宇和島城

愛媛県宇和島市 城山公園

令和5年(2023年)9月7日㈭ 撮影

宇和島駅から0.9km   北登山口に到着、標高74mの城山に建つ宇和島城天守が見えます。


*宇和島城

四国の伊予国宇和郡宇和島(現在の愛媛県宇和島市丸之内)にあった日本の城。江戸時代は宇和島藩の藩庁となった。城跡は国の史跡に指定されている。
標高74メートル(80メートルとも)の丘陵とその一帯に山頂の本丸を中心に囲むように二ノ丸と帯曲輪、その北に藤兵衛丸、西側中腹に代右衛門丸、藤兵衛丸の北側一段低い所に長門丸を配置し、東側の中腹に井戸丸、麓の北東に三ノ丸、内堀で隔てて侍屋敷が置かれた外郭を廻らせる梯郭式の平山城となっており、各曲輪が山上部に散在している中世的な縄張りを色濃く残しながらも、山麓部には追手門や搦手門のように内枡形や喰違虎口といった近世城郭的な縄張りももつ。東側に海水を引き込んだ水堀、西側半分が海に接しているので「海城(水城)」でもある。 現在、見られる天守などの建築は宇和島伊達家によるものであるが、縄張そのものは築城の名手といわれた藤堂高虎の創建した当時の形が活用されたと見られている。宇和島城には本丸天守から、原生林の中を抜ける間道が数本あり、西海岸の舟小屋、北西海岸の隠し水軍の基地などに通じていた。 城を囲む五角形の堀は高虎の後の大名にも代々受け継がれ、三大海城の一つと謳われたが現在は堀も海も埋め立てられており、その面影は大きく失われている。明治以降は大半の建物が撤去され、城郭は戦後「城山公園」として整備された。建物は、天守、追手門などが残されたが第二次大戦中の空襲により追手門を焼失し、現在は天守(重要文化財)と上り立ち門(市指定文化財)、石垣と山里倉庫(城山郷土館)が現存する。

wikipediaより引用

城山北登山口

左は桑折氏武家屋敷長屋門、右は2021年にオープンした、宇和島市観光情報センター「シロシタ」
*宇和島市指定有形文化 藩老桑折氏武家長屋門 

 藩政時代宇和島藩の家老、桑折氏の長屋門。 昭和27年(1952年) 、城山北登山口に移築。その際に向かって左方の大部分を切り取ったので原形は失われている。建造時期は江戸中期と推定。


桑折氏長屋門には登山用の杖と

無料のコインロッカーが設置、こちらに荷物を預けて

坂を登ります。
天守まで670m、郷土館450m
坂道を登り

長門丸石垣


桑折氏長屋門から450m、長門丸跡

*長門丸 

二重櫓2基・平櫓2基・多門櫓1基かあった。現在は児童公園として整備されている。


藤兵衛丸跡への石段

藤兵衛丸跡には城山郷土館

*藤兵衛丸 

藤堂高虎によるものとされる高さ13mの野面積の石垣が残る。築城当時は国内最高クラスの高さであったと伝わる。伊達家より譲渡された三の丸に建てられた武器庫を移築し、城山郷土館として一般公開している。

山里倉庫(城山郷土館) 

 弘化2年(1845年)、三の丸に建てられた武器庫。昭和41年(1966年)に伊達家から宇和島市に譲渡され、翌年に城山内に移築し、城山郷土館として一般公開している。

穂積陳重・八束兄弟の生家長屋門

天保13年(1842年)頃に建てられた。昭和46年(1971年)に宇和島市に寄贈、翌年に城山内に移築。



藤兵衛丸から本丸へは200m
本丸石垣




二之丸に到着、天守が近くに見えてきました。