5月4日㈭・みどりの日㈷ 

のんびりホリデーSuicaパスを使用し千葉県へ、大網からは東金線に乗車

コチラの続きです。 

1641M  大網1026発 成東行き

209系6両編成、前面の帯が色褪せて残念な状態、もっとも209系自体が「残念な」車両ですが……

10年以上前に我が地元の根岸線を走っていいた209系、座席は硬く狭く、当時からあまり乗りたくない車両でした。

もう5月、沿線の水田は水を張っています。

1034着の東金で下車、駅舎と反対側のホーム2番線に到着

東金で下車するのは初めて

過去の東金線乗車は大網〜成東の全区間通し、途中駅で下車下ことはありませんでした。
相対式ホーム2面2線を有する地上駅、屋根のない跨線橋を通り駅舎のある1番線へ向かいます。


東金駅駅舎は1番線ホームに面した木造平屋建て

現在の駅舎は昭和15(1940)年改築とのこと
駅舎脇には東金駅の説明板

かつては賑わっていたのか?東金駅前です。

右のレトロなパチンコ百万弗は現在は営業していません。
東金駅から歩くこと約2km、田間神社へ 

田間神社は戦国時代の田間城趾
田間神社HPによると

田間城は永正六年(1509年)に、酒井定隆によって築かれた。  その時の城内に第六天宮(後の田間神社)を祀ったのが田間神社のはじまり。田間城は 城地が狭かったため南の地に鴇ヶ根城(東金城)を築き、定隆は本拠を移す。 田間城はその後も、支城として用いられたが、天正十八年(1590年)の東金城落城とともに 廃城。 第六天宮は天正4年(1576年)参拝路が険悪なために現在の地に遷されたといわれています。 その後、享保年間(1716年~1731年)に本殿を建立。 明治2年(1869年)太政官布告「神仏分離令」により神社名を「田間神社」とし祭神を造化の三神とし現在に至る。
石段を登っていきます。
境内には数人の参拝者

社務所にて御朱印を頂きました。

御朱印と一緒に田間城の御城印も購入

田間神社の奥には田間城址の登場口


狭くて険しい道、ちょっと登るのを躊躇しますが

ここまで来たら登ります。
しかし誰もいません。

ちょっと怖い、
ここが城趾か?「史跡 田間城址」の立札と祠

誰もいません。
あまり長いしたくない光景、早々と山道をおります。

山道は登るより下りるほうが怖い、落ちないように慎重に下ります。

田間神社をあとにして再び東金駅の方向へ向かいます。
東金駅から0.5kmほど先にある人造湖 八鶴湖

湖の周りには数組の家族連れ

八鶴湖(はっかくこ、はっかっこ)は、千葉県東金市にある徳川家康が東金御殿を築造の際に池を広げて造られた御殿池(人造湖)。

 慶長18年(1613 )年にに徳川家康が東金御殿(現東金高校)を造営の際に、御殿からの眺望をよくするために中心にあった池を広げ、「谷池」「御殿池」「八鶴池(やつるいけ)」と呼ぶようになり現在の八鶴湖が誕生したとされている[3]。 桜の開花に合わせて「東金桜まつり」が開催され、花火大会、桜花茶会、撮影会などの様々なイベントが行われ大勢の花見客でにぎわう[4]。また、8月下旬から9月上旬ごろには、東金商工会議所青年部主催の「八鶴湖ボートカップ」が開催される[5]。池の北東側の高台に、昼間には九十九里浜まで見渡すことのできる山王台公園があり、夜景や、正月には初日の出、春には花見客や夜桜見物でにぎわう[6]。 湖の畔に所在する八鶴亭(旧八鶴館)は、明治期創業の老舗旅館で北原白秋や伊藤左千夫ら多くの文人墨客が訪れ、現存する多くの建物は大正から昭和初期に建てられ、本館、新館、宿泊館、浴室棟、ビリヤード棟の5棟が国の登録有形文化財に登録されている[7]。 東金御殿の跡地は千葉県立東金高等学校になっており、千葉県立千葉女子高等学校に続いて設立された千葉県で2つめの県立高等女学校であり、100年以上の歴史がある[8]。 地理
池の周りを一周し
東金高校の近くには「東金御殿跡」と「東金城址」の説明板
東金御殿

慶長18年(1613)に徳川家康が、鷹狩の際の宿泊施設として造った御殿。敷地面積1万1700坪、建物面積6700坪、部屋数40。東金が幕府直轄領ではなくなった後の、寛文11年(1671)に取り壊されている。
現在の跡地は東金高校
東金城(とうがねじょう)は、千葉県東金市東金の八鶴湖畔の本漸寺後方の台地上にあった日本の城である。1521年(大永元年)に戦国武将である酒井定隆が1521年(大永元(1521)年に築いた山城

天正18年(1590)年に豊臣秀吉の関東征伐の際に廃城
東金高校の脇には東金城跡への登城口

入口には注意の看板、なぜか「へび」だけ平仮名

しかし登城口へ向かう門は閉ざされていました。

残念!というよりほっとしました?

これで山城には登らずにすんだ、門が開いていたら登らずにはいられなかったかも 
右の石碑には「東金御殿」の文字


湖畔に位置するする八鶴亭(旧八鶴館)

*八角亭

明治期創業の老舗旅館、現存する多くの建物は大正から昭和初期に建てられ、本館、新館、宿泊館、浴室棟、ビリヤード棟の5棟が国の登録有形文化財に登録されている。

 1885年(明治18年)に旅館として開業。一時期は千葉の三大旅館と称された。 2006年からは日本料亭八鶴亭として営業を続けていた。しかし、2019年秋の台風で建物の一部が損傷し、その後の新型コロナウイルスの感染拡大の影響で2021年3月に料亭も廃業となった。 建物保存のため地元住民により市民団体「みんなの八鶴館」が結成された。2021年5月より建物の一部が貸し出され、「レイクサイドレストラン八鶴亭」として営業している。

wikipediaより引用


再び東金駅へ

1845M   東金1240発 成東行き

に乗車