明日は他人の私へ。


前々からなんとなく気にはなりつつ

そういう番組企画そのものが

ちょっとモヤモヤするジャンルだから

見てなかったんです。



『世界の果てに、ひろゆき置いてきた』 

 

まあ、ほら、これってアレでしょ?


言葉も通じない

文化も違う

そういうところへ芸能人を放り出して

ミッションをあたえ

四苦八苦する様子を楽しむ企画でしょ?


だいぶ昔は見ていたけれど

そういう番組があふれかえった

絶頂だった頃でしょうか。


いくらなんでも

テレビは

タレントの人生を

これほどまでに弄んでいいものだろうか


と、ひんやりした気分になったことがありました。


それ以来、

家族が見ているのを目にすることはあっても

自分から好んで見ようとは

してなかったんです。


けどもね。


子どもが見たいと言ったので。

「ひろゆきなら平気な顔でこなせそう」

というので。


そういえばそうかもな。


見ました。


無料で視聴できるのは途中まででしたけど。



いやあ。

私が知ってるようなのとは

全然違った。


まず、

ひろゆき

英語しゃべれるし。


現地のひとと

コミュニケーション

ふつーにとれる。


文化の違いもわかっているし

状況を読んで

どういうふるまいが最適か

判断し、

番組的にどうなのかもあわせて

より面白く

しかも危険なく撮影できるよう

配慮ができる。


私が過去にモヤモヤした

見知らぬ土地にタレント置いてくる系とは

全然違った。


そして、

改めて思った

思い出したことは


そのひとがどういう人間かは

その言葉ではなく

その行動で語られるもの

なんだなあ。


いくら言葉を尽くしてもとけなかった誤解が

ただいつもどおり真面目に働き続けたことで

気がつくととけていた、

なんていうエピソードは

昔ほぼ日で読んだ覚えがあります。

山田ズーニーさんの。


『高慢と偏見』では

最初は好青年と思われた男が

よくよく思い返せば

口先ばかりで

行動の伴わない男だったと

主人公が気がつく場面がありました。


 

 

 

タイトルで敬遠されがちだけど

最高に面白い恋愛小説です。

や、

最後のは、

ゾンビ小説です。

面白いよ。


なんの話でしたっけ。


ええ、でね。

ひろゆき置いてきた
視聴後に気づいたのは
いつもの動画でひろゆきの語る言葉の
端々になんとなく伺える人間性、
だけどその言葉の感じ悪さ笑
でかき消される人間性が

ひろゆき置いてきた
では
その行動が注目されることから
よりクリアになって。

えっ
ひろゆきって
なんかすげえひとなんじゃん?
いいひとなんじゃん?

て気がするのです。 


ひろゆき嫌いなら

また違う見方もありそうだけど

一度、無料枠だけでも

見ていただきたい。


ではまたいずれ。

ごきげんようごきげんよう。

 

この空しい人生の日々に
わたしはすべてを見極めた。善人がその善のゆえに滅びることもあり
悪人がその悪のゆえに長らえることもある。
善人すぎるな、賢すぎるな
どうして滅びてよかろう。
悪事をすごすな、愚かすぎるな
どうして時も来ないのに死んでよかろう。

(『コヘレトの言葉』第7章第15〜17節)