井戸、霧吹き井戸


天守閣に入ります。

1階

2階


4階最上階へ


最上階から見た重要文化財・掛川城二の丸御殿

4階から降りて
3階は狭い


3階には武者隠し
再び1階へ
石落とし



天守閣を出て
二の丸御殿へ向かいます。