8月3日㈭

鎌倉に来ました。

法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)から歩くこと約700m、鎌倉宮に着きました。

赤と白の2色の鳥居

この記事の続きです。
鎌倉宮(かまくらぐう)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある神社である。後醍醐天皇皇子の護良親王を祭神とする。

祭神である護良親王は、後醍醐天皇の皇子で父とともに鎌倉幕府を倒し建武中興を実現したが、その後、足利尊氏との対立により足利方に捕えられて東光寺に幽閉され、建武2年(1335年)の中先代の乱の混乱の中で尊氏の弟の直義の命で、家来である淵辺義博によって殺害された。
1869年(明治2年)2月、武家から天皇中心の社会へ復帰させることを目的とした建武中興に尽力した親王の功を賛え、明治天皇は護良親王を祀る神社の造営を命じて自ら宮号を「鎌倉宮」と名づけた。7月15日に鎌倉宮の社号が下賜され、7月に東光寺跡の現在地に社殿が造営された。 1873年(明治6年)4月16日に明治天皇は鎌倉宮に行幸し、同年6月9日に鎌倉宮は官幣中社に列格した。
拝殿前、猛暑のためか参拝者の姿は少なめ
拝殿

社務所にて頂いた御朱印

御朱印帳を開いた2ページで1つの御朱印となっています。 初穂料各600円



拝殿から先は拝観料300円

入口を入ると宝物殿

神苑
神苑から見た宝物、石段の先、本殿裏手には護良親王が幽閉されていた土牢があります。
護良親王土牢


本殿
南方社



鎌倉宮をあとにして400m先の荏柄天神社へ
石段を登り境内へ
*荏柄天神社は、神奈川県鎌倉市二階堂にある菅原道真を祀る神社。鶴岡八幡宮の東方に位置し、鎌倉と神奈川県横浜市金沢区六浦を結ぶ金沢街道に参道が接続し、参道入口から300mほど入った小台地にある。
鎌倉時代初期より鎌倉幕府との関わりが記録に見え、武家政権の守護神として、鶴岡八幡宮とともに信仰された神社である。関東を中心に茨城県、千葉県、埼玉県に数社の分祠、愛知県に2社、広島県に1社の分祠がある。境内から南西約200mに、源頼朝が鎌倉に入り邸を構え幕府を開いたとされる大倉御所があり、谷を挟さんで約300m西側の丘陵には史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)がある。
拝殿、時刻は11時過ぎ、参拝者は私ひとり
拝殿奥には重要文化財の本殿

頂いた御朱印です。
正午を過ぎると鎌倉にも観光客が増えてきました。混雑する前に鎌倉から去ります。鎌倉駅から横須賀線に乗り大船へ

大船から東海道本線に乗り
所用で小田原へ
小田原も暑い!
日が暮れた後、東海道本線に乗り帰路に