パンクが音楽界でロックが形骸化した時の起爆剤として機能していたように、
歌謡曲からJ-POPの変遷は、それと同様だと思われる。

もう一度、歌謡曲を導入する。そういう試み的なものが音楽業界・代理店なりに
働いていたように思われる。


貧富の差や人種差別といった、あからさまな社会的軋轢だけが、抑圧というものを生み出すわけ
ではありません。<ニッポン株式会社>ならではの抑圧構造は厳然と存在

ライムスター・佐々木さん
で、こういう発言が出てきたように捉えている。



さらに歌謡曲は、海外音楽の翻訳版として機能していたこと。英米ミュージックの二番煎じでしかないという忸怩たる想いが、作り手側にあったように思う。



そこでの革命的な仕掛けとして「J-POP」という音楽が生まれたのでなく、言葉が生まれたのだと思う。もちろん、そこにあったのはオリジナル・内発志向であるはずだ。