明日は他人の私へ。

 

片付け術とか

一時期はあれこれ本を読んだり

断捨離にハマったりしたもんです。

 

いまでもやっぱり

インスタとかに流れてくると見ちゃうから

そういうのがおすすめされてくる。

 

さあて、本日流れてきたのは

 

「スッキリ見せるための、扉付き収納!」

 

 

何年か前の私だったら

 

そうか!

 

ってんで、

とりあえずポチっちゃってたかもしれません。

 

今の私はようやく把握しました。

 

見えないものは

無いものと同じ。

 

 

見えないと困るんです。

 

無印良品の半透明のさえ

ギリギリ季節もの収納に使えるあんばい。

 

日常で使うものの収納は

クリアーに中が見えるものじゃないと

簡単に「ない!」ってなっちゃう。

 

 

そもそも「スッキリ見せる」って

誰に見せるのか?

 

客が来るような家じゃなし。

 

なんて開き直ってはみるけれど。

 

 

ただ言えることは

 

誰より、私が見る。

子どもたちが、見る。

 

そういう観点でいえば

どこになにがあるかは重要だけど

かといって

なにもかも出しっぱなしの乱雑さは

ストレスフルだし好ましくないよねえ。

 

 

扉付き収納を買おうとは思わないけど

「スッキリ!」どこかに収まってるようには

したいもんだなあと

出しっぱなしの子どもたちのプリントを眺めながら

溜息がでないでもないのでした。

 

ではまたいずれ。

ごきげんようごきげんよう。

 

 

この空しい人生の日々に
わたしはすべてを見極めた。善人がその善のゆえに滅びることもあり
悪人がその悪のゆえに長らえることもある。
善人すぎるな、賢すぎるな
どうして滅びてよかろう。
悪事をすごすな、愚かすぎるな
どうして時も来ないのに死んでよかろう。

(『コヘレトの言葉』第7章第15〜17節)