祖父の葬儀を終えて。 | うぇーーーい(0w0)

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歴史やお城めぐりのこと、
普段の出来事、徒然書き綴ります(^ω^)

あまりに突然のことで、気持ちの整理が追い付かなくて、
お仕事を3日近くお休みしてしまったり、だいぶ大げさなことを
してしまって反省はしているのですが、祖父の葬儀が無事に終わりました。

7/8の朝、妹から電話が来て、おじいちゃんが救急車で運ばれた、今から病院に行ってくる。と。
わたしは急いで仕事を片付け、早退する準備をしたのだけど、30分も経たずに、だめだった、と連絡がありました。

祖父は腎臓があまり良くなくて、定期的に透析に通う身だったのだけど、
この日も透析の予定日で、いつもは嫌々病の祖父が珍しく、
朝ごはんを残さず食べて、自分で着替えをして、ひげもそって身支度を整えて、
ヘルパーさんに昔話をしながら意識を失ったのだそう。
朝ごはんを食べてから1時間も経たずに、急な旅立ちでした。

祖父が運ばれた先の病院では、たまたま職場体験中だった内孫も居合わせ、
家族に囲まれ、看取ってもらうことができたそう。
また、祖父の息子である叔父の誕生日でもあり、
「忘れられない誕生日にしてやろう」という祖父の意気込みを感じたりもするのでした。
…冗談ですけど。笑

死因は腎臓とは全く別のことで、そんなこともあり、皆混乱の中、あわただしく葬儀の準備だけが
粛々と進んでいくのでした。

祖父は長らく、小さな町の議員を務めていました。
人望も厚く、何か頼まれたらNOとは言わず、世のため、人のため、粉骨砕身尽くす人でした。
選挙のたびに、大勢の支援者が家に押しかけて、祖母も接待に大変苦労したと言います。
「俺がいないと、お前は半人前なんだぞ。しっかりしろよ。」と、よくお説教していたそうですが、
どう考えても、祖母の支えがあってこその祖父でした。

祖母は、詩を詠むのが趣味なのだけど、
日々の出来事を詩にして、絵手紙にまとめてあって、
「内孫の初めての言葉が『じじ』で、びっくりうれしかったね。」とか
そんな夫婦の思い出を束にして、棺に納めているのを見て、涙が止まらなくなりました。

最後のお手紙は「60余年、ともに歩めて、幸せでした。」といった詩で、
ありがとう、って言葉をかけているのを見て、わたしもこうありたいなぁと強く思いました。

わたしは、子供のころは長い休みがあると、祖父母の家で合宿することが定番で、
夏休みの自由研究やドリル、冬休みの書初めの指導など、たくさん面倒を見てもらいました。
桃の収穫のお手伝いでは、桃の産毛で顔がかぶれてしまって、
それでも文句を言わずに頑張ってくれたと、今でも夏になると必ず話してくれてました。
思い出されるのは、ニコニコと笑う、孫には甘いおじいちゃんの顔です。

祖父には5月に会って言葉を交わしたのが最後になってしまいました。
とてもとても、安らかな寝顔でした。

結婚式の晴れ姿を見てもらうことはできたけど、子供は間に合いませんでした。
こんなわたしはおじいちゃん孝行できたのかなぁ?

今は、残された祖母が心配でなりません。
今年の夏は、たくさん顔見せに帰ろうと思います。

これからも、ずっと見守っててね、おじいちゃん。