
臼杵城跡
大分県臼杵市 臼杵公園
令和5年(2023年)6月8日㈭ 撮影
画像は大手門公園から見た臼杵城跡

臼杵出身の作詞家、文学者、教育社 吉丸 一昌(1873 - 1916)像


*臼杵城
大分県臼杵市にあった城。城跡は大分県の史跡に指定されている。戦国時代、大友宗麟により臼杵城の前身となる「丹生島城(にうじまじょう)」が築かれ、大友氏の拠点となった。江戸時代には臼杵藩の藩庁が置かれた。丹生島は北、南、東を海に囲まれ、西は干潮時に現れる干潟の陸地でつながるのみという天然の要害をなしていた。大友義鎮(宗麟)は、この島一つを城郭化して干潟を干拓して城下を形成した。 城には3重の天守と31基の櫓が上げられた。総二階造り(上下階の平面が同規模)の重箱櫓と呼ばれる形状をした二重櫓が特徴的であった。廃藩後は天守以下建物は一部を残し取り壊され、周囲の海も埋め立てられた。現在、城郭主要部は都市公園として整備され、石垣、空堀が残る。また、二の丸に畳櫓が、本丸に切妻造りの卯寅口門脇櫓が、それぞれ現存する。
wikipediaより引用


二ノ丸大門櫓
平成13(2001)年の復元



原山時鐘

説明板の文
この時報楼の鐘は 「原山時鐘」といいます。 鐘に刻まれた銘によると 元禄13年(1700)に鋳造されたとあります。 その後、 寛政2年(1790)に改鋳され、 江戸末期までは「原山時鐘堂」で 時を告げていたものと記録に残っています。 明治6年(1873)の臼杵城廃城後、 この「原山時鐘」が臼杵城跡畳櫓横へ移され、 その後も昭和末期まで 鐘の音を聞くことができました。 平成20年(2008) 臼杵城跡西の丸鐙坂の土塀復元に際し、 この鐘は畳櫓横から約140年ぶりに、 ここ時報楼跡に置かれたが、 鐘の音が復活することはありませんでした。 そこで、平成22年(2010)6月、 臼杵ロータリークラブは 創立50周年記念事業として、 鐘の音を復活するため 時報楼の整備をおこないました。 遠い元禄の昔から 臼杵市民の思い出に刻まれつづけた 鐘の音を感じていただければ幸いです。

臼杵護国神社神楽殿
臼杵市有形指定文化財





佛狼機方面「国崩し」 のレプリカ
*フランキ砲
1576年(天正4年)、キリシタン大名の大友宗麟が、日本に布教に来たポルトガル人宣教師達から火縄銃や硝石等と共にフランキ砲を輸入したとされ、日本で最初の大砲といわれる。 砲はインドのゴアで交易品として作られたもので、本来は艦砲用の設計である。 輸入された2門(10門とも)のフランキ砲は、その大きな威力から「国崩し(くにくずし)」と名づけられた。これは「(敵の)国をも崩す」という意味であったものの、配下の中にはこれが「自国を崩す」意味にもつながるとして嫌った者もいたと言われる。果たしてその後大友氏は薩摩の島津氏に蹂躙されることとなった。しかし宗麟の臼杵城篭城の際は、その巨大な砲弾と威力で敵の島津軍を驚かせ、食い止めるのに役立った。 大友氏除国後も、江戸時代を通じて臼杵城本丸に配備されていた。 東京の靖国神社が運営する遊就館に実物が展示、臼杵城跡地の臼杵公園と大分市歴史資料館に複製が展示されている。
wikipediaより引用
